石積之郷 | 根多帖別冊 by おしろまん

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おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
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近江国の坂本城の三ノ丸の敷地であったといわれる区域から石垣が出土し、明智光秀の坂本城のものだと発表され現地説明会が行われた。

 

行ってきた。整理券配布予定時刻ちょうどに着いたのだが、450人の予定を拡大して600人に配布した整理券を貰えず説明を聴くことができなかった。

 

「説明会の後、見学だけならばいいですよ」

 

という恩着せがましいことを言われて、現説終了まで坂本の町を見て廻ることにした。

上・日吉大社の参道北側の石垣 鏡石?

下・旧白毫院の石垣 枡形門?

坂本の町にはこういった石垣がたくさん残っているのは知っていたがまさかここまでとは…。

それもそのはず、坂本は 城石垣の集団として著名な 穴太衆 の本拠なのである。

だから実見するまで、今回発掘された石垣が「坂本城のものである」という発表には疑問があった。

 

で、実見した 坂本城 とされる石垣だが…。

新聞など報道で踊らされているひとたちはともかく、現場の担当者がそのあたりを精査せず

「明智の城!新発見」とぶち上げていることに多少ヤバさを感じる。

 

石垣の角度や横目地の入り方はまず織豊だし、転用石が使われることを考えれば明智期である可能性は高いとは思うが、背後の溝やNS(地山)の高さを考えると

 

織豊以前 明智以前 明智以降 織豊以降 城遺構以外

 

様々な仮説ができると思うのだが…