『緋色の迷宮 ~第3章~2』



 杉下と甲斐の姿に訝しんだスタッフ達も、二人が警視庁の人間だと知ると眉を顰めながらも納得した。今回のスタッフは俳優以外はみんなキョーコから招待状を貰ってパーティーに参加したので、警察の人間が蓮達の周りにいる事に疑問を挟む余地がなかったのだ。


「わかりました。でもお二人が警察の人だという事は他には知られないようにして下さい。それと、出来るだけ早いお引き取りを。スポンサーに知られてイメージ・ダウンだと判断されると困りますから」


「承知しました」


「はい」


 プロデューサーだという女性からの宣告に承知した二人だが、甲斐は微かに眉を顰めた。


「警察が関わるというだけでイメージ・ダウン、ですか……」


 溜息混じりの甲斐の愚痴に、杉下は口元に苦笑を浮かべた。


「仕方がありません。人気が御商売なのですから」


「でも、なんか、ビミョーに疑問なんですけどね」


「さぁ、そんな事を議論している暇はありませんよ。お話を訊ける時間は少ないという事ですからね」

「はい」


 二人を不安そうな目で見送ったプロデューサーの肩を、新開監督が軽く叩いた。


「心配ないよ。関係者全員アリバイがある。俺としては生で警察の人間を観察できる機会に恵まれて有難いと思ってるんだけどな」


 片目を瞑っておどける新開監督に、プロデューサーが小さく息を吐く。パーティーに参加していたとはいえ、詳細を知っているわけではないから、今更警察がここまで来る理由は解らない。だが、少なくとも殺人事件の犯人が関係者の中にいない事だけは確かだった。


「少なくともプレスは入れてないし、メイキング用のVTRには彼らが映らないように意を着けて措けば良いと思うから」


「……そうですね」


 敦賀 蓮の主演で、新開誠司がメガフォンを握るのだ。映画のヒットは間違いない。後は無事にクランク・アップまで持ち込めばいい。プロデューサーはふっと過る不安を無理に振り払った。


 自分の荷物を片付けたキョーコが、奥隣の蓮の部屋のドアをノックすると、すぐさま入室するように返事があった。部屋へ足を踏み入れると、先客がいた。来る途中で接触してきた、警視庁の特命係という部署の人達だと名乗った二人だ。


「最上さん。丁度良かった。この人達が事件の話を聞きたいんだって。今なら時間あるだろう?」


「解りました。少々お待ちくださいね。お茶を煎れますから」


 キョーコは蓮に頷くと、二人の大人に笑みを向けてミニバーへ向かった。蓮が宛がわれた部屋は、別荘の一角とはいえ離れ的な造りになっている為、各部屋にミニバーが設備されている。キョーコは自分の部屋でミニバーの設備をチェックして、自分の部屋よりも広い蓮の部屋なら自分の部屋よりも設備が整っていると推測していたのだ。案の定、コーヒーメーカーと紅茶用のポットは揃っていた。ミニバーには、キョーコが蓮の荷物にも詰めていたコーヒー豆と紅茶の缶が置いてある。キョーコはコーヒーを蓮と甲斐に、紅茶を杉下と自分に用意した。


「お待たせしました。紅茶、ミルクティーにした方が宜しかったですか?」


 蓮と甲斐の前にブラックでコーヒーを並べ、杉下に紅茶のカップを差し出しながら尋ねたキョーコに、杉下はふと目を瞠る。優雅な手付きでカップを取った杉下は紅茶の香りを嗅ぎ、満足そうに微笑んで口を付ける。


「充分です。これほど美味しい紅茶を頂くのは久し振りです」


「ヘェ。じゃあ最上さんは、杉下さんより紅茶煎れるの上手なんスね」


「カイトくん……」


「え、だって、杉下さん、毎日自分で紅茶煎れてるのに久し振りって……」


「僕は『頂くのは』と言いませんでしたか?」


「ああ、そういう事ですか。どうも失礼しました」


 二人のテンポの良い遣り取りに、呆気に捕られて見ていたキョーコがくすくす笑い出す。蓮が二人の大人を憚ってキョーコを止めようとしているが、キョーコは声を殺しながらも涙が滲むほど笑っている。どうやら笑いのツボを突いてしまったらしい。杉下は平然と、甲斐は苦笑しながら、笑い転げるキョーコを見つめていた。散々笑って、体が温まった頃、漸く笑いを収めたキョーコが頭を下げる。


