気が付けば2年半以上もの間放置してしまいました。

 目の手術後、回復は順調と言えると思います。

 唯、先天性の弱視故に、普通の人の感覚で言う『視力回復』とは程遠い状態です。

 人工水晶体を挿入してから、紫外線に極端に弱くなってしまったので、ガーデニングが出来ません。

 紫外線避けのサングラスを掛けると、視界が不自由で時には危ない事もあり、出来なくなってしまいました。

 網膜剥離を起こしていて緊急手術をして頂いた左目は、術後経過の診察で手術をしてくださった方とは違う先生の診察を受けた際に炎症を見逃され、元々組織の弱い私の眼はそれを機に回復出来なくなり、光が判る程度まで視力が落ちてしまいました。

 残った右目は人工水晶体を入れた後、時間を掛けて時折0.2まで見える事がある、程度までしか視力は上がりません。

 0.15くらいの視力は小学生の頃以来なので、40年ぶりくらいです。

 視力の事でも少々、加えて父が認知症でボケかましまくり、同居して面倒を見ていた実の娘忘れて面倒なんて見てなかった嫁を憶えていたという目に遭わされて、流石に精神的に参りました。

 

 ストックして置いたプロットや下書きのメモリが壊れてしまい、スキビが書けなくなったので、現実逃避に別ジャンルに手を出してそちらに嵌っている間に、気が付けば3年弱の年月が流れておりました。

 いっその事、とサイトは改装して引っ越しも済ませました。

 サイトの方は現在は別ジャンルがメインになっていますが、亜梨沙はサーファーなので、スキビの波がいつ来るかは不明です。

 波が来ればある日いきなりスキビも再開するという気まぐれです。

 寛容なお心で見守ってやって頂けると嬉しいです。

 

 

 ご無沙汰を致しております。


 11月26日の右目の手術以降、ゲームには参加するようになっておりましたが、コミュニケーションを殆ど持ちませんで。色々失礼致しておりました。

 右目の手術は、網膜剥離は起こしていなかったのです(手術中に判明)が、水晶体を包む膜が脆過ぎて人工水晶体を入れる事が出来ませんでした。その為、焦点が合わず、文字が読めなかったのです。

 チャットなんてとても出来ません。

 ゲームも数値が読めないので、行き当たりばったり、偶々上手くいった、の繰り返しです(笑)

 現在こうしてブログを書いておりますが、物凄~~~く拡大して変換後の文字を読みながら書いている次第です。

 ちなみに変換候補を読む事も出来ません。2cm角の文字がぼけているという状態なので、システムの文字サイズをそこまで上げると、一部の文字しか見えなくなってしまうので、操作が困るという…………便利機能が使えないです、ハイ A^-^:)

 キーボードは、元々ブラインド・タッチが辛うじて出来ましたので、使える状態ですww

 何故、そんな視力でパソが弄れるのか?

 そりゃ、覚えてますからね。

 正しい色には見えませんが色の区別は付くので、大凡の位置は判ります。で、何がどの順番で並んでいるか、よく使うところは覚えているので、そんなに困らないです。

 手術前のようには使えませんが。

 漫画とかも見えないので、専ら、暇潰しは編み物になりました。

 医者の待ち時間とか、かぎ針でモチーフを編んでいます。ちなみに毛糸もぼけているし編み目なんて全然見えてません。手触りです。指先の感覚の訓練になりますし、暇潰しになりますので、大分モチーフ溜まりましたよ(笑)

 最近は編み物をする人が少ないからと、何故か感心されてしまいましたし、中には思い出話を始められる方もいました。

 まぁ。もう何年も前から、自分で編むより買った方が安いのがニット物、に定着してきていますしね。編み物は贅沢な趣味になっているという状態なんでしょうね。


 パソはデスクトップとノートと2台持っていたのですが、何故かノートが壊れてしまったので、母が機器が変わると覚え直さなくちゃだから無理だ、と泣き言を言い出しました。なので、パソコン教室は中止になりました(笑)


