9月に長い発送のおやすみをいただき

関西帰省した理由は

「実家じまい」

 

阪神淡路大震災後、建て替えたとはいえ

幼少期から結婚で離れるまで

育ち過ごした土地であり

母がとても大切にしていた家

今となっては、母がいた場所、唯一母を感じられる

そんな実家がなくなると決まったときは

いつかその日が訪れるとは知りつつ

想像以上にショックで

まるで、自分の居場所を失うような気持ちでした

 

 

 

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南に瀬戸内海

北に六甲山

神戸は坂道の多い街です

母が迎えに来てくれた坂道

ドレスを作りに二人で行った坂道

大好物の豚まん(肉まん)屋さんに続く坂道

歩けなくなるまで、たくさん一緒に歩きました

そして、数え切れないほど一緒に

あの家に帰りました

 

 

 

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気持ちの整理がつくまでに

まあまあ時間がかかりました

何度も夢を見ました

若かった母がキッチンに立っている夢です

目覚めてもしばらくは

懐かしさの余韻に引っ張られて泣きました

この年になって、ここまで実家に執着する自分は

おかしいのか?と思ったりもして

そんな日を過ごしながら気づいたんです

 

ああ こんなにも

大切だった、と。

 

 

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私は、自分の道を選択しておきながら

もう片方の道も残しておきたかった

どこかに、帰れる場所をおいておきたかった

失敗するかもしれない自分のシェルターとして。

 

なんと中途半端な決心で道だったんだ

失敗する前提ってなんだ?

みんなに応援してもらい、これだけ助けてもらっておきながら

失敗することも視野に入れていたってか!

私に残っていた防衛本能に

母との思い出を結びつけてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

いつだって、どこにいたって

思い出と愛情は、私の中にちゃんと在る

だから大丈夫

大丈夫な私に、育ててもらったから

ちゃんと母を感じられる

失敗したって大丈夫

また始めればいいから。

 

 

 

 

 

実家をしまう、ということは

自分の心の整理でもありました。

失うのではなく、在ることを知ることでした。

 

長くリボンを待ってくださった皆さま

帰省でお世話になった方々

本当にありがとうございました。