2017年10月読書メモ | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

 

 

いよいよシンギュラリティが現実化…今後の(人類の)未来を占うに最適の一冊が降臨。

 

 これは今年の一冊ではなくて、就業者・就学者にとって自身の未来・将来を考えざるを得ない時代が到来したという問題意識のもとに読まざるを得ない一冊。20年前に語られた「IT革命」という不確かな宣言ではなく、今回はホンモノの可能性が高い。それは同著であげられる専門家群とそれに呼応するAI・IOT技術が提供(しつつある)サービスを見比べれば腑に落ちるはず。同著ではまず、「専門家」の定義が語られるところから始まるが、その役割がタスクごとに分解・融解されることで脱神秘化され、それはAI・IOT技術に呑み込まれていくだけでなく。むしろAI・IOTの方がうまくやりうる。

 このことは同著の例では語られていないが、チェス・囲碁・将棋でもたらされた事態はむしろAI同士の研究を専門家こそ後追いする時代になっている。

 考えてみると、認知科学・脳科学の発展はかつてブラックボックスとして扱っていた脳をコンピューターで行われていることを類推することで始まっている。知的労働こそAI・IOTに馴染むのは自然。情報を蓄積する媒体に、「検索」機能が加わったことで膨大に蓄積された、そしてされる情報を分析・活用する「チカラ」が備わったのが今日。ではヒトに残された仕事は―同著ではその点も語られるが是非ともその賛否の態度は保留したとしても読んで考えるべき。それこそ現在資本主義を支える人類の能力主義は終焉を迎える可能性すらある。成果主義からプロセス(努力・雰囲気)評価主義へ―。

 

 社会学者として一人社会を変えつつある内田先生の新作。要は、教職をその他一般職業と同じく労働として捉え直すという言われてみれば当たり前の話だが、どこか社会では無意識に聖職としてその点を看過してきた。その矛盾が露わになるのが「部活動」。

 あくまでも自主的な活動のはずが、参加を強いられる―支えるのはただの教師の奉仕。私も知らなかったのだが、給特法において教師の残業は教職調整額としてあらかじめ4%増額されることで事足れりとされている。しかし、就業時間数という観点からはブラック企業が平伏すレベルに達している。

 その病理が「部活」。同著ではその異常さを改めて冷静にひとつひとつ突きつける。そして提言される解決策も極めて現実的、同議論に対して有効な反論は皆無と思われる(その先にもたらされるであろう学校(化)社会の解体についてはノーコメント)。

 単に経済成長率が増加するだけでは、社会は豊かにならず。増えたパイが「公正」に分配されるかどうか、「格差」に関する問題はここ数年世界のホットワードとなっている。その最先端(末端?)を英国の底辺託児所のエピソードの一つ一つを見つめることで「知る」。悲しいことに不況下よりも、英国が順調な経済成長を遂げたあとの政権交代後の「緊縮財政」がもたらしたあとの方が悲惨さを増すということ。そしてエンディングはハッピーエンドとは程遠い―。日本も今後、法人減税と消費増税の組み合わせで「緊縮路線」に再び戻るようだが欧州の惨状について少し思いを致すことは他山の石として必須かと思われる。