「申し訳ありませんでした」


 恐縮しながらも、緊張に蒼褪めていたキョーコの頬は少しだけ紅潮して、すっかり緊張が抜けている。キョーコの様子を杉下は目を細めて見つめ、甲斐が満足そうな笑みを浮かべるに至り、蓮は二人の掛け合いがキョーコの緊張を解す為に仕掛けられたらしいと気付く。相手にそうと気付かせずにさらりとなされた気遣いに、蓮は流石だと脱帽する思いだった。
 緊張が取れたキョーコは杉下の質問に答え、時々蓮にも質問がされる。
 蓮は、杉下の記憶力と観察力に内心で息を呑みながら、〝何も気付いていない”演技を続けた。キョーコは、ショータローを見限ったような態度を取っていようとも、幼馴染であるショータローを本当に見限る事は出来ないだろう。だからキョーコに思い出させてはいけない。杉下相手に知らぬふりをするのは難しそうだが、蓮とて演技のプロだ。キョーコの為に、負けるわけにはいかない。
 事件の真相が明らかになる事は願ってもないが、この杉下警部という男は、何やらほかの刑事達とは何かが違う気がした。この男には全ての真実を赤裸様にされてしまうのは非情に宜しくない。自分の事もだが、キョーコに関する事も暴かれるわけにはいかないのだから。
 杉下は執拗な質問はしなかったが、鋭い視線は変わらなかった。
 キョーコがスタッフのメンバーの食事作りを手伝うのは、明日からになっている。今日はキョーコは蓮と社の食事だけ作ればいい。


「杉下さん達は、今日はこれから?」


「我々は、東京へ戻ります。この件はもっと調査が必要ですからね」


 キョーコが不安そうな表情で二人の刑事達を見遣り、蓮と社は顔を見合わせる。


「最上さん、食事、彼らの分も用意できる?」


「はい。出来ますよ? 1時間ほどお時間頂ければ出来ますから、召し上がってからお戻りになられたら如何ですか?」


「有難いお申し出ですが、事件関係者から接待を受けるわけには……」


「私如きの料理なんて賄賂になりませんよ。作る手間は同じですし、他にも誰かいて下さった方が敦賀さんの食が進むので、できれば召し上がってらして下さい」


 キョーコはそう言うと返事も待たずにキッチンへ行ってしまった。社はくすくす笑い、蓮は眉を顰めて溜息を吐いている。


「他へ漏らしたりしませんから、召し上がってらして下さい。二人分増えた料理を片付けるのは俺と社さんには出来ません」


「はぁ……」


 蓮の溜息の訳は解らなかったが、刑事達はそれ以上の固辞も出来なくなり、渋々頷いた。
 キョーコがキッチンへ籠り、社が事務所と連絡を取ると言って部屋を出ると、刑事達が英語で蓮に話し掛ける。蓮はさっと手を挙げて遮り、キョーコに聞こえていない事を確かめて小声で話した。


「社さんも最上さんも、英語もフランス語も不自由しませんから、本当にやめて下さい。あの場で申し上げた事にご協力頂けないなら、俺も協力は出来かねますよ」


 真剣な蓮の表情に、杉下も真剣な表情をするが、蓮は視線だけを鋭くして無表情を保った。暫しの睨み合いの末、甲斐が杉下の肩を叩き、杉下が溜息を吐いて引き下がる。そこへ丁度社が戻って来たが、瞬間に蓮の纏う雰囲気が穏やかなものに変わり、甲斐は目を瞠る。杉下も甲斐も、敦賀 蓮は俳優業を営む為の人格だと気付いた。同時に、日本で人気俳優の座に着いて何年も経つ敦賀 蓮を知る甲斐は、彼が別人に成りすまして日本にいる事を改めて認識した。


