【際会=by Chance】№②…私が犯した【負】の思い出(№①の続き)… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!


…2014年=平成26年1月14日・読者限定の此のブログ№②は8年後の今日、限定を解除し再投稿します~

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私が犯した【負】の思い出に起因し…【佐代姫・塚】の存在を私は知りました~此処をクリック→№①】⇒   …

又は→ http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11570027875.html   此処をドラッグして検索の事「Ameba Blog (アメーバ ブログ)」の文書の続きとして書きました。


秀真 太郎  >> …「虐め」に関する文書は、先の「アメーバ ブログのコメント」として投稿していて文書を貼り付け、少し修正しながら此処に再度記載した次第であります。

…【佐代姫・塚】(佐賀県伊万里市山代町浦之崎・松浦鉄道【浦之崎・駅】西側)の存在を知ったのは、先のブログに書いていますので、其れらの部分等は省略致します。然るに、「学校内に於ける【イジメ】は、ダメ…「イジメ(虐め)た方も」、何時か…「下手をすると、虐められている人の方からの…【返り討ち】…に合う可能性も否定出来ない。而して、「学校でのイジメは…何時の時代に有っても絶対に駄目」…で在る。

 

…中学校時代の事として…

…「学校内でのイジメは絶対にダメ」…と言う意味に於いて、尚、私が中学校の時代の隣り町の同学年の人の話…つまり、其の人の体験談を交えて私が感じた事を此処に少し記す事と致します。 其の…「イジメ(虐め)られる側」…は…逃げ場が無い」(友だち以外は無関心で有る)…と言う事に付いてで在るが…然るに、私が中学三年の時の、 或日の事。下校の時に同じ帰り道だった事から、隣り町の丸屋君(同学年)と一緒に帰った事があった。此の時、…「俺は虐められている」…と、丸屋君は私に打ち明けました。丸屋君を虐めていた人も同学年であり、丸屋君の近所に住む大柄 (番長達と張りあっていた)な人であった。つまり…「時々お金を請求されていた」との事でした。…其のお金が用意出来なかった時…其の、「丸屋君は縛られて山に放置された」…との事 。其の時に感じた恐怖を語ってくれました。

…丸屋君の話に因ると…或日の下校の時、お金を要求されたが、「持っていない」と返事した処、「山の林や藪の中に縛られた儘に放置された」…そして段々暗く成るにつれ、普段は誰も通らぬ山の林、藪の中にあっては、「此のまま、自分は此処で死ぬ…かと思った」…と、子供ながらにも其の恐怖を覚えたとの事でした。何故、 「親や学校に訴えないのか」と訊くと…「其の後の仕返しが更に怖い」…との事だった。

…虐められても、其の逃げ場を知らなかった自分 としては…其の「丸屋君の話」は、つまり、「親や学校に訴える事の難しさ」に対し、私は納得出来た次第であった。然るに、私の父の教えは…「男なら、ヤラレても、其のまま帰るな」…であった。つまり、「イザ、と成れば、相手が強かろうが向かっていけ…逃げるな」で在った。

…社会人に成ってから…

…そんな意味(自分は佐賀県人で在るとして)もあって、後年、ふと、気になって読んだのが『葉隠』(著者・佐賀…鍋島藩士 山本常朝)だった。其れ迄は、「ハガクレ(葉隠)と聞くと、直ぐ…【武士道は死ぬ事と見付けたり】…と言う有名な語句が思い出されるのであったが、「何故・ハガクレ?なのか」と言う事が意味不明な儘にあって、自分としては、一度、気持ちの整理が必要だった。而して、其れ迄、本を読むと言う事にはサッパリ興味が無かったのであったが、私が集団就職(15歳の時)で大阪に来た時、其の六年前に、大阪へ仕事に来ていた兄が、私の仕事場(工場)の裏にあった会社(枚岡・春日神社の近辺)の寮にやって来て、「宏…本を読め」と言って、自分が其れ迄に読んだ本(経済関連…松下幸之助の著書等)を沢山持って来てくれた。然し、ダンボール箱に入れた儘、引っ越しの度に、ダンボールの儘、荷物として移動しながら私の手元に置いていた。或日(本を兄から受け取ってから約20数年を経過していた)をキッカケに、「宏…本を読め」と兄が言った事を思いだしたのでありました。それで、押し入れに入れていたダンボール箱の中の本を出して、読みやすそうな本から順次、全て読み終えたら、もっと他の本も読みいと言う気持ちが湧いて来た次第でありました。従って、其れ以後、「本を読む…楽しさ」を知った次第であります。

…【佐賀県人魂】…つまり…《「佐賀の人間は」…「イザ と言う時には 一歩も後へは引かない」》…と言う事を、私の子供の頃、何かの折には、何時も父が私に言っていたからで在るが、而して、「丸屋君の事に話を戻せば」…私とすれば…若し私が、退っ引き成らない程に虐められたとすれば、「我が親に対し、自分が虐められている」…と言う事は絶対に言えない問題であった。而して、「自分自身の心の弱さ」は、自分で解決するしか選ぶ道が無かったのて在る。然るに…丸屋君から…「自分は虐められている」…と言う事を聞かされた時…「丸屋君は凄いな」(自分の弱さを他人に言えるなんて)… と、私は、自分に無い物に感じ入った事を思い出しました。早い話が、私は…「自分が虐められても、絶対、親に訴えると言う選択の道が、既に、小学校の低学年頃から閉ざされていた」…ので在った。     (秀真 太郎
推して知るべし。尚、其の後に於ける「蕎麦処」に於いて、尚も其の奇遇的再度の…《際会byChance》(彼女からのメッセージを受け取った事)に起因し…「我がインナートリップの旅」に終止符を打つ新聞記事に遭遇する。つまり乃ち、「蕎麦処」の店の夕刊記事に掲載された「梅原猛氏」(【鳥居の語元に関する話)の記事を読み終えた瞬間、此れだと閃いた。そして私は、それ迄の「我がインナートリップの旅」(自分探しの旅は26歳の時に始まった)に終止符打ち、即、【鳥居】の語元究明に取り組む決心をしました。つまり、自分探しの旅とは~「我が胸の中に何かが蟠る物の正体探しの旅」だったのである。因みに、「我がインナートリップの旅」に終止符を打つ事が出来たのは、【際会=by Chance】(バイチャンス)的な彼女との出会いに起因します。其の最後の仕上げと成るのが、今年(平成25年元旦)に完成させた【ヤオ現在の八尾市の語元の語元図表】で在ります。その八尾市のヤオの語元とは、【死海文書】(昭和22年=1947年発見)の断片文字(レビ記3・12&4・27)として発見された文字の【ΙΑΩ】(ιαω/IHVH・ヘブル語ヤハウェの別称)が語元であった~


 

 

 



 
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