存在の原則 | フラクタルの森 玄明 陰陽学  

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存在の原則

人間は、食料という物質(粒子)を取り入れ、消化という過程でエネルギー(波動)を取り入れている
その得ることのできたエネルギー(価値)を使い体を大きくし健康を保ち日々の活動エネルギー(波動)を得ている
そのエネルギー(波動)を何に使うかで未来が決まる


これが存在の原則であり、量子の性質を表現しているのではないだろうか
教えの中に「生々流転の法則」とか「エネルギー不変の法則」とかが有るけれど、おそらく、これも量子の持っている性質の顕れなのだろう

波動が様々に変化し、肉体という粒子(物)に変化したり、思いという波動エネルギーで、また新たな波動を起こし、また新たな物を作ったりする
おそらく、創造主たる神であってもこの思いという波動を投げかけてこの宇宙を創られているのだろう
波動が物質化したものとそうでないものが混在している

そう考えると、アインシュタインのE=mc²の意味も見えてきそうだ
「波動エネルギー=私たちの肉体と魂」とも言えるのかもしれない
この三次元社会は、単に波動エネルギーが粒子として固定化されているモノが多いだけであるとも言えるのではないだろうか

私たちの体自体、エネルギー(波動)の塊であり、その中には思いという波動エネルギーも詰まっている
そのエネルギーは限定されてはいるようだが、取り出しよう、変化させようによっては、莫大なエネルギーを放てるのではないだろうか

その波動エネルギで体を維持し、その思いという波動で様々なモノを作り、社会を国家を造り上げていく
この波動(エネルギー)と粒子(社会)は、イコールでつながっている
これをタテ軸の思考図で見ると見えてくるものが有る

波動は「思い」であり、粒子は「行い」である
陰陽学的に繰り返し訴えている事ではあるが、この思いがどれほど重要であるのかということに尽きる

「なぜ」という問いかけを何度もしない限り、その重要な本質はつかめない
その重要な本質(波動)をつかんでいないから世界は蛇行し、愚かな現象(粒子)を生み出している

それは、「愛」(与える愛)だと、私たちは学んでいる
全ての根源には、創造主たる愛(与える愛)に始まり全宇宙は創られ、私たちの小宇宙で、その愛の本質を学ばせていただいているのだろう