キョーコが自分の部屋へセバスチャンに伴われて訪れた時、事件関係者と見做されている所為か、先日の警視庁の刑事3人の姿があった。



「ご苦労様です。最上さん」

「お世話になります」



 きっちりと頭を下げて挨拶するキョーコの態度は刑事達にもウケが良いようで、強面の刑事の表情も心なしか和らいでいる。



「鑑識作業も済んでいますので、最上さんには失くなっている物がないかどうか確認をお願いします。それと、この部屋に出入りする人があれば、教えて頂けませんか? 不審者との識別をしたいので」



「はい。でも、実はここって引っ越したばかりで。来た事があるのは親友の琴波奏江さんと、社長さんのお孫さんのマリアちゃんと、敦賀さんと社さんくらいです。セバスチャンさんは来た事ありましたっけ?」



「私は、ドアの前までマリアお嬢様をお送りした事がございます。ですが、お部屋にお邪魔した事はございませんね」



「念の為に後で指紋を摂らせて下さい」



「承知致しました」



 キョーコが私物の確認をしている間に、セバスチャンは警察の捜査の進行状況を把握しようと試みる。



「先日の件、何か進展はありましたか?」



「捜査内容をお教えするわけにはいかないので」



 慇懃に断ろうとする伊丹刑事に、セバスチャンは控え目な態度で申し立てた。



「警察としての立場もありましょうが、当方といたしましても、些かなりとも状況が判りませんと、対処に困りますので」



「対処、ですか」



「最上様は近々デビューの予定がございます。事件が、彼の被害者個人が原因であるならば最上様の周囲への警戒は通常でよろしいでしょうが、彼の件絡みとなりますと、改めて警護が必要になりましょう」



「敦賀 蓮の付き人してるんでしたっけ。芸能人になるような華やかな感じはないっスけどね」



「芹沢刑事さん、でしたか。最上様の魅力をご存知でない以上無理もございますまいが、侮られない方が宜しいですよ」



「へぇ?」



「それで?」



「まぁ。被害者が本当のクオン・ヒズリでないという情報は貰ってたんで。身元は解りました。クオン氏のパスポートが盗難に遭っていたという事と、先日弁護士事務所でお聞きした話からすると、被害者がクオン氏に成りすまそうとしていた可能性もありますから、本人としてと、クオン・ヒズリ氏としてと、両方から殺害される動機を探している最中です」



「でしたら、これがお役に立つかも知れません」



 セバスチャンはそう言うと、懐から調査会社に調べさせた結果の書類を出して渡した。受け取った刑事達は中身を確認して目を剥く。



「本人として殺害されるだけの動機には事欠かないようです。クオン・ヒズリ氏として狙われ、人違い、というかその場合は自業自得だと思いますが、被害に遭っていたとしたら、動機によっては最上様や本物のクオン・ヒズリ氏の身の安全を図る必要が出て来るかと思いますので、彼が本物でない事は発表しないで頂きたいというのが、ご本人の希望です」



「本人と……!」



 声が大きくなりかけた伊丹刑事を制するようにセバスチャンが留めるなゼスチャーをする。視線だけでキョーコを示し、聞かせたくない事を匂わせる。小声になってぼそぼそと会話を続ける。



「クオン・ヒズリ氏と連絡が取れるんですか?」



「主人のローリィ・宝田だけが連絡が取れる状態です。どうしてもご本人と連絡が取りたい場合は、何とかしてみると主人が申しております」



 困惑している刑事達に、セバスチャンは名刺を渡す。



「伊丹刑事」



「おう、米沢」



「最上さんが仰るには、紛失した物はないとの事です。ですがやはり、ベッドの蒲団が切り裂かれていたのは犯人の仕業のようですな」



「そうするとホシの目的は……」



「最上さん本人だろう。生憎と本人が留守だった、というわけか」



「物取り目的じゃなく本人目的となると、こりゃあ、いよいよ例の件が関係している可能性が……」



 苦い表情でお互いの顔を見た刑事達の視線が、キョーコに集まる。キョーコが驚いて動きを止める。



「え……」



 きょとんとしているキョーコに、刑事達の視線に危惧が浮かぶ。宝田社長や敦賀 蓮の心配を過剰なのではないかと思っていたが、本人のこの危機感の薄さからすると、決して過剰な心配ではなかったのだろう。



「あらゆる意味で危なそうだな、彼女」



「そうッスね」



 小首を傾げるキョーコの愛らしさは、確かに受けがいいかも知れないと思いながら、周囲の人間はさぞかし心配だろうとも思う。先日瀬田弁護士と共に立ち会った遺言状の公開では、彼女の結婚相手は莫大な財産も手に入れる事が出来るらしい。そもそも殺されたロード・ロイスなるアメリカ人も、その財産目当てにクオン・ヒズリの振りをした可能性が大きいと思われる。容疑者として、本物のクオン・ヒズリも可能性があるかも知れない。宝田社長が連絡を取れるというのなら、本物と会うべきだろう。
 キョーコ自身の指紋以外が着いている物は、一旦全て押収されて選別されてから返却されるという。キョーコの指紋しか着いていなかった物は、然して多くなく、部屋の状態はもう暫く維持する必要があるという事で、キョーコは当座の着替えや身の周りの物を持ち出すに留めた。如何にキョーコがテキパキと荷物を纏めるとはいえ、支度は夕方まで掛かってしまった。蓮の部屋の鍵は与っていたので、荷物の搬入はセバスチャンの手伝いでスムーズに済んだ。食事の支度の買い物へ出掛けようとしたキョーコに、セバスチャンが着いて来ようとする。



