天才ドリブラー前園真聖(31才)引退
元ヴェルディの早熟天才ドリブラー前園真聖(31)が引退を表明した。
初めて前園真聖に遭遇したのは94年4月23日三ツ沢競技場で行われたマリノスとのダービーマッチ。小柄な選手の恐ろしく速い切れたドリブルに驚かされたのを鮮烈に覚えている。
だから私の中での前園真聖は横浜フリューゲルスのイメージが強くヴェルディOBの印象が恐ろしく薄い。
川渕キャプテンが「前園がいなかったらアトランタ五輪出場もなかった」と言われたらしいが、川渕キャプテンには言葉だけではなく日本サッカー功労者に対してのアフターフォローもしっかりお願いしたいところだまだ31歳の若者なのだから。
渡辺匠選手【川崎フロンターレ】ケガの為、戦列離脱
今年、5年ぶりにJ1に復帰した川崎フロンターレですがここまで主力選手の怪我人続出の中、今度は渡辺匠が全治3~4週間程度で戦列を離脱してしまいました。
開幕前の鬼木、今野、開幕後のジュニーニョ、我那覇、マルクス、寺田と4年間J2仕様に慣れた肉体が悲鳴を上げてしまっているのでしょうか?
あせらずJ1の中断期が明けにる7月には選手全員が戦列復帰していることに期待します。
エムボマ引退
2003-04の1stステージまで東京ヴェルディに所属していたパトリック・エムボマ(現神戸)が5/16に引退を表明した。
2003年、味の素スタジアムで見たエムボマは持久力には衰えが見えたが、身体能力の高さには度肝を抜かれたことを思い出す。
私の娘がヴェルディに通っていたころ、同学年でエムボマの息子ケビン、DFのロペスの息子アレシャンと一緒にプレーをすることが多くサイドラインで息子のプレーを見る姿はごく普通の父親であり、練習後に子供たちに交じってサッカーをするエムボマは世界のスーパースターと思わせないぐらい社交的な紳士だったことを覚えている。
今後は選手の代理人として活動をする予定らしいがエムボマ自身のようなプレーの上手さと人間性の優れた選手を日本に送り出してもらいたいと思う。
そして、ヴェルディSSの誰にでも分け隔てなくパスを出し、言葉が通じなくても誰にでも優しかったケビン・エムボマの未来にGood Luckの言葉を送りたい。
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!! 当選メール
しかし私の応援している川崎フロンターレが無謀にもプレミアリーグのボルトン(C大阪の西澤が以前所属)との親善試合を同日に計画中らしい......
クリスチアーノ・ロナウドを見るべきか川崎フロンターレの勇気ある挑戦を見るべきか、う~ん、さてどっちに行くべきか。
浦上壮史氏,、早くもフロンターレ復帰を果たす!
昨シーズン限りで現役を引退し早稲田大学ア式蹴球部GKコーチに就任していたガミこと浦上壮史がフロンターレの育成GKコーチ兼スクール担当コーチに復帰をした。
はやっ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
今年の1月に開催されたサポータ有志の送別フットサル大会http://ameblo.jp/fsc/entry-10001888446.html
で「必ずフロンターレに戻ってきます」と言っていたが、あまりにも早い復帰には正直びっくり。
まあガミらしいと言えばガミらしいですけど(´ー`;)
将来、フロンターレのゴールマウスにガッチリ鍵をかけるGKを育てて下さい。
日テレ・ベレーザVS宝塚バニーズ(Lリーグ第7節)
今日は2人の子供のサッカー部(富士見丘少年蹴球団・富士見丘アンジェリーナ)の練習が無かったので、稲城中央公園で開催された、Lリーグ第7節日テレ・ベレーザ対宝塚バニーズの試合を観戦してきました。
競技場に行くまでの車中はお天気雨が降り、試合中は快晴、試合後は雷雨になったりの不思議な天気の中、試合は5-0でベレーザの快勝で終わりました。
息子の通っているベルディサッカースークルの大野忍コーチ(なでしこジャパン代表)が2ゴール(今期7点目)を奪い、ガンちゃんこと荒川選手の手術後の復帰初戦ともなり見所が一杯の試合でした。
試合終了後、娘が今春まで教わっていたベルディジュニアの永田監督、大島コーチにも久し振りに再会し旧交(たった2ヶ月ですが)を温め家族みんな楽しい時間を過ごせました。
日テレ・ベレーザ 5-0 宝塚バニーズ(Lリーグ第7節)
【 ベレーザスターティングメンバー】
GK:1 小野寺志保
DF:2 中地舞、3 四方菜穂、4 須藤安紀子、22 川上直子
MF:5 酒井與惠、7 伊藤香菜子、10 澤穂希、20 宇津木瑠美
