写真【伊万里市立山代西小学校・1年2組】(昭和29年=1954年)! | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

下段画像は、今から69年前(昭和29年)の伊万里市立山代西小学校【1年2組】(担任は女性の馬渡先生・最上段の左端?/小学1年のそれぞれ担任の先生達は最後の列に写っています)の写真です。因みに。左から「1年2組の馬渡先生」。「1年1組の木下先生」。「1年3組の長谷川先生?」。「1年4組の田代先生」と思いまする。

上段画像は、佐賀県伊万里市立「山代中学校」時代の近所等での遊び仲間(5人)です。つまり、昭和38年=1963年春の「集団就職列車」で大阪駅に着く。そこから就職先【株式会社・大軌クリーニング】(【大軌】の語元は~大阪電気軌道の略称/近畿日本鉄道=近鉄の直系の前身に当たる社名に由来)社長の自慢の自家用車(当時の日本の最高級車とされたプリンスグロリア)に乗り、直行した布施の職業安定所の駐車場で、その社長が撮ってくれた写真です~

就職先の近くには大きな【枚岡神社】(河内国一宮・旧社格は官幣大社/祭神は天児屋根命)がありました。因みに、その当時(30歳頃迄)の私は、神社等に何の興味も持っていませんでした。然し、大阪の河内(枚岡市=現在の東大阪市と八尾市)に来た事が縁(二つ以上のものが寄りついて関わりを持つ作用)で、或る女性と知り合い、それ以後、神社の起元ルーツの研究(それは昭和25年=1950年・3歳の夏にハマボウの花の木の語元を知りたいと思った事に起因する)に取り組む事となりました。因みに、【ハマボウの花】の木は現在【佐賀県の絶滅危惧種】に指定されています~

◆伊万里市立山代西小学校~【小学・1年2組】の写真撮影場所は、在りし日の「1年生の教室が並ぶ校舎(南側=右から1・2・3・4組迄あった)玄関前(運動場の東に位置す)です~因みに、下段の写真は【小学1年2組】(私は中段の中心から右側に居る)の画像です。

上段の画像は、昭和38年=1963年の春。それは「就職列車」が着いた大阪駅で降り、待っていた社長の車で直ぐ枚岡市(現在の東大阪市)の職業安定所に直行。そこの駐車場で、社長の自慢の自家用車の前に並ばされ、その社長が写してくれた写真です~

 

★現在、伊万里市「川南造船所事務所・跡地」東側の海岸に咲く【ハマボウの花】は、叔父が【焼塩製造】(1897年=明治30年頃/叔父の二十歳頃)を始める時に、伊万里湾の牧島海岸に自生していた苗木を3本を記念樹として等間隔に植えた木の花の種が何時しか流れ着いて繁殖したるのです~

 

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