やっぱすげーな、嵐。 | そぉまの脳内散歩道 ~にのあい時々ROCK~

そぉまの脳内散歩道 ~にのあい時々ROCK~

嵐の相葉さんとにのあいとROCKが大好き♡
そんなそぉま脳内をてちてちしては徒然なるままに、
アラシゴト以外も好きなように綴っている、
なぁーーーんの役にも立たないブログです(*´∀`*)/

脳出血前後のことを記録しとこうかと思って、記事の構成はどうするのが正解なのか、真面目に?笑えたほうがいい??とか前記事以降あれこれ考えていました。


人間いつ死ぬかわからんのだな、という経験を経て、書き残しておきたいと思ったことは色々あったはずなんだけど…2024/4/10をもってなんかもー、どうでも良くなっちゃったな😆

発症したの一年半も前のことだしなー。とか。

この一年半頑張ってもなかなか上手くできなかった気持ちの切り替えが、5人連名の発表ひとつでガラッと!!やっぱすげーわ、嵐の魔法。


とはいえ、区切りにするためにも一記事あげておこう。ここで区切って前向きになりなさいってことなんだと思うし。


というわけで、本記事はこの一年半の私の覚書まで。






私が救急搬送されたのは2022年10月21日の早朝。体に異変を感じたのは前々日の夜。まっすぐ歩いているつもりが右の壁にぶつかるようになったと思った直後、抑えきれない吐き気で二度嘔吐した後、叔母からかかってきた電話で会話したのを最後に記憶が途切れ、翌一日の記憶はまるっと抜けている。


病院に搬送された時、旦那は「残念ですが覚悟しておいてください」と先生に言われたそうだが、私はカテーテル治療を経て翌日にはNCUで管理された状態ながら意識は戻ったよう。お医者さんは最悪の想定をして家族に話すもんだw

旦那のメモと私の記憶を照らすに、意識が戻ってから記憶がはっきりしてくるのは入院3日後くらいからのよう。

病名は「脳内出血(右小脳)」。

両親共血圧高めという家系。会社勤めしていた頃には投薬が必要な血圧ではなかったけど、生活習慣や加齢もあって昔より高くなっていたんだろうと思う。2022年の夏はおかんの入院の他にも色々とあったし、睡眠不足&ストレス過多の日々が続いたことが要因だったかと思われる。


振り返るとおかんのことがあって病院への信頼ガタ落ちの時期だったのが影響していた(たぶん元来の妄想癖も作用した😆)と思うのだけど、入院中はせん妄が出て「病院にいたら殺される!」って思い込んでてねぇ😥
うっすらとした記憶としては少なくとも一度は暴れてるのよ。お世話になった看護師さん方には失礼この上ない患者だったなと今は反省しておりますが😅
その時は殺されるかもしれないという不安で触られるのも恐怖だし、安心して眠れず出された食事も食べられず。「早くここから逃げなきゃ!」その一心だったのでご容赦をー🙇

経験した身としてひとつ言っておきたいのは、意識の戻った脳卒中患者や麻酔から覚めた術後患者にはデフォで確認しなきゃなんだろうけど、
「今日何日かわかりますかー?ここどこかわかりますかー?」ってやつ。
あれさ、声かけてみてあ、この人記憶抜けてるっぽいな、って感じたら「〇〇さんは〇日に運ばれてきて病院で〇日眠ってたから今日は〇月〇日だよ」って、状況を伝えて欲しい。
意識が戻ってすぐ(じゃないかもしれないけど)の状態で聞かれて、必死に(よく回ってない頭でほんとにフル回転してるのよ!)記憶を辿っても今日が〇日だって自信が持てない状態で、「あ、覚えてないかー」と言うだけで去っていくっていう、あれ不安が増すだけだし、その返しじゃゼロの状態から信頼関係を築くのは難しい。せめて少しでも安心できる説明をーーーー🙏
意識が戻ったばかりで自分の置かれている状況をどこまで理解してるかわからない中では、相手の態度って通常より威圧的に感じるからさ。私みたいに信用できない相手は敵とみなす!ような人間にとっては特に良くないよ😆
実際に経験してみて、あの対応では患者さんの性格によってはお互いにいいことないだろうなぁと感じたので悪しからず。

そんなわけで看護師さんとの信頼関係がうまく築けなかった私はw入院から5日後(一般病棟に移るタイミング)にはリハビリも受けないまま担当医に懇願して「本当はあと一ヶ月は様子見たいんだけど…」と言われながらも強引に退院。状態的には患者の意思を聞いて退院を許可されるだけ軽く済んでいた?んだろうと思う。
家に帰れる!とホッとするも、旦那からはしばらくの間「脱走兵」と呼ばれる羽目に🤦‍♀️w

とはいえ、昼間家に1人で置いておくのは不安だという旦那により、退院後一ヶ月は義実家の一室で上げ膳据え膳で休ませてもらうことに。
食事をとる以外はほぼ眠り、夜自宅に戻って夕飯食べたらまた眠るという日々…自分でも心配になる程いくらでも眠れた。後々処方箋を見てみると処方されていたお薬のせいでもあったようだがw最初の1週間はほんとに死ぬほど眠った。
退院当初に感じていた軽い呂律障害は、たまにお友達や伯母や孫がお見舞いに来てくれて楽しく話しているうちに良くなっていったし、言語的にも身体的にも目に見えてわかる麻痺などは残らなかったことに感謝🙏


ありがたいことに2022年から2023年にかけての冬の間は周りも無理をさせてくれなかったから不具合を感じることもなかったのだけど、春に近づき暖かくなってきて少しずつ日常生活を取り戻していく中で、前より苦手になってるかも?!って作業があれこれ出てきまして。


