秀真(ホツマ)国 ⇒【八紘一宇・ヤマト国家創建史】!! | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

                 《秀真(ホツマ)=日ノ本思想・ヤマト国家》創建史
                                        
                                                 は じ め に


…日本の国語の始まりは「ヤマト言葉」である。その【ミコト=命→尊】とは創世記(ベラシト/モーセ五書=①創世記.➁出エジプト記.③レビ記.④民数記.⑤申命記)のカルデア語(紀元前アッシリア.新バビロニア.ペルシア王国の公用語)BRASIT(ベラシト)文字に秘められたgematria(ゲマトリア=秘密数価)合計で意味を解す方式~   2000+200+1000+300+10+400=3910(ミコトの語元数価でノア昇天年から紀元前31年迄3910年間を意味する数価)であった。従って~《秀真(ホツマ)=日ノ本思想・ヤマト国家》~創建年もMShICh(メシア)の出現預言文言IBASILH(イェバ・シロー/旧約聖書の創世記49・9~10…遂にはシロが来て)のゲマトリア数価【358】(ギリシアのイオニア式文字配列順数価合計~40+300+10+8=358)に関連付けて設定されました。

 

…因みに、「日ノ本・思想=秀真国」とは、国史大系第1巻『日本書紀』神武天皇31年条~「昔、伊弉諾尊目曰、此国曰、日本者浦安国、細戈千足国、磯輪上秀真国=袍図莽句爾(ホツマクニ)」(ホツマツタヱ・第4章)と記す漢字文献が初出である。

…カバラ教義(口伝/書かれない伝承)のゲマトリアとは、或る文言文字に数価を与え、その合計数を用い意味を解する方式であり、それは、アッシリア王サルゴン2世(紀元前721年即位)の名を数値に対応する「16.283キュビット」の長さでkhorsabad(コルサバード)宮殿の城壁を築いたと記すサルゴン2世の碑文が初出とされている。

…そしてその後年(新バビロン・カルデア王朝時代)に於けるユダヤ民族のバビロン捕囚時代(BC586~BC538年迄)の時として、カルデア語(紀元前・アッシリア/新バビロニア/ペルシア王国の公用語)によるTorah(トーラー/モーセ五書)の編集が許された。それで、カルデア語に因るゲマトリア(紀元前6世紀頃のギリシア文字もイオニア式文字配列順に従って数価を付加)が秘密裏にTorah(トーラ/旧約聖書のモーセ五書)の中に組み込まれました。

…話は変わるが、中世(AD1280年~1286年)ヨーロッパのスペイン北東部カタロニア地方のユダヤ人居住区から、突然、古代アラム語(カルデア語)で書かれたカバラ文書が次々と出現する。つまり現在に言う西洋カバラの原典は2世紀のラビでベン・ヨハイ著
『Zohar(ゾハール)』(光輝の書)がルーツである。然し、その本に書かれたゲマトリア数価の殆どは、既に抜け殻状態(筆者説)であった。何故かと言えば、紀元前に於けるカバラ教義の正統的伝授者は、クムラン秘儀教義宗団トップグループの子孫達だったからであり、その事に付いては1947年(昭和22年)にQumran洞穴から偶然発見された【死海文書】の「メルキゼデク.テクスト」(11Q Melch~主は捕らわれ人に天使とサレム祭祀で王であるメルキゼデクの相続をあてがう)文面お考察するを以て、筆者が発見しました。

