現在は無人駅になっているけど
駅舎の雰囲気も
改札の位置も階段も柵も当時のままで
うれしくて写真を撮ってもらった。
神戸の下町に生まれ育った母は
結婚して神戸市北区に新居を構え
人生初の神戸電鉄沿線暮らしとなり
幼いふじこによくぼやいていたのを覚えている
「神鉄って山の中を走るの。山ばっかりよ。」
結婚してJR加古川線沿いに暮らして初めて
当時の母の思いが理解できるようになったけれど
私にとってこの駅から祖母宅の長田駅までの
母とのお出かけは毎回楽しみで
靴を脱ぎ、座席に正座しながら
山ばっかりの車窓を眺めていた。
西口駅の坂道を少し上がると
一年だけ通った小学校がある
最近知ったのやけれど
鈴蘭台は昔、関西の軽井沢と呼ばれ
ふじこの通った鈴蘭台小学校は
ダンスホールがあった場所なんやそう。
元町よりも早く、鈴蘭台にダンスホールが完成してたって
すごくない??
その時代にタイムスリップしてみたい
ホールに通う人たちのドレスや車やお帽子は
どんなんやったんやろう?
ああ
見てみたい。
西口駅前にも店舗がある
パン好きの母といつも行ってたパン屋さん
「ワールド」
食パンが美味しくて大好きやった
この女の子が袋にデザインされていたのも
よく覚えている
数十年ぶりに狭い店のドアを開け
菓子パンをいくつか買ってみたけど
やっぱり美味しくて、懐かしい味がした。
ダンスホール跡に建つ学校に通い
小さな細い坂道をウキウキくだって下校する
当時の私に出会えた気がした鈴蘭台西口駅
そうや
私はいつも楽しかった
学校に行くのも家に帰るのも楽しかった
毎日毎日楽しかったことを思い出した。
母が亡くなって一年。
不思議なんやけど
姿が見えなくなってからの方が
より身近に母を感じることができる
今たぶんこう言ってるんちゃうかな
そんな感覚も、どんどん研ぎ澄まされていく気がしてる
母に連れられて歩いた駅周辺に
40年ぶりに降り立ち
懐かしさと嬉しさで
暑さを忘れてはしゃいだあと
静かに心に残った確かな感覚
ずっと守られていた
ずっと愛されていた
そばにいるときもいないときも
お母さんが私の手を繋いでくれてた
どんどん自分が本当の自分を見つけていく。
自然で簡単な行為のはずが
年齢を重ね
大人のくくりに入れられ
奥さんになりママになりするうち
ありのままを覆い隠して生きる癖を
積み重ねてしまってきた
本当はずっと昔から
私は私としてシンプルになりたかったのに
ふじこが生み育てた二人息子たちにも
あなたたちはあなたたちのままでいいと
もうええって!て呆れられるくらい
命ある限り伝えてたい。
一周忌法要にて
親族の前で堂々と
大学4年生、21歳のてつをが描いた
犬と牛 ↑