「犯人の捜査は警察に任せるとして、だ。動機がクーの財産目当てだった場合、最上君本人が危険に晒される事にならないか?」


「は? 私がですか?」


「財産目当てで最上君に無体を働こうとする輩が出て来る可能性もあるし、不破のあの態度からすると、不破本人が勝手な理屈で最上君に結婚を強いる可能性も高くなると思うぞ」


「嫌ですっ!」


 即座に叫んだキョーコに、蓮は内心で安堵しながらも、キョーコの決意を確かなものにする為に、外堀を埋めに掛かる。


「不破本人を君が嫌だと思っていても、お世話になった人達から頼まれて、君ははっきり拒絶できる?」


「え……」


「君を与って育ててくれた旅館の女将さんは、君と不破を結婚させて君に女将を継がせたいと思っているようだったよね。それに、君が好きな相手を不破だと思っているみたいだし。君の性格で、お世話になった人達の意向を拒絶できるの?」


 蓮の言葉に、キョーコが詰まる。気持ちとしては、松太郎との結婚など、今となっては死んでも御免だが、中学卒業まで育ててくれた女将への恩義はあるし、恩人の頼みを無碍には出来ないと思っている。キョーコの葛藤を見て取った蓮は、社長に向かって口を開いた。


「社長」


「うん?」


「不破のご両親には、息子が最上さんに対して何をしたのかを、報せる必要があるんじゃないですか?」


「不破 尚、いや、松太郎というのか? 彼は最上君に何かしたのか?」


 社長の視線がキョーコに向いたが、キョーコは自分の愚かさを晒すようで言葉にするのが躊躇われる。蓮はキョーコの様子に小さく溜息を吐いて口を開いた。


「地元にいた頃は、不破が周囲の女の子に人気があった為に、最上さんはその家に居候しているからと邪魔に思われて苛めに遭っていたそうですが、気付かなかったのか、増長させたのか、不破は自分の所為だとも思っていなかったらしいですよ。中学卒業と同時に上京した後も、最上さんだけにアルバイトをさせて、家賃やら生活費やらを稼がせて、家事も全部やらせて、家政婦扱いだったのだそうです。挙句、デビューが決まると最上さんを邪魔にして捨てたのだとか」


「!」


 宝田が目を瞠る一方で、社が遠い目をする。


「そういえば、3年前の『ダーク・ムーン』の撮影スタジオに、でっかい花束持って乗り込んで来た事があったなぁ」


「花束? 不破は『ダーク・ムーン』に関わりを持っていたのか?」


 派手好きの社長の琴線に触れた単語があったらしいが、続けられたエピソードに硬直した。


「『ダーク・ムーン』に不破の関係者はいませんでしたよ。丁度バレンタインデーで、不破はキョーコちゃんが他の男にチョコを贈った誤解してお祝いと称して顔を出したんです。何でもキョーコちゃんの話だと脅迫されて贈らされたらしいですが。で、誤解と知った不破は、公衆の面前でキョーコちゃんにキスしたんです。それもディープなやつを!」


 目を剥く宝田に、蓮も社も溜息を吐いてみせ、キョーコは冷や汗を流した。痛ましげな視線を向けてくる社長に、キョーコは顔の前で両手を振ってみせた。


「大丈夫です。気にしてませんから。それにあの時、敦賀さんが仰って下さったんです。『気持ちの伴わないものは唯の唇の接触でキスじゃない。だからあいつのした事はファースト・キスにカウントする事ないんだ』って。アリクイに口移しで餌をやったと思う事にしましたから」


 宝田は蓮を見遣り、劃された本心はお見通しだぞ、という表情をした。蓮は肩を竦めてそれに返しただけだ。揶揄ったのに淡白な反応をされて面白くないと思ったのか、宝田はまだその話題を引き摺る。


「不破がそんな行動に出た動機はなんだ?」


「子供っぽい独占欲と、俺への嫌がらせ、ですね」


 納得したような表情をする社長と社とは逆に、キョーコは意味が解らず不思議そうにしている。


「ショータローがどうして私に独占欲などを持つのでしょう?」


「昨日も言ってたじゃないか。『キョーコは俺のモンだ』って。君の中であの時の事がファースト・キスと認識されれば、キスという言葉に関連して、芋蔓式に不破を思い出し不愉快になる。彼への不快感で頭をいっぱいにして、他の事を考える余地が無くなるんじゃないのか?」