【国語・ヤマト言葉】の設定方式


…口伝(クデン/書かれざる伝承)カバラ教義の本質(理想郷国の創建構想数価)は、預言者エゼキエルが設定した悔い改めの「実践430年間」(エゼキエル書4・4~13/39日×10=390年+40年=430年間)に関連する。その事に付いては1947年(昭和22年)にQumran(クムラン)洞穴から偶然発見された【死海文書】(死海の北西/ヨルダン川西岸に位置する)によると、その実践期間年(紀元前586年頃~紀元前156年頃迄)を子孫等代々引き継ぎ全うした人達が存在し、その人達の前に現れた義の教師(紀元前176年頃/死海文書では正体不明者)が指導者となり、ダマスコ契約宗団が結成された。然し、当時のユダヤの政権者だったマカベア兄弟の1人ヨナタン(在位.紀元前160~142年/下級祭祀系だったがシリアのセレウコス朝アレクサンドロス=パスラからJerusalem神殿の大祭司に任命された)から「義の教師」(当時のエルサレム神殿祭儀に対する反対者)は命を狙われたので隠れ住む事となる。

…そしてその後年(紀元前125年頃)、ダマスコ契約宗団者はクムラン地域に集会所を設けて再結成(以後、筆者はQumran秘儀教義宗団と言う)する。つまり、その再結成が意味する処は、カバラ教義ゲマトリア数価【3910】(ミコトの語元数価)を礎とする「脱ユダヤ教」思想による国家創建構築方式を開発するを以て~「来たる日(カミの顕現=巨大地震の発生年)に備える為」~であった。

…クムラン結成年から約94年経過した年にユダヤ地域を襲った巨大地震(紀元前31年)によってクムラン集会所(死海の北西/ヨルダン川西岸に位置す)が破壊された。従って、その巨大地震に対し、預言者エゼキエルが予言した★注①【カミの顕現】(Epiphany=エピファニー)であると定義するを以て★注➁極東方面に移動し、徐福が上陸したとされる有明海北部(浮盃=佐賀市諸富町/筑後川下流西側だが最初の上陸予定地は佐賀県の杵島や白石町付近とされている)に到着する。

…因みに、『日本書紀』の底本『ホツマツタヱ』(秀真伝)は、戦後の1966年=昭和41年8月に松本善之助氏が神田の古書店で小笠原長武氏に因る奉呈文を発見し、その後、全文書が発見された。そのホツマ文書には、徐福の子孫等の人達に対し「シナキミ」(支那君/信濃国の語元…ホツマツタヱ15章)と記されている。   

★注①「カミの顕現」(Epiphany=エピファニー)~とは、「私(主=エロヒム)は、妬みと激しい怒りの火を吹き付けて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる」(エゼキエル書38・18~19)。

★注➁極東方面に移動~とは、『三国志』魏志倭人伝の【魏略】に因ると~「天竺有神人(大祭司系の人),名沙拉。昔漢哀帝元壽(ゲンジュ)元年(前漢/紀元前2年),博士弟子景盧受大月氏王使者伊存(イソン)伊存口授《浮屠(フト)經》曰復立者(元の通りにする人=後に王に成る人)其人也。漢哀帝(アイテイ)元壽(ゲンジュ)元年(前漢/紀元前2年),西域大月氏使臣伊存來朝,在帝都長安向中國博士弟子景盧(ケイリョウ)口授《浮屠經》。從此佛教正式開始傳入中國,史稱這一佛教初傳歷史標誌為、伊存授經。《浮屠經》在當時產生重要的影響,儘管其中的內容只是一些佛教的常識,也並非嚴格意義上的佛經,但它在社會上層的流傳卻標誌著中國佛教的歷史從此正式邁開了第一步。」~と記す。

…因みに、【八紘一宇】(掩八紘而為宇)とは~明治時代に『逸書・日本紀』の下書き(【日本紀の講筵】=講例は721年から始まる)文書(佐々木本・田中本・岩崎本等他)が明治時代(戦前・大東亜戦争以前)に編輯され国史大系・第1巻『日本紀』として完成する。その神武天皇即位前紀に記す、つまり、「タケヒト(神武の幼名)が反逆者と成った長髄彦(ナガスネ彦)討伐の為に東征し、その討伐完了した6年目(紀元前2年)3月条に記す文言文字掩八紘而為宇】を~「アメの下を覆って家と成す=八紘一宇」~と漢字訳された文言である~

 

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