「蓮、社長から伝言だ。くれぐれもボロを出すなよって。どう云う意味か解るか?」


「……ええ。嫌というほど」


「? そうなのか? 俺には解らないんだが……」


 蓮は深い溜息を吐いて片手で顔を覆った。社長からの伝言は、つまりいつものようにフォローは出来ない、イコール特命係の二人はローリィ宝田の権力を以てしても動きを封じる事の出来ない相手だという事だ。
 特命係という耳慣れない部署の刑事達を引き止めたのは、キョーコが容疑者として扱われているわけではないのだと、食事をしながら話せば理解出来るだろうと思ったからだ。蓮にとって優先されるのは、何よりもキョーコだ。社も社長もそれを十分承知している。だから社長からの伝言は、忠告であり、社からはフォローしきれるか自信がないという合図だ。
 蓮はキョーコとの関係の変化を社に知らせていない。キョーコが拒絶しなかっただけで、本当にその心を手に入れた上での合意とは言えない状況だった所為だ。何かと気に掛けてくれる社だが、事件の核心に蓮の素性が絡む以上、そう簡単に明かすわけにはいかなかった。キョーコが蓮にとって特別な存在である事は確かだし、キョーコの前ではしばしば蓮の本性が晒されてしまっている事も少なくないが、自分の正体を打ち明けてしまうには、蓮自身の覚悟が足りない。いつか堂々と実力でハリウッドに乗り込んで、初めて自分の素性を明かす事が出来るまでは、キョーコにも社にも告げる事は叶わないと思い定めていた。
 その時隣にキョーコの姿があって欲しいと思うが、それは父・クーが遺言状に示したような条件があってのことでは嬉しくない。
 クーの魂胆は解っている。なかなかハリウッド進出を決めない蓮に痺れを切らし、蓮がキョーコの存在故に日本に留まり続けている事に気付いて、キョーコを連れ去ろうと思い立ったのだろう。キョーコがクオンと結婚すれば、堂々と連れて行けるから蓮が迷う事はないと考えたのだろう。
 以前にクーが来日した時に、蓮を引っ張り出す為にキョーコをクーの付き人にした事があったが、クーはその時キョーコの演技力を垣間見ている。だが、垣間見ただけだ。キョーコが実力を着けたら、蓮と対等に張り合える演技をするだろう女優になれるとは気付いていないらしい。デビュー前のキョーコに、敦賀 蓮というレッテルを付けるわけにはいかない。蓮という付加価値を着けてしまったら、キョーコが実力を認められるようになる前に潰されてしまう可能性の方が高くなるのだ。だからと言って、今更キョーコを手放せる筈もないし、他人に奪われる気などさらさらない。


「お待たせしました。食堂へどうぞ」


 キョーコの呼び出しに杉下と甲斐は蓮と共に食堂へ足を踏み入れた。テーブルの上には5人分の料理が並んでいる。本格的な和食ではないが、家庭料理というには手が込んでいるように見える。


「簡単な物しか出来ませんが、冷めないうちに召し上がって下さいね」


 みんなのおさんどんをしたキョーコが席に着くのを待って、皆箸を持った。


「「「「頂きます」」」」


 懐石というほど正式な和食ではないが、色とりどりの食材を調理された物が彩りよく並べられている。一流料亭の仕出し弁当が食器に盛られて並んでいるようだ。


「これだけ手間暇の懸かる料理を、随分短時間で作ってしまわれるのですねぇ」


 感心頻りの杉下を横目に、甲斐は料理を遠慮なく口に運んでいる。一口毎に絶賛している甲斐に、杉下も蓮も社も苦笑している。只管謙遜するキョーコに、甲斐は訝しそうな表情をしたが、すぐに表情を切り替えた。


「味が薄目ですねぇ。関西系の味のように思いますが、最上さんは関西のご出身ですか?」


「あ、はい。京都です」


「そうですか。京都のご出身ですか。京都は良い所ですよねぇ。古い物がたくさん残っていて日本らしい情緒が溢れています」


「そうですね」


 出身地を答えたものの、故郷に嫌な思い出でもあるのかキョーコの表情が微かに引き攣った。杉下はそれを見逃す事はなく、だが素知らぬふりで会話を進めた。敦賀 蓮の素性は秘密にするという条件での警察機関への協力という条件を呑んだのは捜査一課だが、警察の信用問題に関わるからくれぐれも秘密は守れ、と伊丹刑事から釘を刺されている。杉下にも否やはなかった。敦賀 蓮という大物スターが抱える秘密があまりに大きい為に気を取られそうになっているが、杉下は事件の原因は、敦賀 蓮よりも最上キョーコに関わると考えらえたのだ。



