家族に尽くした1年 その7 計画短期退院 | hachiのブログ…from time to time

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今の気分、きまぐれに

その1その2その3その4その5

その6 から続きます。

 

 

前回の面会で 母の印鑑について父に聞いたけれども

結局見つからず。

 

そもそも 母が倒れるまでは 家計はすべて母がやっていましたが

脳出血のあと 話すことができなくなり いろんな記憶を失ってしまったので

暗証番号やどこになにがあるのかが わからないまま来ていました。

 

生計は父の年金でなりたってましたので

母の年金が入る通帳から下ろすこともなかったので 

そのままにしてましたが 

新しく介護の契約を結ぶとなると 母の通帳を使う必要になり

父が管理していた印鑑等が またわからなくなり

途方にくれました。

 

結局 母を車いすに乗せて 銀行に行き

新しく印鑑や暗証番号を設定しました。

 

今後のことを考えると きちんと整理をして 管理ができるようにしていく必要が出てきました。

成年後見人制度なども 少し落ち着いてから考えなくてはと。

 

 

3/17(木)

息子が帰ってきました。
父自慢の孫ですから すごく喜んでました。

 

息子は大学院進学と共に 一人暮らしを始めていましたが
自立するからと 学費と家賃以外は援助しないということにしていたので

生活は厳しかったのですが

父は 「おじいちゃん奨学金」だと言って 

パソコンを買うお金や 本を買うお金を帰るたびに援助してくれてました。

 

この頃も 息子が初めて論文を発表したので

そのプログラムや様子を息子がおじいちゃんに見せると

本当にうれしそうにしたようでした。

 


あまり話せないけども 顔色はよくなっているように見えました。

あとで看護師さんに聞いたら 痛みが激しいときがあって
夜 モルヒネを使ったそうです。
いつもは眉間にシワをいれて眠るのにその日は 穏やかに眠れたそうです。

父は 今は絶食らしくて1日1回 栄養点滴をいれてるとのこと。
で、薬はもう使ってなくて 水を抜く指示もないそうです。
先週3回目を抜いたときも
400ミリしか抜けなかったらしく 次の予定はないとのこと。

せん妄はたびたびあるし 痛みもかなりあるようでした。
でも 面会に行くと元気になるようなので 行けるときにはいかなくてはと思ってました。

 

いろいろ説明はしてくださり

「なにかお聞きになりたいことはないですか?」と言われるのですが

受け止めるのが精いっぱいで すぐその場で質問が浮かびません・

 

 後から 「どうして薬を使わなくなったの?」と思ったので
ちょっとネットで調べたら


超高齢者の肺炎の場合は ある程度行くと薬を使わないという治療法もあるようです。
薬は副作用も大きくて 患者の負担があがり 治療効果以上のダメージがあるので 余命にも影響することがあるようで。
さらにQOLの質が下がることも問題で 老衰の課程で肺炎はあり得るものらしく
そういう意味では たくさん薬を使うのは避けるのかもしれないと

自分なりに理解しました。

うちのバイトさんが その病院の友の会に入ってて
うちの担当の先生のことをよく知っていて 

緩和ケアの病棟の先生でもあるらしいことがわかりました。


その日の夜 兄のもとに 病院の先生から

今後の相談をしたいので 来てほしいとの連絡がありました。

兄と相談して 今回は 母には黙って行くことにしました。

 

3/24(木)

兄の仕事の都合で 病院に行けたのは一週間後でした。

父が入院してから そろそろ一か月になろうとしていました。


面談室に呼ばれましたが

そこには 医師と看護師、ケアマネージャーさん 病院側のコーディネーターさんが同席していました。

 

医師から

「お父様はずっとお家に帰りたいという気持ちが とても強いようです。

 今は病状は 安定しているので 一度帰宅されるのはいかがでしょうか?」

との提案でした。

 

考えても見なかったので 驚きでした。

 

「ご存じのように うちは在宅医療、在宅支援の体制が整っています。

 帰ると言っても 1,2日のことですが そのためにプロジェクトチームを立ち上げて

 外泊ではなく 計画的短期退院という形になります。

 日が決まれば 在宅支援センターと連携して まずお父様の介護度を

 要支援2から 要介護5に上げます。

 そのあと 介護ベッドや介護に必要な機材のレンタル

 行き帰りのための車の手配 私たちも含めた医療人材のシフト、ヘルパー、看護師の手配も

 すべてこちらで行います。

 ご家族様にお願いするのは 家に居るときに 一緒に寄り添っていただくことだけです。」

 

もう目を開けることもあまり出来ない父のために

ここまで考えてくださることに 驚き 感謝しかありませんでした。

 

もちろん 今の父の体力や病状的に 負担があることや

その時に大きなことが起きてしまうリスクも話してくださいました。

 

私も 父の最期の望みを叶えてあげたいという気持ちでいっぱいになりました。

 

ただ 兄は 今の母がそれをどう受け止めるのか

もし 帰宅時に最期を迎えてしまったときに あとから後悔しないのかと

とても慎重な姿勢で 質問などをしていました。

 

「簡単に決められることではありません。

 お父様は今は安定されているので 急いで決める必要もありませんので

 ご家族で よく話し合って 決まったら連絡をくださればいいですので」と言ってくださいました。

 

