【10 決断】

「おかえり!」
「先輩はどうだった……って。ゆのちゃん、顔真っ白じゃない」
 しおりちゃんが、心配そうにあたしの顔をのぞき込む。
 編集部はいつのまにか我が家が拠点になり、放課後は自然にみんなが集まるようになっていた。
「ーーダメだった。土下座したら気持ちが変わるかもねっていわれたんだけど……」
「すげー。青木トウマを怒らせたはじめての女だ」
 エンマは「やっぱおもしれー」とお腹をかかえながら笑う。
「でも明日には印刷しないと間に合わないんでしょ?」
 ああ、どうして時間は止まらないんだろう!
 いま時間を止めてくれるなら、あたしのお小遣いなんて、向こう1年いらないよ!
「ゆのちゃん、仕方ないよ。もらったままの原稿でいけば?
 別に同好会で趣味で作ってえるんだもん」
 しおりちゃんがあたしの肩を優しく叩き、心配そうにのぞき込む。
「まー、青木トウマの知名度は認めるよ。アイツが描いたものが載ってるってだけで群がる、女共もいるだろうし」
 エンマはペラペラと原稿を入れた封筒振る。
「逆にいいんじゃね? このクッソつまんない物を世に出して恥をかけば」
「ぎゃーっ! 原画はもっと丁寧に扱ってくださいっ!」
 原画は神様です!
 ごはんの種です!
「つまんねーんだよ。燃やせ、捨てろ」
 ひーっ。さすがにそれはっ!
「エンマがどう思っても、これは先輩が一生懸命描いてくれたん原稿だから。うちの編集者ならちゃんと大事に原画は扱って」
 先輩の原稿には色々文句はいうけど、もちろん敬意ははらっている。
「あたしたちがやろうとしていることは、描き手の原稿がないと成立しないんだから」
 あたしの真面目なお願いが届いたのか、エンマは机に原稿を戻してくれた。
「ありがとう。エンマ」 
 あたしは微笑んだ。
「ゆのちゃん、雑誌がちゃんとできるか占ってみる?」
「ありがとう。でも今回はいいや」
 しおりちゃんの言葉に、あたしは小さく首をふる。
 もし占いで「ダメ。間に合わない」って出たらショックだし、そもそも占いでダメだからって諦めるつもりもないから。
 
でももう時間がない。
 解決策も、ない。

「ごめん。ちょっと考えたいから。今日は解散しよう」
 あたしはそれだけいうと、自分の部屋に駆け出した。

◆◇◆

 気がつくと窓の外からは西日が差し込む。
「みんな帰ったわよ」
 リビングにいたハルちゃんが大好きなココアを淹れてくれた。
 上にあわ立てた生クリームが乗ってる豪華バージョンだ。あたしは小さく「ありがとう」と呟いた。
「目の下くまになってる。若いからって睡眠不足は美容の敵よ!」
「ーー最近、先輩のことばっかり考えてて、全然眠れなれなかった。寝てもできた雑誌で先輩の漫画のページが真っ白だったり。なんだかいつも先輩のことばっかり考えてる」
 自分もコーヒーカップを持ちながら、そっとハルちゃんはあたしの隣に寄り添い、頭をなでてくれた。
「ふふふ。ゆのちゃん、それ編集者の言葉よ」
 あたしは驚いてハルちゃんを見つめる。
「……そうなの?」
「もう『編集者あるある』っていうくらい」
「ハルちゃんも?」
 モチロンとハルちゃんは胸をはる。
「追いかけてる途中の原稿があると、みんなそればっかり考えちゃうものよ」
 特に締め切りが近いとね!
 ハルちゃんの言葉に「母がいつもスミマセン」と頭を下げそうになる。
「なに? ハルちゃん、思い出し笑いなんかして」
「……昔のこと思い出しちゃって」
 ハルちゃんが懐かしそうに目を細める。
「白石先生の漫画がたまって。初めて単行本になるって時にね。失敗して全国の書店から回収される夢を見たことあるわ」
「ホラー映画より怖いね」
「怖いわよぅ。唇を思い切りかみ締めてたらしくて、血みどろだったわ」
「もうそれホラー以上だよ!」
 あたしがクスクス笑うと、ハルちゃんもほっとしたような顔で頷く。
「そうね。それかな、あたしの編集者としての最初のホラー記念日」
 ハルちゃんの言葉に、あたしはゆっくりと頷いた。