 そういえば、そうだ。あの現場で、キョーコは出演者ではないから撮影に迷惑を掛ける事はなかったが、蓮に言って貰った言葉がなければその場を動く事も出来ないくらいのショックから立ち直れなかったし、その後の蓮の〝悪戯”がなければショータローがした事が頭から離れないままで過ごしたかも知れない。蓮の〝悪戯”の衝撃の方が大きくて、お蔭でショータローが仕出かした事などその後思い出しもせずにいられたのも確かだった。
 松太郎の独占欲には反応しでも、蓮への嫌がらせという言葉に反応する気配のないキョーコに、宝田と社の同情の視線が蓮に向く。蓮はと云えば、キョーコの反応など最初から承知しているとばかりに涼しい表情だ。蓮にとってはそんな事よりも気になる事があったのだ。


「それで、社長、社さん?」


「「ん?」」


 蓮の声に改まったモノを感じた二人は同時に反応した。


「最上さんの部屋の鍵が壊されていたという事でしたが、荒されていたんですか? 警察には?」


「ああ、うん。俺が見つけて、警察に届ける前に社長に電話したら、他ならぬキョーコちゃんの部屋だから、警視庁捜査一課だっけ? 関係がないとは言い切れないからって直接報せたんだ。で、キョーコちゃんと連絡取ろうとしたら連絡が付かなかったという事態で……。社長、刑事さんたちへの連絡は……」


「セバスチャンが済ませた。早く来て貰ったのは、最上君の部屋から失くなっている物とかないか確認して欲しいと警察から言われているから、今日は蓮の付き人は休むようにって事と、今夜からの君の宿の事で……」


「ホテルじゃ困るでしょうし、社長のお宅じゃ人の出入りが多過ぎませんか?」


「うちはセキュリティがしっかりしてるぞ」


「でも事件があったのも社長のお宅ですよ。迎賓館とはいえ」


「む」


「引っ越し先が決まるまで、うちのゲスト・ルームに泊まると良い。私物ならゲスト・ルームに納まるだろうし、家具の類も納戸に空きスペースがあるから部屋が見つかるまで置いておけばいいよ」


「ご迷惑じゃ……」


「俺としては助かるけど? 君のデビューが決まるまでは俺の付き人続けてくれるだろうし、そうなれば俺の部屋に君がいる方が都合が良いんだよね。迎えに行ったり待ち合わせたりする手間が省けるし、君が唯の居候で済ませる筈ないから、食事を作って貰えるだろうし」


「こらっ 待てっ 蓮!」


「何か? 社さん」


 キョーコに向けていた顔を社に振り向かせた蓮は、キュラキュラと光の矢を放っている。キョーコを言い包めている最中を邪魔されて不機嫌になったらしい。蓮の思惑も解るが、常識として未婚の恋人同士でもない男女が同じマンションの一室で同居(同棲?)するなど以ての外だと、社は思わず止めに入ったのだ。


「どういう意味合いにしろ、最上さんが狙われる可能性がある以上、一人にさせるのは危険です。最上さんは他人の悪意に対して無防備過ぎますからね」


「そんな事ありませんよ?」


 控え目に否定するキョーコに、社も社長も視線を向けて、蓮の顔を見直し、深く頷いた。


「リスクはスキャンダルだけか。……最上君の売り込みのコンセプトからすると、蓮と同じマンションに住んでいるのは、ステイタスにはなってもマイナス・イメージにはならんしな。あのマンションの下の階に最上君の新しい部屋を用意しよう」