FW:9 大野忍、19 永里優季
【リザーブメンバー】
GK16 松林美久、DF12 豊田奈夕葉、DF18 岩清水梓、MF6 近賀ゆかり、FW11 荒川恵理子
【得点】28分、38分:伊藤香菜子、40分、83分:大野忍、68分:永里優季
【交 代】62分:中地 → 豊田、68分:永里 → 荒川、83分:大野 → 近賀
*娘のお世話になったコーチ、息子のお世話になっているコーチ
川崎フロンターレVS清水エスパルス(12節)
等々力競技場で行われたJ1リーグ第12節川崎フロンターレVS清水エスパルス戦を観戦してきた。
FW出身の長谷川健太監督が采配を振るうチームとは思えない、エスパルスの引きこもりサッカーには正直うんざりさせられた。
これじゃ去年のJ2下位チームとの対戦と変わりゃしない。
J1のチームってもっとフロンターレの3バックの裏をどんどん突いて攻めてくるのかと思っていたから、少々想定範囲外の試合内容でした。
結局フロンターレは、開始1分のコーナーからの失点で0-1の敗戦を喫し消化不良でJリーグ中断を向かえてしまった。
2005J1リーグ
第12節試合【結果】
[得点]
川崎フロンターレ 0-1 清水エスパルス
[勝点14] [勝点16]
[得点者]
【清水】1分 久保山由清
[入場者数]11668人
第29回全日本少年サッカー大会東京都予選敗退
野町和嘉写真展 「エチオピア黙示録」
巷はGWで賑わっているのを横目に、朝からガラガラの京王線に乗って今日も会社に出勤しました。
私の会社は米国フィルムメーカーのサービス部門に当たる為にカレンダー通りの営業となっているのであります。
出勤はしたものの電話は鳴らず来店者も無く気が狂うぐらい暇な時間を過ごし、午後になり耐えられず取引のあるカメラマンの方が開催されている写真展に足を運びました。
内容はエチオピアの灼熱の砂漠と旱魃と、終わりのない内戦の困難と苦悩のもとで過酷に力強く生きる人々を収録したドキュメンタリーリポートです。
日々平和に暮らす自分、平和に育つ我が子と比較し何か胸がしめつけられる思いのする写真展でした。
開催期間に我が子を連れてもう一度、足を運びたくなりました。
久し振りに人に薦めてみたくなる写真展だったので詳細を下記に書いておきます。
コニカミノルタプラザ(新宿高野ビル4F)で4月29日(金)~5月20日(金)まで開催
開館時間10:30am~7:00pm (最終日は3:00pmまで)
野町和嘉写真展 「エチオピア黙示録」http://konicaminolta.jp/about/plaza/schedule/may/gallery_bc.html#1
祝!フロンターレ200試合目観戦を勝利
1997年8月24日、当時JFLに所属しJリーグ昇格を目指すチームが川崎に発足したとの話を聞き、ちょっと興味を持ってぶらっと等々力競技場に足を運んだ。
観衆は2821人、同じ競技場をホームとして使用しているヴェルディ川崎とは全く違う雰囲気のスタジアムだったことに驚いた。
試合前の少ないサポーターからの選手コールに選手一人々が手を上げ挨拶し答えていたのがとっても新鮮に映った。(今ではJリーグどこでも普通の光景になったが)
対戦相手は水戸ホーリーホックでフロンターレが圧倒的に押し込む展開だったがクロスとフィニッシュの精度が悪く、結局右のサイドバック長橋康弘のゴールのみで1-0の辛勝だった。
当時、東京在住で地元チームの無い私には心底応援出来るサッカーチームが無く、10年間育った川崎のJリーグチームの応援に等々力競技場、国立競技場に足を運んでいたのだが何か違和感を覚えている自分に気付いていた。
そこに現れた川崎フロンターレというチームは、何か私が抱いていたその違和感を感じさせないチームであった。
川崎市に根を下ろすチーム、10年間育った地に誕生した地元チームを応援出来る喜びを感じ9年目、観衆は11668人に達した。顔なじみのサポーター、川崎華族のメンバーも少し年齢を重ねお腹の周りも太くなったが地元に応援出来るプロスポーツチームがある喜びは今も変わっていない。
奇しくも200試合目のジェフ戦も9年前から右MFにポジションを上げた長橋康弘のゴールで1-0の勝利を収めた。
何か運命的でもあるフロンターレ200戦目の勝利を肴にビックボーイでビッグフラッグスタッフの友人7人とビールを飲む私であった。
J1リーグ第9節試合結果
[得点]
川崎フロンターレ 1-0 ジェフユナイテッド千葉
[勝点14] [勝点12]
[得点者]
【川崎】61分 長橋康弘
[入場者数]13667人