『緋色の迷宮 ~第3章~2』



 杉下と甲斐の姿に訝しんだスタッフ達も、二人が警視庁の人間だと知ると眉を顰めながらも納得した。今回のスタッフは俳優以外はみんなキョーコから招待状を貰ってパーティーに参加したので、警察の人間が蓮達の周りにいる事に疑問を挟む余地がなかったのだ。


「わかりました。でもお二人が警察の人だという事は他には知られないようにして下さい。それと、出来るだけ早いお引き取りを。スポンサーに知られてイメージ・ダウンだと判断されると困りますから」


「承知しました」


「はい」


 プロデューサーだという女性からの宣告に承知した二人だが、甲斐は微かに眉を顰めた。


「警察が関わるというだけでイメージ・ダウン、ですか……」


 溜息混じりの甲斐の愚痴に、杉下は口元に苦笑を浮かべた。


「仕方がありません。人気が御商売なのですから」


「でも、なんか、ビミョーに疑問なんですけどね」


「さぁ、そんな事を議論している暇はありませんよ。お話を訊ける時間は少ないという事ですからね」

「はい」


 二人を不安そうな目で見送ったプロデューサーの肩を、新開監督が軽く叩いた。


「心配ないよ。関係者全員アリバイがある。俺としては生で警察の人間を観察できる機会に恵まれて有難いと思ってるんだけどな」


 片目を瞑っておどける新開監督に、プロデューサーが小さく息を吐く。パーティーに参加していたとはいえ、詳細を知っているわけではないから、今更警察がここまで来る理由は解らない。だが、少なくとも殺人事件の犯人が関係者の中にいない事だけは確かだった。


「少なくともプレスは入れてないし、メイキング用のVTRには彼らが映らないように意を着けて措けば良いと思うから」


「……そうですね」


 敦賀 蓮の主演で、新開誠司がメガフォンを握るのだ。映画のヒットは間違いない。後は無事にクランク・アップまで持ち込めばいい。プロデューサーはふっと過る不安を無理に振り払った。


 自分の荷物を片付けたキョーコが、奥隣の蓮の部屋のドアをノックすると、すぐさま入室するように返事があった。部屋へ足を踏み入れると、先客がいた。来る途中で接触してきた、警視庁の特命係という部署の人達だと名乗った二人だ。


「最上さん。丁度良かった。この人達が事件の話を聞きたいんだって。今なら時間あるだろう?」


「解りました。少々お待ちくださいね。お茶を煎れますから」


 キョーコは蓮に頷くと、二人の大人に笑みを向けてミニバーへ向かった。蓮が宛がわれた部屋は、別荘の一角とはいえ離れ的な造りになっている為、各部屋にミニバーが設備されている。キョーコは自分の部屋でミニバーの設備をチェックして、自分の部屋よりも広い蓮の部屋なら自分の部屋よりも設備が整っていると推測していたのだ。案の定、コーヒーメーカーと紅茶用のポットは揃っていた。ミニバーには、キョーコが蓮の荷物にも詰めていたコーヒー豆と紅茶の缶が置いてある。キョーコはコーヒーを蓮と甲斐に、紅茶を杉下と自分に用意した。


「お待たせしました。紅茶、ミルクティーにした方が宜しかったですか?」


 蓮と甲斐の前にブラックでコーヒーを並べ、杉下に紅茶のカップを差し出しながら尋ねたキョーコに、杉下はふと目を瞠る。優雅な手付きでカップを取った杉下は紅茶の香りを嗅ぎ、満足そうに微笑んで口を付ける。


「充分です。これほど美味しい紅茶を頂くのは久し振りです」


「ヘェ。じゃあ最上さんは、杉下さんより紅茶煎れるの上手なんスね」


「カイトくん……」


「え、だって、杉下さん、毎日自分で紅茶煎れてるのに久し振りって……」


「僕は『頂くのは』と言いませんでしたか?」


「ああ、そういう事ですか。どうも失礼しました」


 二人のテンポの良い遣り取りに、呆気に捕られて見ていたキョーコがくすくす笑い出す。蓮が二人の大人を憚ってキョーコを止めようとしているが、キョーコは声を殺しながらも涙が滲むほど笑っている。どうやら笑いのツボを突いてしまったらしい。杉下は平然と、甲斐は苦笑しながら、笑い転げるキョーコを見つめていた。散々笑って、体が温まった頃、漸く笑いを収めたキョーコが頭を下げる。