 

病院を後にして 兄と話し合いました。

何事にも慎重で 怒ってばかりの私とは違い

特に母には いつも優しく寄り添ってくれる兄です。

 

私は

「帰りたがってるなら 家に帰らせてあげたい。もしそれで余命が短くなったとしても お父さんは本望だと思う」と話すと

 

兄は

「俺もそれは思うし 父さんの気持ちもわかるけど 

今は母さんの気持ちが一番大事なんやと思う。

もし帰って急変したら それが後悔になって 母さんの気持ちに残るのかもしれないし 。

ちょっと母さんと ちゃんと話してみるわ。

この間の冊子を見せて 今の父さんの病状をつたえるところからやな」

 

長男で 何事にも慎重なA型の兄と 

情に流されやすく 短絡的なB型の末っ子の妹

 

普段の手続きやジャッジ、両親のお金のことにも 何も言わない兄が

今回はとてもハッキリ言ったので 

私はすべて兄に任せて 兄の決断に従うことにしました。

 

 

3/26(土)

 

私は 娘と息子に 計画を話して

可能な日程を考え始めていました。

 

家に戻ることは たぶん簡単なことではなく

過ごす間も 大変なことだと いろいろと考えました。



兄は、 母に父の短期帰宅について、あの冊子を見せた上で話してくれました。
やはり自分の願望寄りに考えてたようで、父がどういう状態なのかがわかったようでショックを受けたそうです。

 

黙り込んでしまい それ以上は 話せなくなったとのことで

少し考える時間が必要になりました。


3/27(日)
母と病院に行きました。

行きの車の中で
「お父さんを励まさないとね」と言ってました。
母が現実を理解したので 
30分くらい二人で話せるようにしました。

そのあと私が病室に行くと お父さんは 寝てるようでした。
いつもと違い ベットも少し高くしてあり
柵も上げてあり 父はまたつなぎの寝間着を着てました。
おそらく昨夜 せん妄が出て 鎮痛剤を使ったんだろうなと思いました。

話かけても ほとんど反応がなく
うつらうつらしてる感じでした。

父の横で 母といろいろ話しました
母はとにかく 娘の子を抱くまでは 入院してて良いので頑張って欲しいと。

母の胸膜炎の時とは 父の歳も違うし
体力がないから 厳しいことや
キツイ薬はいつまでも使えないから 今は 薬も使ってないし
父が頑張れるかどうかだとは話しました。

お父さんは 家の様子がどうしても気になるようだから
家に一時的に帰ったら 気持ちが落ち着くのかもよとも話しました。

私の話も理解できてるようで 涙ぐんだりしてました。

一時退院については 母は それをすることで
お父さんが体力的にキツイのではないかと心配してるようでした。

父さんもうつらうつらしてる感じだったけど
最後に母が「曾孫を抱くまでは頑張って」と話しかけると 

目をつぶったまま「解ってる」と返事してました。

なので ずっとではないけど 私と母会話も聞いていたかもしれません。
また来るねと言って帰るときに いつものように手を出そうとしてたけど
それもチカラがなさそうな感じでした。

ただ顔色は悪くなくて それが母の気持ちの支えになってる感じで 

帰宅後 こんなメールが来ました。

 

 


願望だけが記憶に残るんだろうなと思いました。

計画的短期退院については

母とは私の方が会う回数が どうしても感情的になりやすいので

母と兄が話し合って決めた決断に従うことにしました。

 

4/2(土)

 

兄が帰宅して 再度母と話し合いをしてくれて

母の今の理解度もあるけど、とにかく乗り気ではないので、やめておくことにしたと連絡がありました。

やはり 帰ることは父の身体的な負担につながるので

それによって 急変を恐れていることと

兄曰く 父が家で3日間ほど過ごすことは

母が父の状況に直面するしかなく それが辛いだろうと。

もし何かあれば 悪い記憶になってしまうことも 母が恐れているようでした。

 

兄は 一人で父に会いに行き 父にも 説明をしてくれました。

 

あの状態の父と そういう話をできる兄をすごいなと思いました。

私なら 感情に流されてしまうし 父と話すと泣いてしまうので。

 

病院側にも伝えてくれて 父の短期退院はなくなりました。

 

病院の話では 父はその後は 家に帰りたいと言ったり せん妄を起こすことがなくなりました。

 

その話を聞いたとき 胸が締め付けられました。

私が判断していたら 苦しんだと思うので 兄が居てくれたことに感謝でした。

 

その夜 他の急患が来て 4人部屋に移りました。
面会は 別室ですることになるとのことでした。

4/3(日)
先週と同じく ずっと寝ていました。
それでも先週は声を掛けたら 反応したし 少し返事もしたけど 
今日はいびきをかくくらい寝てて。

でも何度も話しかけたり 手を握ると なんとなく反応はあり
目は開けないけれど
口を少し動かしたりしたので 聞こえてはいるのかとは思いました。

母も 少し寂しそうでした。
モルヒネを使うと 起きていられなくなると聞いていたけど 
この状態だと 帰ってもなんにもわからなかったのかもとも思いました。

曾孫の話には 一番反応しました。

 

その8へ続く