フェイスブックの正しい使い方 | ふせい白書

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あらあらまたこんなことを?よろしくないわねえー。ちょっと成敗してあげましょうよ。

フェイスブックの正しい使い方


また、不正をはたらいていた人がいた。
ふせい白書で成敗してあげよう。


最近妻から、フェイスブックで奥さんへのクレームを書いてあ
る書き込みがある、ときいた。


その内容は、「フェイスブックは究極の出会い系サイトである」
「フェイスブックでそういうもめごとで裁判沙汰になった事件が
ある」

というもので、旦那が、フェイスブックにはまっている妻への
嫌がらせで書いているものらしい。

フェイスブックは文明の利器であり、現在最も先端をいってい
るコミニュケーションツールである。


その最も大きな特徴は「実名で登録する」という点だろう。

実名で登録するわりには、自分の書き込みをみせたくない人に
はみせない、という設定もできる。


これはリアルな生活とほぼ同じ感覚だ。


会いたくない人には会わなくていいし、みせたくない人には知
りあいでもみせなくていい。


ビジネスとして使うには他のネットのツールと比較しても群を
抜いている。
使い勝手は今私が書いているブログと同じである。内容を更新
できて写真も掲載でき、見た人がコメントを書き込めるように
なっている。


では、ブログよりビジネスに向いている点は何なのか。


それは、顧客の顔が見えるということである。


ネットのツールをビジネスとしてとらえる場合、機能、使い勝
手、世の中への普及率などを検討する。
ネットのツールはほぼ出尽くしている感があるので、どうして
も差別化を図るのはもはや難しい時代となった。


決してブログが悪いと言っているわけではない、これはそれな
りに使い勝手はいい、しかし、私もブログを長く使っていて、
今は更新していないが、読者が6ヶ月で100名を超えているブロ
グももっている。また、2006年から続けているブログもある。


しかし、その読者の誰もが匿名で、勿論自分も匿名であるので、
発信する側の自己満足しかないということは否めない。

いわばエンターテイメントに近い感覚だ。


自分が匿名であることより、読者が匿名であるということがそ
の実を握っている。

だから、映画やTVドラマといっしょで面白くなければだめだ。


その点、フェイスブックは面白くなくてもいい。


そこが大きな違いだ。


私はフェイスブックの映画は見ていないが、フェイスブックの
最も成功した点は、実名登録、という点だと思っている。

より深く密接な関係を築くには実名で登録するフェイスブック
は最適である。


実名で登録する、という点ではフェイスブックは他のツールに
追随を許さないイニシアチブをもはや握ってしまった。

実名では、発信側だけでなくユーザー側にも責任が委ねられる。


ユーザーの責任で見に行き書き込みをする、それを見に来た別
のユーザーがそこでキャッシュをおとしていく、という流れか
らすれば、どう考えても、ブログよりフェイスブックの方が優
れている。


洋服の小売りなどにはもってこいだということは一目瞭然だ。

そのようなフェイスブックにも罠があるということだ。

フェイスブックを使いこなし、誤解を招かないためには、ユー
ザーにルールをみせることにつきる。
フェイスブックがビジネスとして使える点でもうひとつの利点
としては、ルールが明白な点である。


例えば、洋服であれば、写真や特徴や色などを確認し、他のユ
ーザーのコメントを見て買う、それだけである。
季節ものの紹介や特集をみて、買う、そのためにあるツールで
あり、そこには下世話な世間話は存在しない。
見に来て他の意見を参考にして買う、というルールが明白であ
る。


話を戻すと冒頭に書いた、旦那が妻への嫌がらせを書いている、
ということだが、気持ち的にはわからなくない。わかる、とは
いやがらせを書いた方の旦那の気持ちが、である。


先日も、あるフェイスブックで、数名が一人の女性の旦那の悪
口を書いている、という話をきいた。
その数名の中にその女性がいた。つまり旦那の奥さん(ややこ
しい表現で申し訳ない)


つまり、奥さんが旦那の悪口をかいて、フェイスブックのコミ
ュニティで複数の人が誹謗中傷していたという構図だ。

内容にもよるが、やり玉に挙げられている男性がその気になれ
ば名誉棄損といった裁判沙汰の話である。


それは誰だって怒るだろう。


自分のいないところで、自分のことを知らない人たちから誹謗

中傷されているのである。

また、その書き込みを見られないうちに消してしまう相談もされ

ていたというから、それは証拠隠滅といって、さらに悪質である。

管理人の顔が見てみたいものである。


「旦那には内緒です・・・」などといってフェイスブックやメ
ールを使おうと思えば使える。
冒頭の旦那夫婦は、陰にそのような問題を抱えているのではな
いだろうか。


例えば、インターネットがないころは電話や手紙がコミュニケ
ーション手段であった。
家にいれば、誰からの電話か、あるいは文通は誰としているの
かなどばれる可能性があった。


だから、変なことはできなかった。


だが手紙でも中には子供の学校からのお知らせがはいっている
んだよ、とか、習い事の請求だよ、ということがわかれば、当
たり前だが夫婦喧嘩はない。


何が書いてあるのかわからない、ハート形のシールが貼ってあ
る手紙だと、もめる。こと封筒から香水の香りなど漂っていれ
ば、別格である。送ってきた女性に拍手を送りたい。


フェイスブックも裏のメッセージ機能を使えば、旦那、あるいは
妻にはばれない。


私はフェイスブックが悪いと言っているわけではない、実名で
登録するが故に使う人間のモラルの問題が大きくかかわってく
る。


例えば、夕方公園であった近所の主婦なんかと旦那の悪口をい
う、みたいなもので、旦那がきくと怒るだろう。


本人たちには、怒らせる気はないはずである。

ただ、そこに参加したくない、という奥さんもいる。


冒頭の旦那夫婦の件であれば、妻が旦那にルールをみせればい
いのである。


この友達がいて、こういった話をしている、ということを聞か
れたときに正直に話してやれば、いいのだ。

ただ、問題は、すでにもめている、ということで、火のないところに

煙はたたない、一見変な旦那だなと思うが、奥さんが見えないと

ころでコソコソと旦那の悪口を書いたり、他の男と会う約束をした

りしている可能性はある。


それでは見せられないし、旦那はそのような空気を感じている
のではないだろうか。


そのようなことはもはや社会の悪であり、フェイスブックの使い方

としてはよくない、いやそのような人にはフェイスブックは使わせ

るべきではない、と思う。

見えないコミュニティで平気でそこにいない人の悪口をいった
り聞いたりしている人は、フェイスブックは使えない。


それでは、匿名のブログでもいいではないか、顔が見えている
点でも、被害を受けた側からすると、より悪質である。


まだ、フェイスブックは草創期である。


ひとつのビジネスモデルはできたが、冒頭の話を聞く限り、利用の
仕方が、知らない人をどんどん友達にしていったり、と、ブログの

域を抜けていない。


まだまだ個人間でも誰にも誤解を招かない、楽しい使い方がで
きるはずである。


家族であれば、よりリアルな生活が楽しくなるような、恋人同
士であればより深い愛が築けたり、友人にアピールできたり、
その他、普段の知り合いでは、より交流が楽しくなるような。


冒頭の旦那夫婦の話や、旦那の悪口を書くようなコミュニテ

ィがあるようなフェイスブックは楽しくない。


そう書くと「楽しくなる使い方」が今後のフェイスブックのキ
ーワードではないだろうか、と思った。