「申し訳ありませんでした」


 恐縮しながらも、緊張に蒼褪めていたキョーコの頬は少しだけ紅潮して、すっかり緊張が抜けている。キョーコの様子を杉下は目を細めて見つめ、甲斐が満足そうな笑みを浮かべるに至り、蓮は二人の掛け合いがキョーコの緊張を解す為に仕掛けられたらしいと気付く。相手にそうと気付かせずにさらりとなされた気遣いに、蓮は流石だと脱帽する思いだった。
 緊張が取れたキョーコは杉下の質問に答え、時々蓮にも質問がされる。
 蓮は、杉下の記憶力と観察力に内心で息を呑みながら、〝何も気付いていない”演技を続けた。キョーコは、ショータローを見限ったような態度を取っていようとも、幼馴染であるショータローを本当に見限る事は出来ないだろう。だからキョーコに思い出させてはいけない。杉下相手に知らぬふりをするのは難しそうだが、蓮とて演技のプロだ。キョーコの為に、負けるわけにはいかない。
 事件の真相が明らかになる事は願ってもないが、この杉下警部という男は、何やらほかの刑事達とは何かが違う気がした。この男には全ての真実を赤裸様にされてしまうのは非情に宜しくない。自分の事もだが、キョーコに関する事も暴かれるわけにはいかないのだから。
 杉下は執拗な質問はしなかったが、鋭い視線は変わらなかった。
 キョーコがスタッフのメンバーの食事作りを手伝うのは、明日からになっている。今日はキョーコは蓮と社の食事だけ作ればいい。


「杉下さん達は、今日はこれから?」


「我々は、東京へ戻ります。この件はもっと調査が必要ですからね」


 キョーコが不安そうな表情で二人の刑事達を見遣り、蓮と社は顔を見合わせる。


「最上さん、食事、彼らの分も用意できる?」


「はい。出来ますよ? 1時間ほどお時間頂ければ出来ますから、召し上がってからお戻りになられたら如何ですか?」


「有難いお申し出ですが、事件関係者から接待を受けるわけには……」


「私如きの料理なんて賄賂になりませんよ。作る手間は同じですし、他にも誰かいて下さった方が敦賀さんの食が進むので、できれば召し上がってらして下さい」


 キョーコはそう言うと返事も待たずにキッチンへ行ってしまった。社はくすくす笑い、蓮は眉を顰めて溜息を吐いている。


「他へ漏らしたりしませんから、召し上がってらして下さい。二人分増えた料理を片付けるのは俺と社さんには出来ません」


「はぁ……」


 蓮の溜息の訳は解らなかったが、刑事達はそれ以上の固辞も出来なくなり、渋々頷いた。
 キョーコがキッチンへ籠り、社が事務所と連絡を取ると言って部屋を出ると、刑事達が英語で蓮に話し掛ける。蓮はさっと手を挙げて遮り、キョーコに聞こえていない事を確かめて小声で話した。


「社さんも最上さんも、英語もフランス語も不自由しませんから、本当にやめて下さい。あの場で申し上げた事にご協力頂けないなら、俺も協力は出来かねますよ」


 真剣な蓮の表情に、杉下も真剣な表情をするが、蓮は視線だけを鋭くして無表情を保った。暫しの睨み合いの末、甲斐が杉下の肩を叩き、杉下が溜息を吐いて引き下がる。そこへ丁度社が戻って来たが、瞬間に蓮の纏う雰囲気が穏やかなものに変わり、甲斐は目を瞠る。杉下も甲斐も、敦賀 蓮は俳優業を営む為の人格だと気付いた。同時に、日本で人気俳優の座に着いて何年も経つ敦賀 蓮を知る甲斐は、彼が別人に成りすまして日本にいる事を改めて認識した。