発症した年(2022年)はおかんの入院に葬式、そこに自分の入院も重なっちゃったからお庭の冬支度どころでなく、昨年の春はあれもこれもやりたい!つか、やらなきゃ!ってことが山盛りだったんだけど、以前は集中すれば半日、1日で片付けられてた作業ができない!!!気ばかりが急いて…なんでできないんだろって焦るほどパニックみたいな状態になって何も手につかなくなる始末。まいった!!🤦‍♀️


ずっと上見ながらつるバラの剪定して、剪定する枝を選ぶのに視線キョロキョロしてると気持ち悪くなってひと休み。

気持ち悪くてふらついてもきちんとリハビリしてないせいで踏ん張るだけの脚力が足らないらしく体が不安定。それでも無理して動いてるうちに膝を痛めてますます出来ることの範囲が狭まる…という悪循環。


自分のペースで出来る事務仕事を少しずつ再開するも、PC画面を以前のつもりでばーっとスクロールしたり、膨大な現場写真のデータの中から必要なものをピックアップする作業が難しい。(何気なくやってて、すぐ出来ると思ってた作業だけど無理だった。どちらもけっこう視線動かしてたんだなー💧)

視線キョロキョロ動かしてすと気持ち悪くなる。気持ち悪くなるとふらつきはひどくなるし集中力は落ちるし…結果思いがけないミスがおきる。

そんなことを繰り返し、ムカムカしてきたら目を閉じて横になって少し休む…ようにしたけど効率悪いなこれっ!!!自分が以前のままのつもりでいるとストレス。


開頭手術をしたわけじゃないから車の運転は許可されてはいたんだけど、助手席で外の景色を眺めているだけでムカムカしてくるんだよ。

暴走運転する高齢者ドライバーのニュースが他人事とは思えない感触があり、四方八方の情報を視覚で(それも瞬時に)得なければならない運転なんて怖くてできない…

そんな状態のため車社会の田舎ではちょっとした買い物に出かけるにも旦那の手を借りなきゃで、自分がすごい役立たずのダメ人間になってしまった…という感覚による精神的ダメージはでかかった。自信をなくすと前向きな気持ちになるのは難しい(逆に考えると、地道に自信をつけていけば前向きな思考になれるってことなんだけど、それを実践する気力が湧かない…)


せめて日々の暮らしの中では効率の良い作業の方法を考えてストレスを軽減して、自信を取り戻していきたい。さて、どうすんべーか。と、試行錯誤して、この一年でマイナーチェンジを繰り返しながらだいぶ良くなったこともあれば、やはりまだまだ難しいこともあり。


頭位の変化によるめまいやふらつきといった目に見えない不具合がQOLを下げまくる!!!先生に相談しても「出血した場所が場所(小脳というのは体のバランスを司っているらしい)だからね。麻痺が残らなかっただけラッキーと思って、めまいやふらつきとは一生付き合っていくしかないねー」と絶望のお言葉をいただき🤦‍♀️

2023年は諦めと共にそんな自分の体の変化と向き合う一年でした。


あとね、2023年はたくさんのミュージシャンの方々もお亡くなりになったじゃん?あれもじわじわとくるボディーブローで。シーナアンドザロケッツの鮎川さんもだけど、亡くなる方が多すぎた。私的に1番ショックだったのはBUCK-TICKの櫻井敦司さん。

デビューの頃から見てきて、まだまだこれから!という年齢で急逝の一報はきつかったな…

あっちゃんはそのルックスに反して穏やかで優しい人柄のためか慕っていた後輩や同業者も多くてさ。亡くなった後ってそれまで語られてこなかった思い出話がたくさん出てきたりするじゃん?

Twitter(Xかw)に溢れる彼らのあっちゃんの死を悼む言葉や、亡くなったからこそ発信することができたんだろうな、ってエピソードを目にするのも切なく、あたしなんかよりあっちゃんが生きててくれた方がどれほどたくさんの方の力になっただろう…と思うことも少なくなかったんだよ。彼の死は私が越えなければならないことのひとつの山場だった気がする。


嵐さんから元気をもらおうかとも考えたけども、その時の精神状態では彼らの不在をつきつけられて逆にやられちゃいそうな気がしてね…

そんな日々の中で自分の思考を前向きにもっていく、気分を変えていくのは、お気楽極楽を信条としているそぉまでも、なかなか難しいものでした。

たまに遊びにきて気持ちを明るくしてくれる孫の存在がなかったらもっとやられてたと思う。

ちょっと合わない間にもいろんなことができるようになってたり、できないことを何度も繰り返してできるようになっていったり、その姿を見てると数日は明るいイメージが持てたな。


あとね、なんだかんだ言いたいことは山のようにあるがw 旦那には感謝してるかもしれん。

結婚して四半世紀以上、家事に全くノータッチだった旦那が、退院直後のひと冬は毎晩夕食を作ってくれ(鍋ばっかだったけども🤣)洗い物までしてくれて。

長年飲み仲間でもある弟夫婦が洗い物してる旦那の姿を見て目を見開き、「写真撮っていい?」ってなるくらいの出来事なわけよ🤣

今でも夕食後の食器は洗ってくれてる。

あたしが産後職場復帰していっぱいいっぱいだった時にこれくらいやってくれてたらな…という言葉は飲み込んでw 万が一の時には支えになってくれる人だということは分かったから、とりあえず感謝しとく🙏😆



だいぶ長くなっちゃったけど、まいっか(諸々)



そんなあれこれをうじうじ考えてた私を、5人連名の発表ひとつであっというまに前向きな気持ちに変えてくれた嵐。

5人が使えるのっていったいどんな魔法なんだろうか。ほんとに。