日本全国の度肝を抜くなら~「いまりで、決まり!」 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

★日本全国の度肝を抜くなら~「いまりで、決まり!」😀

伊万里(佐賀県いまり市)に、「所謂神代文字」(いわゆるジンダイ文字/国語学者の山田 孝雄・論)と言われた【神代文字】(物部文字は草書体も在る)が刻まれた遺物(石に刻まれた太占図=フトマニ図)が伊万里の楠久に在ったと、伊万里の或る人に訊きました。その神代文字が公(オオヤケ)になったのは、隠されていた文字で書かれた文書を「八耳王・厩戸皇子」(聖徳太子)が河内の枚岡神社と、四国のアワミヤ(琴平宮)から探し出した事に始まります。そしてその文字で書かれた文書を漢字に書き換え【先代旧事本紀大成経】(72巻本は当時の政権者だった推古女性天皇迄の内容)と題し、厩戸皇子が推古28年(AD620年)に完成させました。その後年、その文書の「旧事」や「帝紀」等を抜き出し編纂し、養老四年(AD720年)の時として元正女性天皇に奏上されたのが国史【日本紀】(ニホンギと読む)です。そしてその奏上の翌年に早速行われた日本紀の【講筵】(コウエン=講義の意&その場所)に於いてテクスト的に用いられたのが日本紀の下書き(清書前)文書でした。因みに、その【講筵】(恒例慣例)は、養老21年(721)~康保2年(965)頃迄、宮中でほぼ30年に1回行われていた。然しその【日本紀】は現在、逸書となっています。

つまり早い話が、養老四年に奏上された【日本紀】の底本は『先代旧事本紀大成経』(72巻本)だったと言う事であり、従って、『先代旧事本紀大成経』を偽書と言うのは本末転倒である。因みに、現在に言う現存『日本書紀』とは、その昔に逸書となった日本紀の講筵(恒例)で使用されていた「卜部本系統の写本伝承本」。及び熱田本等~即ち、先述の日本紀の講筵(恒例)でテクスト的に用いられた下書文書(清書前の文書)の写本伝承本(佐々木旧蔵本・田中本・岩崎本」等~10数種)を、明治30年~明治34年に編輯し、経済雑誌社から 国史大系 として 刊行された本の中の1つが、現在に言う『日本書紀』(国史大系第1巻)であった。

その昔、物部氏が曽我氏に敗れ秋田に逃れた以降、つまり早い話が、神代文字は弓削の道鏡の陰謀(765~767年/孝謙&称徳女帝時代)で焚書にされ、公の場から抹殺されました。だが、佐賀(鍋島)の「潮音道海禅師」(ちょうおんどうかいぜんじ/1628年=寛永5年に佐賀県で生まれ13歳で出家/黄檗宗の僧/肥前小城郡)が、その『先代旧事本紀大成経』(72巻本)を出版(『先代旧事本紀大成経』は偽書ではありません。禁書にされたのは伊勢神宮とのトラブルに起因する)した事に因って、現在に蘇っています。

『日本書紀』の底本(ジンダイモジ文書=ホツマツタヱ)である『ホツマツタヱ』に記載されている「カイジン」(海人・ワダツミは豊玉姫の父/娘の豊玉姫は山幸彦=彦ホホデミ尊の妻で初代神武天皇の父方の祖母に当る)は有明海北西部(卑弥呼時代初期=AD185年頃に世襲制の卑弥呼が登場する)を先ず拠点地としていた。そして、良質の黒曜石の産地だった地域へ進出し其処を【ゐまり】(伊万里市の語元/語元は創世記49・9~10に記す預言「イエバシロー」とはシロ=メシアが来る意)と命名し、我が国最初の海軍を創設(卑弥呼の使者を載せた水軍でもある)する。つまり、【魏志倭人伝】に記述されている「末廬国」(マツラクニは後に言う佐賀県の松浦郡の語元となる)の水軍の拠点地とする伊万里港を、世界(ユーラシア大陸)に向けた表玄関として設定し、極東列島の地図(北海道を除くが北海道モンベツ郡遠軽町字上白滝から産出する黒曜石は押さえていた)が作成(行基図として現在は保存済み/画像在り)されました~

その、「所謂神代文字」(イワユルジンダイ文字)で書かれた本が『秀真伝』(ホツマツタヱ)と題し、戦後(第二次世界大戦終了後)の1966年=昭和41年8月に松本善之助氏によって再発見されました。その最初の発見に起因する本、つまり「小笠原長武氏に因る奉呈文書」(画像・右)は、内閣文庫所蔵本(写本時代は1868年・慶応4年〜1921年・大正10年) として既に保存済であった~ 

因みに、その再発見に至った文書は現在、その発見地に近い滋賀県の【中江藤樹(トウジュ)記念館】に保存されています~😀 

 

 

★【松浦】(佐賀県)の初出は、魏志倭人伝(280~297)に記す「末廬国」(末=松が正しい/万葉集873~875でも麻通良=【松浦】と記されている)。その語元は、筑紫(最初は九州全体を指す呼称だった)の「32アガタ=県」を統括し、有明海北西部(大型甕棺墓時代の吉野ケ里遺跡に関連する)を居住地としていた「ワダツミ=ハデツミ」(海神/神武天皇の父の父)の娘の豊玉姫を后とする山幸彦(彦ホホデミ尊)が率いた水軍(後に言う住吉水軍の祖)の王【松の君】(波乗り彦=松の木のコブ的筋肉隆々で八十力の持ち主を有す長身者集団を率いていた人物)の呼称に起因します。因みに、【松の君】水軍の伊万里に於ける痕跡は、任那を助ける為の高句麗との戦(広開土王碑文に明記)を終え帰還した事を記念し、伊万里に神社が建立された事であります。つまり、その史実を記す文書が『伊万里市史』に記載されている「神功皇后さんと木超(オコ)し神社・伝承」(牧島地区の歴史伝承)です。因みに、「松の木起し」の語意は、神功皇后(紀)に記す文言~つまり、≪神功皇后9年秋・時皇后親執斧鉞、令三軍曰「金鼓無節・旌旗錯亂、則士卒不整≫(カネツヅミ、ワイタメなし=カネをならしてもせつどがなくなり、ハタがサクランしたら、イクサのヒト=つまり松の君が率いる水軍どもの士気が整わない意/戦を前にして士気をたかめろと言う叱咤文言)を示唆する文言に起因します~!!😀