 最上キョーコの周囲を徹底的に操作する事が、事件の核心に迫る術だと考えた杉下は、食事を済ませると、甲斐と二人、東京へは戻らずに京都へ足を向けた。



  続く




 お久し振りの『緋色の迷宮』更新でございます。

 予想より遥かにこの回は難産でした(・・;)

 某様企画に参加したいと目論んでいたのですが、難産の余精根尽き果てた気が……( p_q)

 連載2つも抱えているくせに無謀な事考えた罰が当たったのかしら……(:_;)




「不安な夜 16 」




 敦賀さんは溜息を吐く毎に覇気が薄くなっていっているような気がするわ。ちらりと社さんを見れば、担当俳優が萎れていく様を心配そうに見ている。
 ここ数年、頻繁に耳にするようになった敦賀さんに関する業界内の噂。
 女優やタレントやアイドルやらモデルやらが口にするのは、『敦賀さんて本当にフェミニストよね。あんな素うどんを口説くなんてボランティアして』というもの。自分達の方が余程厚化粧してそれでもキョーコの足元にも及ばない癖に自惚れてる人達に限ってそう言う。
 メイクやスタイリストでキョーコと仕事をした事のある人達は、『流石は敦賀君よね。見る目あるわぁ』なんて敦賀さんの株が上がってる。
 男性陣は『京子を選んだのか、敦賀君。光源氏計画でもする心算なんかな』なんて好色な事言ってるのも聞いた事あるわね。
 芸能人として表に出ている男性で京子に好意を持っている男共も多いけど、『敦賀 蓮を向こうに回して張り合える自信はないよ』と溜息の嵐らしいわね。
 尤も不破のバカは未だに『キョーコは俺のものだ』とか言ってるらしいけど、まともに耳を貸すのはあのバカの周囲のバカ女だけみたいだし。最近じゃあのバカが公言する姿を目にした業界人は、あの男を不信の目で見てる。当然よね。恋人でもないのに自分の物呼ばわりって、所有物扱いって事だもの。京子にちょっかい出す不破は、すっかりストーカーだと認識されて、スタッフは京子を守る体制を作っているのに、不破も彼のマネージャーも未だに気付かないんだから呆れるわね。
 敦賀さんが京子を口説いてる噂は蔓延っているのに、ストーカー扱いされないのって、キョーコがスルーするのと、敦賀さんが人目を気にせず口説くものの、強引な行動に出ない事も影響してるみたいよね。聞いた話じゃ、敦賀さんは本当にキョーコを大事にしてるみたいだったのよね。キョーコが自分を大事にしない現場に居合わせたりすると説教が始まるらしいし、一々尤もな事を言うらしい。何回説教されてもキョーコは自己卑下がいつまで経っても治らない。本気で相手の言葉を聞いていない証拠なのよね。キョーコは敦賀さんや社さんの評価をお世辞だと受け取るのよね。未熟者を励ます為にお世辞を言っているだけだ、と受け取っていて、ちっとも本気で褒められてると思わない。厳しい事とか叱られた事とかは本気で受け取るみたいなのに。


「敦賀さんに限らず、男性から貰う容姿に対する賛辞は、キョーコはお世辞と決めてかかってますよね」


 ふと、敦賀さんの纏う雰囲気が変わった。背中がゾクゾクするほど怖い空気が流れてきた。


「れれれ、蓮?」


 社さんが慌てて震えている。これは、怯えているのよね。敦賀さんの傍にいて慣れている筈の社さんが、本当に蒼い顔をしている。


「最上さんの自己否定は、不破の所為だよね」


 暗い地の底から響いてくるような声で、敦賀さんが呟いた。


「………それは、そうですね」


「だよね」


 社さんも深い溜息を吐いている。


「キョーコのあの思い込みって、不破に言われた言葉を受け入れているって事ですよね?」


「信じているから受け入れるわけだよね」


 どうして自分に酷い仕打ちをした奴の言葉に縛られているんだろう、あの娘は。最近不破への復讐を口にしなくなったけど、口に出さなくなったからって、不破の存在を眼中から外したわけじゃないんだわ。