「セバスチャンさん、買い物くらい、大丈夫ですよ?」



「最上様をお一人にしてはならないと、旦那様から言い付かっております。私の事はお気になさらず」



「はぁ……」



 自分が置かれている状況の危険さをあまり理解していないキョーコは、余計な気遣いだと思っている。それでも主人の命令で動いているセバスチャンの立場を考えらえないキョーコでもない。仕方なく、どこぞのお嬢様宜しくセバスチャンをお供に夕食の買い物に出掛けて行った。
 二十歳にもなったキョーコに、自分の主人も事務所のトップ俳優も過保護だと思っていたセバスチャンだったが、キョーコの危機感の薄さは、周囲が心配したくなるほど希薄なのだと実感したセバスチャンは、本人の希望とはいえ、キョーコが芸能界に入る事に危機感を抱かずにはいられなかった。キョーコは、主人の息子と溺愛する孫娘の仲に入りかけていた亀裂を修復してくれた恩人である。謂わば主人の、つまりは十分にとっても恩人だ。運と実力と誠意だけで生きていけるほど甘い世界ではない事は、傍から見ているだけでも解る。キョーコの芸能界入りの動機は知らないが、親の邪魔を退ける為に成人までデビューを先延ばしにしてまで、という強い気持ちがある以上、傍から出来るのはサポートだけだ。楽しそうに夕食のメニューを考案しながら買い物をするキョーコを見遣りながら、セバスチャンは小さく息を吐いた。



 買い物を無事に済ませ、蓮のマンションまでキョーコを送り届けたセバスチャンが、地下駐車場から出て近くの公園脇に車を停めて、その旨を連絡しようと携帯電話を取り出した時、見覚えのない番号から着信があった。



「はい」



『警視庁捜査一課の伊丹です』



「はい。御用の向きはなんでしょう?」



『クオン・ヒズリ氏に会わせて頂けませんかね?』



「御用件は承りました。少々お時間を下さい。主人に伝えます。折り返しお電話差し上げますが、この番号でよろしいですか?」



『お願いします』



 セバスチャンは電話を切ると着信した番号を登録してから、報告の電話を掛けた。キョーコの荷物の運び込みと買い物を済ませて、蓮のマンションまで送り届けた旨と、警視庁の刑事からクオンに会いたいと申し入れがあった事を伝える。



「やはりそう来たか。まぁ、当然だわな。奴のスケジュールの都合を見て、何とか時間を捻じ込む……最上君はまだ暫く蓮の付き人だから、今日中に済ませちまう必要があるな。取り敢えずお前は戻って来い。奴と連絡を取っておく」



「畏まりました」



 セバスチャンとの電話を切ると、宝田は即急に蓮の携帯電話に連絡を入れた。都合よく蓮は休憩中だったようだ。ワンコールで電話に出た蓮に、多少面喰いながらも、宝田は警視庁の刑事がクオンと会いたいと申し入れをしてきた事を知らせる。



『今日の上りは珍しく早かったな?』



「はい」



『よし、なら仕事が上がったら俺の自宅の方へ来い。テンを呼んでおいてやる』



 テンとは、美容界の魔女の異名を持つMiss Jelly Woodsの事だ。蓮の本名は知らないが、蓮が日本人でない事を知る宝田(セバスチャンは当然知っているが)以外の唯一の人物である。テンを呼んでおくという事は、日本人に成りすます為に染めている髪と瞳の色を元に戻して、クオン・ヒズリとして刑事達に会え、という事だ。刑事達にクオン・ヒズリと敦賀 蓮が同一人物であるという事を知らせる必要はない。尤も警察機関に掛かっては、指紋や声紋から同一人物だとばれてしまうだろうから、下手に隠し立てはせず、守秘義務を遂行して貰う方が良いかも知れない。



「今日の最後の仕事は、このCFでしたね?」



「うん。アルマンディ―のペアウォッチをバレンタインデー向けにってCFで、男性から女性にプレゼントするってコンセプトだったな」



 電話を切った蓮は隣で手帳を確認していた社に話し掛ける。社の返答はスムーズだ。



「この仕事が終わったら社長に呼ばれているので、飛び入りとか入れないで下さいね」



「おいおい、いつも飛び入りの仕事を入れちまうのはお前だろうが。俺が何とか仕事をセーブしようとするのを邪魔してるくせに」



「すみません。これからは暫くはセーブして下さるに任せますよ。どうしても入れたい仕事の場合は相談します」



「そうしてくれ」



 肩を竦める蓮に、じと目で見ていた社が薄く笑みを浮かべる。蓮が仕事を詰め込んでいた理由も、セーブする気になった理由も、キョーコ絡みだと察している社は、生温い目で見守る気でいる。キョーコ絡みと思われる事件が起きている以上、キョーコを守る為にも蓮が自由に動ける時間は少しは欲しいのは確かだし、蓮に時間があれば、キョーコとて守られる事を受け入れるだろう。




 続く






 やはり時間が進みません。

 しつこいかなぁ……σ(^_^;)