日本人の聖書『三笠文」に記された【嘗事の章】(年中行事) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

『三笠文」~【嘗事の章】(年中行事)~

我が国の創建時幻の西暦1年目=神武天皇即位元年の新年は旧暦の「立春=正月」だった。従って、その前日が神道行事の最後、即ち、大晦日の【オニヤライ】神事(大晦日の鬼追祭/三笠文書 https://gejirin.com/mikasa09.html )、及び、翌朝正月を目出度く迎える為の【閉め縄】(〆縄)と【門松】が設置されました。つまり旧暦の正月は現在の西暦年(我が国は明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日=グレゴリオ暦1873年1月1日として西暦年に切り替えられた)より約1ケ月程襲い立春正月だった。それでも私が7歳(昭和29年)の時に初めて年賀状を親に書かされた時、旧暦時代に書かれていた文字「初春&立春」と書くよう教わりました(西暦年時の正月は冬の真っただ中に当たる)。それで我が国の国家として成立幻の西暦340年=崇神天皇即位元年した時代に設定されていた【年中行事】の事を此処に記す事と致します。

◆…ツキスミの志賀の命が兄弟(ヱト)のカミ(上)、(弟)より祝詞の故を請う。彼にトヨケ(豊受)の嘗(ナメ)事ぞ~。

★…】(兄&弟を先とするヱト暦を司る太占文言=トホカミ・エヒタメ最初の【】カミの嘗(ナメ)はネ(北)に、霜の中(11月中旬)、ヒウ(1鵜)を招けば、ヒツメ(日詰)カミ(上)、舵をネ(北)に引き、日を向かう。此の初嘗は、今のノト(祝詞)。コホシ(九星)祭て、をめくりに、黒豆ヰヒ(飯)の、チカラソウ(力沿う)。シワス(12月)、ハ(地)に満つ、木は根ざす。なお空寒く、月末は、カヰ(戎?)皆競い、やや開く。未だ空寒く、潤えず。やや嘗造る、ハニ(地・埴)水の、ヱ(縁)に柱立つ、カミ(God=YHVH/ヤハウェ)形(Y)。年分け(大・ミソカ=30日/旧暦12月30日)の夜の、豆を煎り、皆【鬼やらう】(追儺)、カ(日)を開き、「閉め引き塞ぎ」(注連縄)、生えユズ(諭り葉)の、麦に年越へ~

★…の嘗ナメは、ツサ(西南)にイナサ(東南風)の、初日(正月・初日)より、フウ(2鵜)をヤワ(柔)せて、オケラ(朮/菊科の多年草)焚き。ワカメ(若女)水汲み、シトキ(粢)餅。マガリ(鋺)カヤ(榧)栗、ウナ(畝菜)ところ。香ぐ芋カシラ(親芋)、【シム】300=カミの御霊)のより。

★…弓月の夜は、ヰ(井戸)の水に、ヌエ(萎)アシモシ(葦茂し)が、ガダ(怠慢)汚穢(オエ)を~①ゴケフ(御形)、②ハコベナ(繁縷)、③イタヒラナ(仏座)。④ススナ(蕪)、⑤ススシロ(大根)、⑥スセリ(芹)、⑦ナス(薺/ナズナ)。「ナミソ」数価730は日本建国創建史時代迄=景行天皇迄の意に除く、芽をオエ(生え)ば、望(望月)の明日はヒモロゲ(神籬/神事の祭祀)の、アズキ(小豆)の粥に、ヱヤミ(穢病)除け。ササオケ(酒桶)トンド(左義長)、カミ(上・God=ΙΑΩは八尾市の語元文字。その文字の出自は【死海文書】)の粥、【フトマニ】(太占)や。

★…キサラギ(2月)は、芽をほぼ柔し、兆しおふ。種貸祭る、【ヰ】成るカミ(稲荷神社のカミ)、乗り弓(騎射神事=流鏑馬)開き、モチ(望月)迄に、そこに吹き立つ、初日風。此れカミ形。

★…の嘗は、ミウ(3鵜)のア(始)を受け、キサラギ(如月=2月)の、中よりミウ(3鵜)の、目をヤワ(柔)せ、人草育つ、イト(糸)イウ(木綿)ぞ。弥生(3月)の始め、桃柳。ミキ(酒)ヒナ祭(雛祭)、ヱモギ餅(蓬餅)。タミ(民)苗代に、種を撒く。弥生中(3月中旬)より、陰ろいて、苗オイ(生)育つ、輪の中に、ミヒカリのアシ三光の葦/葦≒Y・ヨッド・yod・ iod・ jod~ギリシア 文字のIとYに当る)、中に満つ。此れカミYHVHは口にすベからずカミの御名の省略聖4文字形(輪の中の字形)。

★…の嘗は、鵜目のヰも水、ウツキ(5月)より、ウヲ(魚)を招きて、夏を告ぐ。ミハ(御衣)綿抜きて、月中ば、サ(夏)開き祭る、ヰ成(稲荷)るカミ(上)。末は葵の、メ(女性)を祭り、サツキ(5月/皐月)に諸葉、成るツユ(露)を、嘗んとエモギ(蓬)、アヤメ(菖蒲)吹く。サツサはイワタ(岩田帯)、ノリ(祝詞)はヰヰ(端午5月5日の節供)。皆そこに付す、メ(Y)の情け、此れカミ(God)形(輪の中のY字形)。