「幼馴染って、そんなに深い繋がりなのかしら?」


 何気なしに呟いたら、敦賀さんが無表情になった。胸元にある手がきつく握られて震えている。あら、白くなってるわ。相当我慢してるのねぇ。でも、こんな事で腹立てるくらいなら、さっさとキョーコに告白しちゃえば良いのにねぇ。まぁ、さっきの話だと、敦賀さんが告白しようとするとキョーコに遮られるらしいから、したくても出来ないみたいなんだけどね。


「私に言わせれば、キョーコの復讐って何をして復讐だっていう心算なのかしらと思うんですけどね」


「「何をして復讐?」」


 異口同音で疑問が返ってきたわね。


「だってそうじゃありません? 不破に『お前みたいで地味で色気のない女が俺と同等でいらっると思うなよ。出来るものならここまで来てみろ』とか言われたからって芸能界に入ったとして、ですよ?」


 不破の暴言に敦賀さんが眉を顰めてる。私が言ったわけじゃないし、キョーコを地味だの色気がないだの思ってないんだからね。


「違うジャンルを選んでいるのに勝ったの負けたのが成立するわけないじゃないですか。その辺は最初から疑問だったんですよ、私は」


 女優にあるまじき顔になっているだろうけど、眉間に皺が寄るのはどうしようもないわよね。この場合。敦賀さんが本気で怖いし、キョーコを縛り付けてるあの馬鹿男は憎いし、バカ男の言葉に囚われてるキョーコはもどかしいし!



  続く






 ………だから、いい加減進んでよォ(。>0<。)





「不安な夜 15 」



 ラブミー部員1号だから、恋愛感情を排除したがるとは思ってたけど、俺の気持ちまで否定する最上さんに、本気で凹んできた。先輩として好かれているんだと思うけど、でも尊敬を通り越して崇拝とか持ち出しているから、俺が『男』として目の前に立つのは余程嫌って事なんだろうか?


「れ、蓮っ! 大丈夫だっ! キョーコちゃんがお前を嫌うなんて、そんな筈ないだろうっ!」


「そ、そうですよっ! と、兎に角、キョーコの誤解を解かないとっ!」


「最上さんの誤解はつまり、俺が好きな人が最上さん以外にいるって事?」


「そうですよ」


「どうやって?」


「それは……」


「以前、偶然立ち聞きした事あるんだけどね……」


 俺は思い出すだけで胸が痛む過去を振り返る。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚* ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚* ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


 それは、俺が形振り構っていられなくなり、最上さんが俺のネーム・バリューなどでは潰されなくなったと見越して、社長の了解を捥ぎ取って本気でアプローチを始めて間もない頃だった。モデルや女優の中には『京子』を認めない人がいたものの、スタッフに至っては男女を問わず『京子』が高く評価されていた。マスコミやファンの前でこそ控えていたが、俺は仕事の合間の休憩時間やクルーの交流の場では、最上さんを特別扱いする行為を赤裸様にしていたから、あまり鋭くない人でも俺の気持ちに気付いていた。女性には優しくというのは基本に叩き込まれた行動基準だから、他の女性に乱暴な態度を取るという事こそしなかったが、食事やお茶に誘うのは最上さんだけだと、周囲はすぐに気付いた。


『どうして京子ちゃんは敦賀さんの気持ちを無視するの?』


『ええっ!? そんな……。無視なんてしてませんよ? 大先輩に対してそんな失礼な事するわけないじゃないですか』


『大先輩って……。京子ちゃんの言い方って、まるで敦賀さんが芸歴数十年のベテランみたいね』


『え、だって、私みたいなペーペーから見たら、敦賀さんは人気実力共に併せ持った大先輩ですし』


『あらぁ、そんな事、関係ないじゃない。敦賀さんの気持ちは……『私は、敦賀さんを先輩として尊敬してますし、あの演技力とプロ意識を崇拝してるんです! 私の目指す生き神様なんです!』……神様、ね……』


 スタッフだったらしい相手の女性は、深い溜息を吐いて最上さんとの会話を諦めたようだった。



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚* ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚* ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