 右目の手術から2カ月余り、視力検査の際にレンズを使って辛うじて0.2がなんとか見えるまでに回復しました。水晶体を包む膜は無理にレンズを入れると破れて炎症を起こす可能性が高く、かといってこれ以上水晶体がない状態は、脳に無理が掛かってしまうようです。

 最近、頭痛が起こるのです。

 亜梨沙は元々弱視なのですが、小さい頃は近くの物はまともに見えていました。その頃の記憶を元に、見える世界を頭が勝手に修正しているらしいのです。

 手術から2ヵ月余り経ちますが、水晶体がないと色がまともに見えません。ここ1,2週間くらい、覚えている物の色がまともに、水晶体を抜く前の色に戻ったのです。機能的にはあり得ません。頭が記憶を元に色の修正を行っているようです。

 覚えていなかった物は、修正されずにそのまま見えるようですが、身の回りの物の色が修正されるに連れて頭痛が起こる事も増えました。

 くも膜下動脈瘤破裂後、細かく脳梗塞などを起こしているのでしょう、記憶量、記憶力、共に落ちているし、無理をすると発熱します。脳の冷却作用が追い付かないのでしょうね。

 亜梨沙の脳が視界を修正する働きは、意志の力でどうこう出来るものではないので、負担を減らす事は事実上不可能です。

 そろそろ亜梨沙の頭の限界が近付いてきておりますので、ここらが手術時のようです。

 手術、人工レンズを入れる手術です。

 膜が脆くて破れる可能性が高い為、膜の中に挿入れるのではなく、水晶体の厚みを調節する筋肉に縫い付けます。

 先生の見込みでは1時間半位との事です。

 くも膜下手術後の処置の為に使った鎮痛剤の後遺症で、麻酔が効き難い亜梨沙。

 左目の網膜剥離手術ほど長くはなくとも、このところ負担が掛かっていた亜梨沙の脳味噌は、あの時ほどの耐性はないと思います。

 耐性のなさはそのままイコール命に関わります。

 間違うと帰って来れないという事に繋がります。

 耐性が残っているうちに手術をしてしまわないと、マジ命に関わるので、もう暫く我慢すればもう少し視力が上がる可能性もあるのですが、命あってのモノダネです。


 明日、人工レンズ装着手術を受けて参ります。

 術後、何事もなければ、間違いなく視力が戻るので、そうしたらまた帰ってきます。

 亜梨沙は目の組織そのものが弱いので、トラブルが起こらないという保証もないです。

 トラブルがあれば、復帰は果たしていつになるか、先生にも見当は付かないとの事でした。


 命運だけは強い亜梨沙ですから、無事に帰ってくるとは思いますが、何時になるかは本当に現段階では見当が付きません。


 過剰に心配すると、後で『あんなに心配して損した』なんて可能性もあります(笑)

 取り敢えず、明日、頑張ってきます。

 本当に大変なのは、亜梨沙の奇形な目を手術しなければならない先生の方です。

 先生の体調が万全であるように祈るのみです。





 

 ご心配をおかけ致します。

 再びの目の手術です。


 このところネット環境が復活してライフやアイランド、カフェ、ワールドへの挑戦を始めたところだったのですが、目の手術が控えていまして、左目の視力は回復しているとは言い難く、またしても参加できなくなってしまいます。

 ギフトたくさん頂いていたのに、お礼をしている暇も余裕もありませんm(_ _;)m

 申し訳ありません。

 多過ぎて対応しきれません(泣)

 完全復帰してから改めてお礼をさせて下さい。

 お休みしている間に有料ギフトはSNS認証が必要になっているんでしょうか。

 何やら面倒な事に(・・;)

 遅れを取ってしまいました。



 Amebaの再開期日の目途は現時点では立ちません。



 先月受けた左目の手術後、まだ人工水晶体を入れていませんので、見え難いし、傷も治ったとも言えません。

 明るい所以外では人影の判別も付けられません。

 元々、左目の方は意識して見る力が極端に弱くて、景色を映すだけ状態だったのですが、歩くくらいは出来たんです。

 現在は左目だけでは歩けません(T_T)


