波瀾万丈の意味と波瀾万丈の自分のストーリーを書けるかという話。 | 作家養成塾『遊房』の公式ブログ 「めざせ!公募小説新人賞」門座右京監修

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波瀾万丈の人生というのは、要するに人生ジェットコースターといった感じの人生をいいますね。

 

たとえば、そういうことをみなさん自身の人生をベースにして書けばいいんです。

 

そういうときまって返ってくることばは、私は先生のように波瀾万丈の人生経験がありません。というようなことなんですね。

 

実は私、小学校に上がる前なんですが、親とはぐれて、これで自分は親と再会できないんだろうな。と思って泣きじゃくったことがあるんです。

 

京都に住んでいるとき、父親に海に連れていってもらったんですね。

あとでわかったんですが、京都の北部福井県の高浜という、たぶん今でもでしょうが、かなり透明度のある家族で賑わう海岸で、そのとき父親は砂に埋まっていたカレイを踏んづけ、手掴みでカレイを捕ったという思い出もあるんですが、何かの都合で父親と、父親の友人が、一緒にその場を離れたんですね。

いいか、ここを動くんじゃないぞ。といってです。

友人の子どももいたのですが、その子はそこにずっといたようなのですが、私は帰りが遅くって、子ども心に不安になったんでしょうね。

動くなといわれたことを忘れて、うろうろ探し回ったわけです。

 

で、気がつくとどこにいるのかわからない。

海岸がほとんどなくなっているからで、そこではじめて泣き出したわけです。

 

いわゆる海水パンツをはいているわけですから、海水浴にきた家族連れで、親とはぐれたんだろうことは、大人ならわかりますね。

 

どこからきたの?

その質問に答えていいのか迷ったわけです。

 

父親には迷子になってもわかるように、自宅住所は暗記させられていましたし、それはいえるのですが、仮にじゃあそこまで連れていってやろうとなると、私は帰れるんでしょうが、父親はずっと探し続けるわけです。

 

しかも汽車でずいぶん遠くまできた感覚が子ども心にありましたから、京都の住所をいってもわかるわけがないという思いもありました。

 

さらに小学校に上がる前ですから、まだ自宅に電話はありません。つまり連絡がとれない状態です。

 

躊躇していると、子どもだからわからないんだろうな、ということで、何人か集まってきてくれた大人たちが、迷子の子がいます、心当たりのかたはいませんか?と叫んでくれたことで、30分ばかりで父親が見つけてくれたわけです。

 

さて、こういう言い方をすると、何となく波瀾万丈っぽいんですが、ではこういう言い方はどうでしょう。

 

小学校に上がる前、はじめて連れていってもらった海水浴場で迷子になったんですが、なんとか親に見つけてもらってほっとした記憶があります。

 

いいかたでどうにでもなるのが、お話の作り方です。

 

ちなみに私は波瀾万丈の生き方をしていません。

波瀾万丈の生き方をしているようにお話としていうことはできますが。