「「………」」


 俺の話を聞いた琴南さんと社さんは、唖然としていたが、ちらりとお互いを見遣り視線を逸らした。


「崇拝……神様……」


「既に人外扱いされてるのか……」


 二人は小声で呟き、深い溜息を同時に吐いた。


「どうしてそこまで対象外に祭り上げられなければならないのか、教えて欲しいのは俺の方なんだけどね?」


 俺も、初めの内、自分の気持ちを認めたくないのや、告白する気がなかったのとかで、気持ちを誤魔化していたからね。
 ああ、でも、琴南さんから聞いた話からすると、俺が怖がらせない為に呑み込んだ言葉を、最上さんは否定的に解釈したって事なんだな。
 彼女の自己否定は、母親に愛された記憶のない者特有の反応だ。世界中が敵に回っても唯一味方してくれる存在が母親という公式があるから、その母親に愛されない自分を否定する。昨今、躾と称して我が子を虐待して挙句殺してしまう親がいる現状で考えれば、結果として劣悪な環境を与える事になったものの、育てる気のない自分ではなく不破の家に最上さんを預けた母親の対応は、まともではないが、マシ、なのだろうな。それに、本当に母親に愛された事がないとしたら、最上さんのパワーってどこから来ているのだろう? 確かかなり負けん気が強かったはず。最上さんの記憶にないだけで、本当に物心つく前は、愛されていたのではないのかな?


「琴南さん?」


「なんでしょう?」


 声を改めた俺に、琴南さんの姿勢も延びる。反射神経が良いよね。


「最上さんて、思われる事には疎いけど、他人の事ならそれなりに鋭いとこなかったっけ?」


「ああ、そういえば、それなりに……」


 語尾がごにょごにょと聞き取り難くなって微かに頬を染めた琴南さんの表情が見えた。何か、指摘されたとかかな?


「蓮? どうしてそう思うんだ?」


 社さんが不思議そうに訊いてくる。俺は開いたまま置いてある琴南さんの手帳を指差した。指摘したのは『 DM  敦賀さんが好きな人の存在を自覚(赤)   『4歳年下の高校生』(赤)の部分だ。


「これって最上さんが認識している事、なんだろう?」


 琴南さんに確認を取ると、琴南さんがこくりと頷いた。


「つまり、最上さんは俺が自覚した頃には俺に好きな人がいると思ってた。しかも4歳年下の高校生だとまで知ってたわけだね」


「そ、そうです」


 琴南さんの目が泳いでるな。最上さんは何故俺に好きな人がいるって知ったんだろう。俺自身ですら自覚したばかりだったのに。


「で、その前に、代マネしてくれた時に俺が譫言で呼んだ『キョーコちゃん』が俺の好きな人だと思ってるわけだね」


「ですね。自分と同じ名前の別人だと思い込んでますね」


 溜息しか出ない。


  続く





 ………進まないです~~(。>0<。)






「不安な夜 14 」




 キョーコちゃんが絡むと、蓮はどうも隠していたらしい本性を覗かせてしまうみたいだ。俺や琴南さん相手だと、少し油断するとすぐに蓮が少し子供っぽい顔を覗かせる。キョーコちゃん相手には、蓮は最初から本性を隠しきれなかったんじゃないかと思うんだよな。蓮はキョーコちゃんを特別扱いしていたと思うんだよな。無意識に、自然に。
 蓮が自覚する前から、俺は蓮にとってキョーコちゃんが特別な存在だと気付いていた。キョーコちゃんが親友となった琴南さんに、蓮の態度について話していれば、当然琴南さんも蓮の気持ちに気付いていただろう。気付かないのはキョーコちゃん本人だけだ。
 蓮が深い溜息を吐いた。


「蓮?」


 覗き込むと、蓮は苦笑して姿勢を正した。


「いえ。社さんに散々揶揄われたくらい、俺は自覚する前からダダ漏れな態度だったらしいのに、最上さんだけは気付いてくれないのだな、と」


 気付いてくれない?