「蓮、社長から伝言だ。くれぐれもボロを出すなよって。どう云う意味か解るか?」


「……ええ。嫌というほど」


「? そうなのか? 俺には解らないんだが……」


 蓮は深い溜息を吐いて片手で顔を覆った。社長からの伝言は、つまりいつものようにフォローは出来ない、イコール特命係の二人はローリィ宝田の権力を以てしても動きを封じる事の出来ない相手だという事だ。
 特命係という耳慣れない部署の刑事達を引き止めたのは、キョーコが容疑者として扱われているわけではないのだと、食事をしながら話せば理解出来るだろうと思ったからだ。蓮にとって優先されるのは、何よりもキョーコだ。社も社長もそれを十分承知している。だから社長からの伝言は、忠告であり、社からはフォローしきれるか自信がないという合図だ。
 蓮はキョーコとの関係の変化を社に知らせていない。キョーコが拒絶しなかっただけで、本当にその心を手に入れた上での合意とは言えない状況だった所為だ。何かと気に掛けてくれる社だが、事件の核心に蓮の素性が絡む以上、そう簡単に明かすわけにはいかなかった。キョーコが蓮にとって特別な存在である事は確かだし、キョーコの前ではしばしば蓮の本性が晒されてしまっている事も少なくないが、自分の正体を打ち明けてしまうには、蓮自身の覚悟が足りない。いつか堂々と実力でハリウッドに乗り込んで、初めて自分の素性を明かす事が出来るまでは、キョーコにも社にも告げる事は叶わないと思い定めていた。
 その時隣にキョーコの姿があって欲しいと思うが、それは父・クーが遺言状に示したような条件があってのことでは嬉しくない。
 クーの魂胆は解っている。なかなかハリウッド進出を決めない蓮に痺れを切らし、蓮がキョーコの存在故に日本に留まり続けている事に気付いて、キョーコを連れ去ろうと思い立ったのだろう。キョーコがクオンと結婚すれば、堂々と連れて行けるから蓮が迷う事はないと考えたのだろう。
 以前にクーが来日した時に、蓮を引っ張り出す為にキョーコをクーの付き人にした事があったが、クーはその時キョーコの演技力を垣間見ている。だが、垣間見ただけだ。キョーコが実力を着けたら、蓮と対等に張り合える演技をするだろう女優になれるとは気付いていないらしい。デビュー前のキョーコに、敦賀 蓮というレッテルを付けるわけにはいかない。蓮という付加価値を着けてしまったら、キョーコが実力を認められるようになる前に潰されてしまう可能性の方が高くなるのだ。だからと言って、今更キョーコを手放せる筈もないし、他人に奪われる気などさらさらない。


「お待たせしました。食堂へどうぞ」


 キョーコの呼び出しに杉下と甲斐は蓮と共に食堂へ足を踏み入れた。テーブルの上には5人分の料理が並んでいる。本格的な和食ではないが、家庭料理というには手が込んでいるように見える。


「簡単な物しか出来ませんが、冷めないうちに召し上がって下さいね」


 みんなのおさんどんをしたキョーコが席に着くのを待って、皆箸を持った。


「「「「頂きます」」」」


 懐石というほど正式な和食ではないが、色とりどりの食材を調理された物が彩りよく並べられている。一流料亭の仕出し弁当が食器に盛られて並んでいるようだ。


「これだけ手間暇の懸かる料理を、随分短時間で作ってしまわれるのですねぇ」


 感心頻りの杉下を横目に、甲斐は料理を遠慮なく口に運んでいる。一口毎に絶賛している甲斐に、杉下も蓮も社も苦笑している。只管謙遜するキョーコに、甲斐は訝しそうな表情をしたが、すぐに表情を切り替えた。


「味が薄目ですねぇ。関西系の味のように思いますが、最上さんは関西のご出身ですか?」


「あ、はい。京都です」


「そうですか。京都のご出身ですか。京都は良い所ですよねぇ。古い物がたくさん残っていて日本らしい情緒が溢れています」


「そうですね」


 出身地を答えたものの、故郷に嫌な思い出でもあるのかキョーコの表情が微かに引き攣った。杉下はそれを見逃す事はなく、だが素知らぬふりで会話を進めた。敦賀 蓮の素性は秘密にするという条件での警察機関への協力という条件を呑んだのは捜査一課だが、警察の信用問題に関わるからくれぐれも秘密は守れ、と伊丹刑事から釘を刺されている。杉下にも否やはなかった。敦賀 蓮という大物スターが抱える秘密があまりに大きい為に気を取られそうになっているが、杉下は事件の原因は、敦賀 蓮よりも最上キョーコに関わると考えらえたのだ。



 最上キョーコの周囲を徹底的に操作する事が、事件の核心に迫る術だと考えた杉下は、食事を済ませると、甲斐と二人、東京へは戻らずに京都へ足を向けた。



  続く




 お久し振りの『緋色の迷宮』更新でございます。

 予想より遥かにこの回は難産でした(・・;)

 某様企画に参加したいと目論んでいたのですが、難産の余精根尽き果てた気が……( p_q)

 連載2つも抱えているくせに無謀な事考えた罰が当たったのかしら……(:_;)