 先月、左目の網膜剥離と白内障の手術を受けたのですが、2回目の血抜きの

手術の際に、人工水晶体(シリコン樹脂製)を入れるまでに至っておりません。水晶体やガラス体の代わりに入れてあるシリコンオイルを抜くと眼圧が下がって網膜が再剥離してしまう恐れがある為、網膜癒着が落ち着くまで様子を見て再手術の予定です。

 予定では来年に入ってからとの事ですが。状態を見ながら場合によっては緊急手術も視野に入っているようです。

 

 視力を失う時に、色が見えなくなる段階というのがあるんですが、見えるようになっていくのは逆の順序みたいです。

 1回目の手術後、眼球内に出血している為、視界が遮られているし、普通でも角膜に傷を付けて白内障の手術が行われます。

 亜梨沙の場合は水晶体が濁っているだけでなくて固くなってしまっていた為、超音波で崩した水晶体を注射針で吸い出す普通の手順を行う事が出来ず、水晶体の下を切って掻き出しました。更に網膜に開いた穿孔(ガラス体が網膜の後ろに流れ込んだ原因)を塞ぐ為に、角膜を剥がしました。故に亜梨沙の左目は、角膜ばかりでなく傷だらけだったのです。

 翌日には、光を当てられて明滅を繰り返された時に、朱色がポカポカと明滅している事が解りましたから、『光が戻れば成功』という基準からすれば十分に成句だったのです。

 朱色が映らなかった視野では薄いオレンジ色が暗い中に激しく目ボタル状態でした。

 数日後には、目ボタル状態の色が緑を帯びてきました。 

 2回目の手術では血抜きだけでした。

 が、

 その血抜きに拠って視界を遮っていた影が消えて、視界が開けました。視界に白や黒が見えるようになり、肌色や鮮やかな色は明るい所でなら見えるようになりました。

 そうして、花の黄色、オレンジが見え、服なども鮮やかなピンクが見え、晴れた空の色が見えた時は、確実に網膜が生き返ってきたのだと知れ、嬉しかったです。

 何しろ手術前の検査では、網膜が電流に反応しない為、光が戻れば御の字だと言われていましたから。

 尤も順風満帆に回復しているとも言い難い状態ではあります。

 亜梨沙は6年前の手術と入院を機に、元々出難かった血管が細くなり、座った状態での点滴は入り難くて、すぐに漏れてしまい必要量の点滴が出来ずに、途中で切り上げる事を繰り返した為、シリコンオイルに対して炎症を起こしてしまったので、免疫抑制剤を使っています。

 この時期って、大抵は亜梨沙は風邪を曳くんですが、アレルギー性の喘息持ちなので風邪が咳になると必ず喘息になり、そうなると目の手術を受けられないのです。

 免疫抑制剤を使っているのに風邪曳いちゃいけないってかなりしんどいですよ?


 それなのに、11月26日に、右目の手術です。

 左ほど酷くないのですが、右目でも網膜剥離が始まっているそうなので、術後、暫くの間は完全に右目が使えなくなり、盲目と変わらなくなります。

 傷が治癒するまで、スマホもPCもできません。

 日常生活にも支障をきたしてしまうのは勿論、活字中毒の禁断症状が出る事は確実です(笑)
 安静にしていないと回復が遅いし暇は持て余すし、なかなか忍耐が必要になりますよね(笑)

 見えないと、音楽を聴くか食べる事しか楽しみがなくなってしまうのですけど、お酒は飲んじゃいけないし、亜梨沙は味に煩いので美味しい食事は滅多に出来ないし、後遺症で自分で料理出来なくなっていますし、音楽は亜梨沙のリアル部屋を占拠している母が嫌いだし(笑)

 目隠し碁みたいに、頭の中で覚えていられればゲームも出来ますけど、そんな記憶力なくなってますからねぇ(;^_^A

 本気でPC覚える気になっている母に教えるくらいしか出来る事がないかなぁ。


 

 大変ご無沙汰致しております。

 漸くの更新で、スキビを書けなくて申し訳ありません。


 この度、亜梨沙、左目の視力をいきなり失いまして、眼科に診察に行ったところ、今日の今日「手術しましょう」、と言われました。

 それが先週の事です。

 開いてみないと判らないと言われてしまいましたが、開けてびっくり玉手箱(←?)