「ーーねぇハルちゃん。時間がないからって、そのまま載せていいのかな」
 実はずっと考えていたことがあった。
 雑誌のページ数を変えること。
 この雑誌に関しては学校から指定されているわけじゃないし、本当は編集長のあたしの判断で変更できる。
 学園祭に合わせて創刊する!っ ていうのも誰かに決められたことじゃないから、「すみません! 間に合いませんでした!」っていってずらすことだって本当はできる。
 でも一度自分の中で決めたことを「できませんでした」って理由でひっくり返してたら、それがクセになっちゃうような気がして怖いんだ。
 だから現時点では絶対絶命のピンチでも。あたしは絶対に逃げたくないよ!
 ハルちゃんはあたしの考えていることがわかっているのか、あたしの頭をくしゃりと撫でる。
「この仕事の先輩としてのアドバイスでいいのかしら?」
「はい」
「仕事だったら発売日を守るのは絶対。特に雑誌はたくさんの作家さんが携わっているでしょ。ひとりひとりの作家さんたちの都合に合わせてたら、100パーセント雑誌なんて出ないわよ」
 あたしは神妙な顔で頷いた。
 だってそれってあたしたち子供の世界でも一緒だと思う。
 夏休み明けにA子とB子だけは宿題の提出が遅れてもいい、とか先生がいったら絶対に気分悪いもん。
 それにあたしが該当の生徒だったら、「前回大丈夫だったから次も大丈夫かな~」って甘くなっちゃうし。
「ハルちゃんだったらどうする?」
「うーん。打開策はいくつかあるわね。ページ数が多すぎるなら著者の了承を取って途中できって。次の号で。続きを載せる、とか」
 そんなの思いつかなかった!
「その手があったか!」
 喜んだのもつかの間、ハルちゃんは怖い声であたしを嗜める。
「でも面白くない原稿を目玉の連載にするなんて、一瞬で読者にそっぽ向かれるよ。甘くないから、読者は」
 ハルちゃんの言葉にシュンと肩を落とす。
「でもあたし個人とはね。ゆのちゃんたちには『本を作るのって楽しい』って気持ちを育てて欲しいって思ってるの。最終的にはその気持ちがないと続かないから。でももしもこれが現場なら」
 びしっと指を突き立てられる。
「圧倒的に準備不足!」
「ゆのちゃんのパワーとかやる気って現場でもすごく大きな武器になるわ。でもね。、下調べをしたりとか、細かくて地味な作業も圧倒的に多いの」
 いつもあたしに甘いハルちゃんの厳しいことば。
 あたしの真剣さに真剣に答えてくれている。
「ーーハルちゃん、ありがとう」
 あたしは深々と頭を下げた。
「ま。知名度のある子を目玉に引っ張るって考えは悪くないわ。学園祭に合わせて刊行するってタイミングもベスト。わたしはゆのちゃんの作るはじめての雑誌、楽しみにしてる」
 そういってニッコリ笑った。
「せっかくなんだし、ハードルは目一杯高くしておきなさい。その方が遠くまで飛べるから。ま、失敗も成功も全部財産よ。後悔しないでね」
 クシャクシャと頭をなでてくれると、ハルちゃんは「さてと。そろそろ夕飯の買い物行かなくっちゃ」と立ち上がった。
 ハルちゃんが仕事人の顔。あたしはしばらくそれに見惚れた。

「ああみえて、銀野さん、業界で有名なやり手編集者なんだよ」
「ママ?」
 いつの間にかビールを片手に(この人昼間っからお酒飲むんです!)ママがリビングにやってきた。
「ハルちゃんが?」
「そう。あたり柔らかいけど、中身は肉食でしょ。あたしも色んな出版社の人と仕事してるけど、やっぱりハルとする仕事が一番いいな」
 ぐいっとビール飲み干すと、ついでに売り上げもねとママはヤリと笑った。
 確かに。
 一筋縄ではいかないこの人をなだめすかして、十年以上一緒にやってるんだもん。
 これからはハルちゃんじゃなくて、ハル様だよ!
「ハルちゃん、締め切りを守るのが絶対って言ってた。ママもそう思う?」
「思うわけないじゃん」
 ケロリとのたまう
 ママに、あたしはがっくりうなだれる。
 ジーザス! ハル様、こんなママでごめんなさい。
「ーーでもそれは私が漫画家はクオリティ重視。自分の名前で勝負して、一生残る本を出す仕事だからね。その出来次第ではもう仕事が来なくなる。だから絶対に自分が納得したものをこの世に出す」
 ママの言葉にあたしはハッとする。
 そうか。あたしは先輩に「作家としてのトウマ先輩に言ってます」なんて偉そうなことをいったくせに全然わかってなかった!
 あたしは編集者。トウマ先輩は作家。
 協力して一緒に作り上げる同士であっても編集者と作家は全くの別人種。
 立場や考え方や覚悟が絶対的に違うんだ!