「そんなっ! 私などには分不相応です、あんな高級億ション!」


「君をプロディースするにあたって、住む部屋に至るまで事務所の意向に従って貰う。家賃も経費だと思いたまえ。いずれ稼ぐようになってから返してくれればいい」


 反論は出来ず、さりとて納得もしていないキョーコの様子に、蓮が口を開いた。


「君が目指しているのは?」


「え? はい。敦賀さんと対等に演技の出来る女優になる事です」


 誇らしげに目標を口にするキョーコに、蓮はふわりと笑い、次いで不敵な笑みを浮かべた。


「俺と同等に演技が出来る、ね。今現在の俺はあのマンションの最上階に住んで負担を感じていないよ。俺としては、君が追い付くまでにもっと上にいっている予定なんだ。その俺と同等で、売れていないわけがないだろう?」


「あ……」


「分不相応だの何のと言っている間に、俺に追いつくように、精進して自分を磨く事だね」


「……はい」


 蓮の言葉に納得したらしいキョーコは、瞳の輝きまで変わっていた。蓮の見事な手腕に、社は脱帽する思いだった。キョーコの瞳に強い輝きが宿った事で、宝田社長も満足したのか、有耶無耶の内に引っ越すまでは蓮の部屋に同居と決まってしまっていた。
 キョーコにはセバスチャンが付いて警察立会いの確認作業に行く事になり、昼食用に用意していた弁当を社に預けて出掛けて行った。


「随分大きな包みだな」


 蓮の小食ぶりを知っている社長は、どう見ても3人分では収まらない量を見て呆れたように言う。


「予定だと、昼食を摂ってから現場へ移動でしたから、多分、俺達の分だけじゃないんだと思いますよ」


 キョーコの気遣いを、嬉しそうに言う蓮の表情はとても優しくて蕩けそうだ。やっと素直になったか、と小さく息を吐いた宝田がマネージャーを見遣ると、社は大口を開けて砂を吐いている。この程度で修行が足りない事だ、と思う一方で、作り物めいていた敦賀 蓮が、随分と人間らしい表情をするようになったものだとも思う。本気の恋愛感情というものを知らなかった蓮が『ダーク・ムーン』の嘉月を演じるのは無理だと思って反対した頃が嘘のように、蓮は恋に翻弄されてキョーコの存在に振り回されている。その分、愛を演じる深みも増した。心底惚れ込んでいる証明のように、元々キョーコの料理の腕前が良い事もあって、がっちり胃袋まで掴んでいる。食事に興味の薄かった蓮が、キョーコの用意した食事は完食するのだ。蓮にとってキョーコの存在は確実にプラス要素だ。


「まだ時間の余裕もあるし、社は事務所に寄った方が都合が良いだろう? あそこなら最上君の料理のお零れにあり付けるとなれば、喜ぶ奴も多かろう」


「では、我々も失礼します」


 あっさりと席を立つ蓮と社に、社長は苦笑する。


「おう。間違いなく最上君は蓮のマンションに荷物毎送り込んでやるよ」


 にやりと口元を歪めて言う宝田に、蓮はふっと笑って小さく会釈だけを返した。後ろ手に右手を振りながら社と共に立ち去る蓮の後姿に、今までにない余裕を感じて、宝田は僅かな違和感を覚える。
 蓮の恋愛事情へ向きそうになる意識を、宝田は敢えて事件に向けた。クオンを名乗り放蕩を繰り返していた男が殺された理由が何か、警察も自分達も掴んではいない。その理由如何では、キョーコや蓮にガードを着ける必要が出て来るのだが、取り越し苦労だった場合、スキャンダルにも発展し兼ねないが故に、早急に動く事にはリスクを伴う事になる。


「事が『クオン・ヒズリ』絡みとなると、調査会社を使うわけにもいかんし。そうなると動けるのはセバスチャンくらいだが、今日は最上君に着けたし、まぁ、警察から情報を引き出すくらいの芸当は出来るかも知れんし、無駄という事もあるまい」


 事件の発展状況に拠っては、キョーコのデビューを先送りにしなければならない事態が起こる可能性もある。何はともあれ、事件がキョーコに要らないスキャンダルを齎さない事を祈るしか、今出来る事はなかった。




続く





 スキビ仕様にしたら、元の話にはなかったシーンが増える~~(-"-;A

 この調子だと、2段102ページの話がとんでもなく長くなりそうでコワイです(。>0<。)