★…の嘗は、ハニミツ(埴水)閏ふ、皐月中、光通れば、カツメ(日詰)カミ、道を返して、ヒ(秘/非)を乞えば、御曳を招き、シラミチ(白道)の、姫を下して、ハ(地)に伏せば、競い上りて、サミダル(五月雨)る。青葉茂れば、永らえの、夏のカ(香)お受く、水無月(6月)は、ややハ(地)に満ちて、戦えば、雷熱く、末は尚、暑く乾けば、桃祭り。競い止むれば、姫開く、ホゾチ(臍地)チ(茅)の輪に、抜けつくる、ミナ(6月/水無月)の祓いぞ。

★カタチケタ(形桁/四角)、ア(天・始)のマテ(左右)の意の、中に立つ。国タシ(治)成るる、カミ形。ホのカミ常に、嘗受けて、ハ(地)のフメ(生芽)モリ(守)て、アフミ(7月=文月)マス(座す)、フメ(生芽)に柔して、風と為す。弓張(上弦の月)にウム(績む)、イウ(木綿)と麻、ヲトタナハタ(乙棚機姫)の星祭り。モチ(望月=満月)は御親と、イキタマ(生魂)に、胞衣(ミハ)のハ(衣)透けて、メヲ(夫婦)会えば、仰ぎ踊りて意を受くる。ホツミ(8月)初日(8月1日)は、受け回り、フメ(生芽)立つ風に、カヤ(茅・萱)を伏す。伏し荒れノワキ(野分)、ゾロヲエ(連なる汚穢)は、シナト(科戸)祭りに、野分打つ、ホヲ(穂汚)の祓いぞ、カタチハニ(形・地)。フハシラ(二柱)立てて、むつまじく、此れカミ形。

★…の嘗は、ア(天)の明かりモル(守る)、ホツキナカ(8月中)、ミメに研ぐ月、芋の子の、サワ(多)を祝いて、ナガツキ(9月)は、大年告げる、ココノミハ(九重の御衣)、重ねココクリ(菊栗)、ヒトヨミキ(一夜酒)、コモチ(小望)月には、豆を添ふ。望より寒る、ヲカ(御日)祭。マトカ(円)の中の、ミハシラ(太占図の中心に配置された3柱=ア・ウ・ワ)は、カ(彼)のカミ形(アメノミナカヌシ)。

★…の嘗は、その目タエ(妙=布)にて、カミナツキ(10月)。ウメ(鵜目)退けて、シグレ(時雨)なす。ややそこに満ち、ヲ(雄)お尽くす。彼ヲヲナムチ(大己貴命=大国主/日本書紀記載文字)。カナツキ(10月)に、ヌルテ(白膠木)を焚きて、諸カミに、モチヰ(餅・飯)施し、シモツキ(11月)は、やや目が昇る、霜柱。ヒラキ(柊)初草、蕾(ツボミ)さす、ハニ(地)より風の、人意立つ~此れカミ形。

★…ヒトセ(1年中)此れ、ヱト(兄弟暦)にはんべる、ミソ初期の倭暦は1ケ月30日/残り5日は宮清めで暦の日数から省かれ宮中の宮清めの日数に当てられた/5日=ヰカスリの座間神社は大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺に存在するのカミ。日々に変わりて、ムソカモル(2ケ月=60日守る)。ムワの嘗事、ウツロヰ(ヰカスリ…5日に関連する)の、年越えセマエ(世前)、大晦日。初ムカ(6日)ソヨカ(14日)、サ(5月)のミソカ(30日)。スベヒトセモル(総1年守)、嘗事ぞ是。斯くヱト(兄弟)の、【ト】太占図に配置されたトホカミ・ヱヒタメ最初の文字/ヱト=兄弟暦の語元文言の故は、アメ御親、ノリ(祝詞)して【ヱ】(兄)カミ、フユノモリ(冬の守)。【ト】(弟)カミは夏の、ゾロ(農作物・穀物)をモル(守)。長く人草潤せば、カミになぞらえ【ト】のタマ(魂・霊)に、名付く【ヤマト】(ヤマトの語元1947年に発見された死海文書に記すクムラン祭祀方式一巡年数価294であるのノト(祝詞神事)ならば、今サラカミ(極東列島に於ける新たなカミ=ΙΑΩ/八尾市の語元文字)の、ミコトノリ(詔)。受けて定る、道説けば、シガオチコチ(滋賀命・遠近)の 、モモツカサ(百司)、皆フミソメ(文染め=文書として書き記す)て、帰る此れかな 。

◆(下の画像は太占図)。その中心から2つ目円形枠に「星形✫七曜」的に配置された文字が、所謂神代文字(国語学者山田孝雄・論のイワユルジンナダイ文字の論)に言う【神代文字】の「トホカミ・エヒタメ」文言文字である。つまり、メソポタミア文明等(ヨーロッパ地域をも含む)で用いられた「星形七曜」(肉眼で見える惑星~火星・水星・木星・金星・土星と日・月を合わせた7つの天体図)に関連付け設定されていた!!

 

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