「………いや、気付いていないのとは違うのかな。遠回しにアプロ-チするとスルーするけど、ストレートに言おうとすると遮られたから」


 告白も聞きたくないくらい、男として見たくない、という事なのかな。
 自嘲して呟く蓮に、琴南さんは真剣な顔をして考え込んでしまった。俺も困惑して、掛ける言葉がない。
 暫く考え込んでいた琴南さんが、懐から手帳を取り出して開き、さらさらとペンを走らせだした。じっと見守る俺と蓮を気にする様子もなく何かを書き綴っていた琴南さんが、手帳を開いて俺たちに示す。



 出会い 厳しい態度

 代マネ 『キョーコちゃん』と譫言で呼ぶ
 DM   敦賀さんが好きな人の存在を自覚
      『4歳年下の高校生』
      敦賀さんの笑顔を見て『嫌われているわけじゃない?』と自覚するキョーコ
  ・
  ・   敦賀さんがアプローチ
  ・   キョーコがスルー
  ・
  ・
 最近  電話もメールも繋がらない


「………」


 的確に要点が書き出されていた。


「うわぁ、流石琴南さんだね。必要ポイントだけ綺麗に抜き出してあるよ。うん」


 お見事としか言えないけど、色分けがしてあるのはどういう意味だろう?


「色分けの意味は何かあるの?」


 琴南さんはにっこりと恐いほどの笑顔を浮かべて頷いた。


「勿論です。赤で書いたのは、キョーコが知る事実です」


「え~と、琴南さん?」


「はい、なんでしょう? 社さん」


「蓮の笑顔を見て『嫌われているわけじゃない?』ってキョーコちゃんが自覚て言うのは、どういう意味?」


 琴南さんがちらりと蓮を見る。


「キョーコは、敦賀さんの『嘉月』の演技で『美月』に向ける笑顔を見て、時々同じ笑顔を向けて貰える自分は『嫌われているわけじゃないのかも』と思ったんだそうです」


「『嘉月』が『美月』に向ける笑顔って……。あの、蕩けそうな笑顔?」


 確認するべく恐々と口にする。


「そうでしょうね……」


 琴南さんの答えに、暫く唖然としたが、がっくりと肩から力が抜けて頭を垂れた。


「キョーコちゃんの曲解思考って凄いと思っていたけど、素であの笑顔を向けられている自覚があって、どうして『嫌われていないのかも?』になるんだ?」


「最上さんの曲解思考の根源を見た気がしますねぇ」


 蓮のコメントに悲哀が籠っているような気がする。蓮が『DM』で嘉月を演じていた時は、明らかに美月をキョーコちゃんに見立てて演技をしていたと解る。蓮の『嘉月』が『美月』に向ける笑顔でスタジオの女性がみんな蕩けていたのに、それを素で向けられてもそうと解釈できないくらい、キョーコちゃんの自分に関する周囲の評価の曲解ぶりは一筋縄ではいかないんだと、つくづく思い知った気がする。
 誰が見てもそうと解るアプローチをスルーされ、ストレートに告白しようとすれば遮られ、なんて事が続いているなら、蓮をヘタレとばかりも言えないかも知れないなぁ。

「社さんからも社長からも散々ヘタレだと言われましたけど、赤裸様な態度でアプローチしても『自分以外なら誤解する』とか『冗談はやめて下さい』とか言ってスルーして、本気でストレートに告白しようとすれば遮って言わせてくれなくて。かといって強引な事して傷付けるわけにもいかないし、この分じゃストレートに告げたとしても本気にしてくれないのは火を見るより明らかだ」

 蓮の愚痴に、琴南さんが機嫌を悪くするかな、と思って覗ったが、琴南さんは珍しく蓮の愚痴を鬱陶しいという態度を見せていない。


「琴南さん?」


「はい?」


「珍しいね。いつもなら俺がこんな風に言うとだからヘタレなんだとか言うのに」


「ああ、まぁ。流石に敦賀さんに同情の余地は大きいかな、と思いまして」


 キョーコちゃんの親友。基本的にキョーコちゃんの味方をする琴南さんにしては珍しい反応だ。思わず凝視してしまった俺に気付いて、琴南さんは溜息を吐いた。


「敦賀さんが仰るのも尤もだと思ったものですから。兎に角あの子は、敦賀さんの想い人が自分であると=を置くしかない公式を目の前に叩き付けられても、認めない為の屁理屈を探しているみたいなので………」


「そんなに嫌われているのかな」


 蓮の口調からは覇気が感じられなくなっている。


  続く





  副題に『悩み相談室』って付けようかしら?