 今では慣れっこになっちゃったけど、ママとハルちゃんがしている打ち合わせでは、あたしの方がハラハラするくらいピリピリした攻防が繰り広げられている。
 まだ小さい時はハラハラして「ケンカしないで」って泣いたことがあったんだ。
 ハルちゃんは「ケンカするくらいで丁度良いのよー」ってカラカラ笑ってたっけ。
 もう少し大きくなったらわかった。
 あれはケンカじゃなくて、どうやったらその「本」がより面白くなるのか、作家であるママと編集者であるハルちゃんとの真剣勝負だったんだよね。
 だからいつも本が出ると二人で大はしゃぎで乾杯してる。(あたしの存在を忘れるほどに……)
 ママは他のママとは全然違うし、大人なのに昼間で寝てるしワガママでダメ
 人間だけど、『自分しかできない仕事』を必死に頑張っている。
 でも小さいときにママから言われた。
「もしゆのが事故にあって。その時どうしても上げなきゃいけない原稿があったら、あたしは仕事を終わらせてから病院に向かう。あたしはそうゆう仕事をしているから。でも絶対に忘れないで欲しい。でもアンタが大切じゃないわけじゃないから」
 そっけないママの言葉に混乱していると、ハルちゃんが「ママはゆのちゃんが一番大切だよっていってるのよ」って抱きしめてくれた。
 自分にしかできない仕事ってカッコイイけど、どんなに体調が悪くても絶対に休めない。
 なぜなら自分にしかできないことだから。誰も「大丈夫だよ。変わっておくねー」っていってくれない。それだけき
 ついし、逃げ場がないってことは近くで一番見てきたのに。
 あたしは自分の未熟さに唇を噛んだ。
 ママはそんなあたしを見ると、あたしのほっぺを強く引っ張る。
「いひゃい!」
「ハルの仕事はね。あたしみたいな人間から、気持ちよく原稿を取るの」
「気持ち良く?」
「どんなにケンカしても最後はあたしも『こっちの方が百倍面白い』って思えたもので勝負させてくれるヤツなんだよ」
 ママとハルちゃんの強い信頼関係。
 あたしはそれがまぶしく見えた。
「……妥協は一回すると癖になるよ。頑張りな」

 ハルちゃんとママの言葉は、楽な方に流されそうになってたあたしに、活を入れてくれた。

 

「もーーーーーーーーーーーー! どうすればいいのよ!」
 あたしはベランダに出て大きな声で叫ぶ。
 叫んだからって答えがかえってくるわけじゃないけど、こんなピンチには叫ばすにはいられないよ!

「ゆのの好きにすればいい」
 驚いてベランダの右端をみる。
 隣の家の壁から突然声がする。
 確かめなくたってわかる。これは王子の声だ。
 あたしは声のほうに向かい、壁を背にしゃがみこんだ。
「なによ、それ。人事と思って。簡単にいわないで」
「違う。お前がその雑誌の編集長なんだろ? うちの新聞部は部長の命令が絶対だ。もう出来上がってたって急に入ってきた記事差し替えたことだってある。だから編集長は雑誌そのものなんだよ。だから最終的にはゆのが決めればいいと俺は思う」
「王子」
 王子がこっちにいなくて良かった。
 あいつの言葉に励まされて泣いてるところなんて、絶対に見られたくなかったから。
 あたしは子供のころから王子にはいつもそっと背中を押してもらっている。
 あたしがピンチで呼吸が苦しくなってきた時に、いつもそっと酸素を送りこんでくれる。
 急に大人びた王子にちょっと驚いたけど、やっぱり王子は王子のままなんだよね。
「この雑誌のこと、一番考えてきたのはおまえなんだから、おまえが好きなようにやればいいんだよ」
 あたしは涙をゴシゴシと左腕でぬぐい、背筋をのばす。
「ゆのはどうしたい?」
「――全部欲しい」
「トウマ先輩と話す。押し付けるんじゃなくて一緒に考えて納得してもらって新しく原稿を描いてもらう。そんでもって決めた日に決まったページ数で雑誌を出す!」
「じゃあやること決まってるじゃん」
「ありがとう! あたし先輩のところ行ってくる!」
 サンキュー、
 王子。
 いつか必ずあたしがアンタを助けるから。

 

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