因みに、我が国が世界的極東(ヤマトの語元)に位置する事を知って創建されるに至ったルーツは、ヘロデ王の第7年(紀元前31年)にユダヤ地域を襲った大地震(エピファニー/カミの顕現)で破壊されたクムラン集会所を捨て、【死海文書】(1947年にクムラン洞穴から出土)を隠し残しエゼキエルの預言(極東崇拝思想)に従い極東列島到へ移動して来たからである。そしてその目的は、エゼキエルの預言(エゼキエル書43・2⇒ The glory of the God of israel came fr)に従って理想郷国、即ち【太陽の国】を創建する為であつた。それで極島列島(有明海北西部)に到着後、移動以前(紀元前2世紀中頃)から既に設定済みだった文言助詞「テ.ニ.オ.ハ」(ダニエル書5・24~28文言数価1191を語元とする)に因る文言を極東列島での共通語として設定した大祭司アラヒトは、到着値点の北側に位置す港地域名を「ゐまり」(良質の黒曜石の産出地/「ゐまり」の語元はメシア来臨数価358=創世記49・9~10に記す「シロ=メシアが来る」意)命名し、国際的表玄関と位置付けた。そして、アマ(海人)系水軍の王【松の君】(現在の佐賀県松浦郡の語元)の船にて、列島周囲の島を拠点に列島本土に分け入り、極東列島の大まかな全体図、即ち~「大八州」(オオヤシマ)とする「淡路・伊予.阿波・ツクシ九州・隠岐.佐渡・大州?・吉備・対馬.壱岐」(北海道は除く)地図を作成する。以て、我が国は「磯輪(シワ)上(カミ)の秀真(ホツマ)国」と呼ばれたと神武紀31年条に記載されています~。

★『ホツマツタヱ』~その「アワ歌・アイウエオ」の記号文字(ホツマ文字=所謂神代文字)は、ユークリッドの『原論』(ギリシア語ストイケイアの著者=エウクレイデスはプトレマイオス1世治世下のアレクサンドリアで活動していた)内容に起因します。ちなみに、その当時はギリシア語訳聖書(72巻本)が作成された時代に当ります~

ヤマト言葉を書き表す幾何学的【ホツマ文字】の母音記号文字「〇・冂・◮・.弓・口」(ア.イ.ウ.エ.オ)の形状は、プラトン多面体(5種類~火.◮/土=地.口/水.弓)を用い設定された。そしてその「ソラ=空」の記号「マル=〇」の形状は円形に近い正12面体&正20面体に関連付けて作製された。そして子音記号(・H/IH/Y/H)は、Godヤハウェを言い表す文言文字の省略文字、即ち、テトラグラマトン(聖4文字~IHVH&YHVH)、その最初の頭2文字(ヨッド記号を用いて・H/IH/YH~ヨッド文字はΑと取り換え可能)文字を取り込んだ。更に、Godを意味す「初めと終り」の意とする「A&Τ」(十の記号はタウ=Tと同義的記号である)の「T」(Aはヘブル文字のヨッド的点記号としてアの母音記号とする)字を取り込み設定しました。つまり、最初の子音の点記号【・】は、ヘブル文字のヨッド(yod・ iod・ jod/ヨッドはAと交換出来た)の意です。尚、子音記号最後の菱形【◇】は、「天と地」の意の【地】を意味する形状とする。

従って、ホツマ【アワ(天地)歌】の文字配列は、ホツマ文字の母音と子音配列順をギリシアのイオニア式文字配列順方式に合致させるを以て、「口伝教義」ゲマトリア数価(数価合計で意味を解す数秘術)の使用を容易にする為に並べ変えられました。そして、ヤマト言葉に因る「1文字数価単語」(天忍穗耳尊系物部氏族に伝承された◆ヒフミ鎮魂歌神事文言)として設定(造語)されました。

◆【1文字・数価言語】~「ヒ8+フ13+ミ10+ヨ5+ヰ19+ム15+ナ4+ヤ23+コ22+ト2+モ1+チ16+ロ3=141」。+ト迄(55)数えて(55+141=196)震え唯~「フル」(フ91+ル78=169+ト迄の合計196=1年循環法則数価365は秀真の語元数価)の事ぞとミコトノリ(詔/ホツマ第20章)~。

つまり、「既に罷るも蘇る」(生き返る)とは、1年循環(春夏秋冬)法則数価365の日数基づき~即ち、春になれば「枯れた植物等は蘇る」と言う意を示唆する神事(当時は立春正月だったから大晦日頃の神事?)であった。🌸

ヤマト言葉に因る【1文字・数価言語】の設定方式は、ギリシアのイオニア式文字配列順に並べ替えた「ア・ワの歌」(天・地の歌/ https://gejirin.com/hotuma01.html )の文字配列順を用い設定されました~。

 

 

 

 

 

  

 

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