「不安な夜 13 」




 どうも、敦賀さんが譫言で呼んでいたという『キョーコ』の名前って、同じ名前の別人、じゃなくて、キョーコ自身みたいだわ。
 それと気になっていた事があるのよね。この際だから訊いておくべきかも知れない。


「敦賀さん?」


「うん? 何かな?」


 無駄にキラキラした笑顔で進入禁止の立札を立てる人だから、始末が悪いんだけど、これだけは訊いておきたいわ。


「社さんはキョーコの事『キョーコちゃん』て呼ぶのに、敦賀さんはキョーコの事『最上さん』て呼びますよね?」


「そうだね」


「何故ですか?」


「何が?」


「敦賀さんは公私のけじめをつける人だと思います。なのに、キョーコが『京子』の芸名を使うようになってからも『最上さん』て呼び方を変えないままでしょう?」


 敦賀さんは少しだけ目を瞠り、視線を逸らして微かに頬を染めた。何、この照れてるらしい可愛い反応は?


「敦賀 蓮にはあるまじき事なんだけど、今にして思えば……」


 思わず首を傾げて続きを促した私に、敦賀さんは苦笑した。社さんは含み笑いで敦賀さんに視線を向けている。


「まあ、タイミングを外したから名前で呼び損ねたのと、最上さんが芸名に『京子』を使い始めたから『キョーコちゃん』て呼ぶと芸名呼んでるのと同じになるから、かな」


 この業界、本名は知ってても芸名を使うのが通常。本名で呼ぶのは親しい間柄だけに限定されるわけで……。つまり、敦賀さんはキョーコの本名を呼びたいという意識なわけね。でも、キョーコのそういう処の感覚って、一般人のままよね?


「はあぁ~~~っ」


 思わず深~~い溜息をが出てしまった。


「こ、琴南さん?」


 大の大人が二人揃ってびくりと体を震わせている。


「いえ、そういう感覚、キョーコって確か一般人のままだったような気が……」


「えっ!?」


「一般と同じって?」


 疑問に思ったからって小首傾げるなんて可愛らしい仕草しないで下さい!大の大人がっ!
 私の内心の叫びを無視して、敦賀さんは本気で不思議そうに尋ねてくる。


「ですからね? 普通一般人同士の付き合いって、知り合って始めは苗字で呼ぶじゃないですか。で、親しくなってからは名前やニックネームで呼び合うようになるでしょう?」


 敦賀さんはアッという表情をしてから暫く考えて、こくりと頷いた。なんだか、こんな当たり前の事も知らないのかしら、この人。本気で呆れたけど、それを態度に出すのは先輩に対して失礼だろうから、何とか隠したけど、社さんは流石マネージャーと云うべきか、容赦がなかった。


「蓮。お前、それは人との付き合いとして基本だと思うぞ?」


 敦賀さんはバツが悪そうな顔をして、視線を逸らした後、苦笑した。


「俺、ちょっと特殊な環境で育ったので、子供の頃から同年代の友人っていなくて……」


「誰とでも如才なく付き合うお前が、か?」


 社さんの驚きに、敦賀さんは困ったように苦笑するだけで、どういう環境だったのか口にしなかった。
 この人は、キョーコほど劣悪ではないものの、普通の環境で育ったわけではないのだと知れる。キョーコが現れるまで、誰にも執着した事がなかったらしい事は聞いていた。キョーコに対しても、周囲の評価とは裏腹な紳士な態度とは程遠い対応の仕方はまるで小学生並みだと思った。他人とのコミュニケーションの取り方を、子供は育つ段階で周囲から学ぶものだけど、キョーコとは違う意味で、敦賀さんも人との付き合い方の基本を身に着けていない人なのかしら?
 キョーコから聞いた事のあるプロ意識の持ち方とか考え方は大人だけど、感情面が子供? 随分とバランスが悪い人なのね。ああ、そういえば、キョーコもそういう処があるんだわ。プロ意識とかは大人びているけど、感情面はてんで子供。恋愛面だって、この人もヘタレだけど、キョーコもかなりのヘタレよね。結局はこの人とあの娘、似た者同士なのね。
 なんだか妙に納得してしまった気がするわ。


  続く






 あ、あれ?

 書こうと思ってた路線から少しずつずれていくような……(^▽^;)