 白内障がひどいと最初は思われていたのですが、水晶体が硬質化していて超音波で砕く事が出来ず、切開して取り除いてみれば、ガラス体がなく網膜剥離して水晶体のすぐ後ろまで浮き上がっていた始末。

 網膜に複数の穿孔があり、そこから流れ出したガラス体が網膜の後ろに流れ込み網膜を浮き上がらせて剥離させてしまっていたのだそうです。

 拙い事に亜梨沙ってば、6年前のクモ膜下動脈瘤破裂による脳内出血をカテーテル手術した際に、後処理で使用した鎮痛剤の後遺症として麻酔が効き難い状態にあります。

 2時間半、痛いの我慢したのに終わらなくて限界が来て手術自体中途になっていました。

 網膜剥離だけは複離が完全になっていた事が本日の手術で判明。但し暫定処置だったシリコンオイルを抜くと眼圧が下がって再び網膜剥離を起こす可能性が高い為、暫く経過を見てから続きの手術を再び行う事になりました。


 困った事に、右目も網膜剥離が始まっているそうです。

 剥離は始まってしまうと時間がないので、右目の手術もほぼ緊急手術が必要な状態なのだそうです。

 本日の執刀医は、テレビでも紹介されているある高名な網膜剥離の権威ともいえる先生で、短時間ではありましたものの、痛みがあったのは少しで済みました。

 先週の執刀医の先生も手が早くて上手な先生なのですが、麻酔が効き難かった所為で痛かった恐怖心が残るのでやはり怖いですo(;△;)o

 目の手術って、意識を保ったままでしかも視力を失っていないと何をしているか「見ながら」手術を受ける事になるんです。

 そこに痛みが加わった日には、あなた……。(;°皿°)


 でも完全失明するのはきつ過ぎますので、痛いの怖いの我慢して、根性出すしかないです。

 一昨日、診察日に、手術して下さった先生がカリカリキリキリしてらして(看護士がトロ過ぎました)

『選択肢ないので、手術受けます。根性出しますよ』

と、申しましたら、先生の雰囲気が緩みまして、イライラが収まって穏やかになられました。

 散瞳剤で視界が効かなかったのですが、先生は苦笑しておられたのだそうです。

 失明覚悟、良くて光が判る程度しか回復しないという状態となると、大概の患者さんが深刻になってしまわれるからでしょうね。

 そんな深刻な状況で「根性出します」なんて言った所為か、先生が随分リラックスなさったみたいです。

 亜梨沙はそんな事言いながら、吐き気を覚えていました。診察終わってみて気付いたのですけど、生まれて初めて「緊張のあまり」吐き気を覚えていたようです。

 6年前の病気以来、つくづく亜梨沙ってばひ弱になってしましました(^_^;)



 しまったでございます~~~・°・(ノД`)・°・


 蓮の誕生日に合わせて書き始めたショートが間に合いそうにありませんm(_ _ )m


 予定では前編を蓮の誕生日に、後篇をバレンタインデーにと思っていたのですが、どうしても間に合わない(T_T)


 合わせてここのブログのスキビ二次を、アメンバー様限定を外して公開予定でした。


 不本意過ぎる物を載せるよりはマシ、と思い切り、アメンバー様限定を外すだけに留めます。


 ううっ、ひそかな野望もあったのに、間に合わないのでは果たせません。


 兎に角、出来上がり次第、限定を外して公開予定です。