家族に尽くした1年 その8 耳鳴り | hachiのブログ…from time to time

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今の気分、きまぐれに

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その6 その7から続きます。

 

父の短期退院について いろいろと話し合ったり悩んだりとしていた間も

母の毎日は 流れていきます。

 

古い一戸建てで

父も母も庭の手入れが好きでしたが

ここ5年ほどは 体力的に負担になり 出来なくなってました。

 

最初は 私が懇意の工務店さんから紹介してもらった造園屋さんに

剪定を頼んでましたが 

昨年 実家に行ったとき 庭木がめちゃくちゃな刈り方をされてたので

「いつものおじさんに頼まなかったの?」と聞くと

「隣に来ていた人に頼んだ」というので

詳しく聞くと 隣に飛び込みできた業者だったらしく

値段もいつもの倍は取られていて それで 酷い仕事で。

 

またいつものように カッとしてしまい 「なんでいつものおじさんに頼まないの?」と

怒鳴りつけてしまったのですが

元々知ってる人ではない人に 半年に一度電話してスケジュールを調整するのは

年老いてきた父には 負担だったようです。

 

私が電話すれば良いだけなのですが

両方のスケジュールを調整するのが私も億劫で 電話ぐらい掛けてよねってくらいで

丸投げしていました。

 

父が居ない今年は もう私が手配するしかなく

母が一人で居るときに来てもらうのも難しいので

考えた末 お客様の知り合いの便利屋さんに 母のいない日に 外だけ簡単にしてもらうことにしました。

 

 

毎日 母とはメールしてましたが

「何度もあなたに電話してるけど つながらなくなったのはなぜ?」と

私の方の着歴には母からの着信はなく 

電話してみると 短縮番号の後に 発信を押さないといけないことを忘れてしまってるようでした。

 

家電とかに関しても さっきまで出来ていたことが 突然わからなくなってしまうのは

高齢者あるあるです。

 


新聞も毎日配達されますが 母は郵便受けに取りに行くことができないので

ヘルパーさんやデイの方が来られるときに 郵便受けを覗いてくださるように頼んでいましたが

結局 新聞を全く読まずに捨ててるようで
一旦ストップしたら?と話すと
「そう思ったので 電話したのよ そうしたら 1ヶ月は届けますって言われたの」と言うので 

電話できたんだと思ってたら 電話を掛けてはいなかったらしく・・・

結局 兄が解約したそうです。

 

妄想までとは言いませんが いつかの話と混同してしまうようです。

 

母の髪も伸びていきます。

倒れてからは 近所の美容院から出張に来てもらっていましたが

それをどう依頼していたかも わからず。

ヘルパーさんが居るときに来てもらうのがいいのか?

その後 市から 高齢者福祉の一環で(身体障碍者だからか?)

散髪代補助のチケットがあって そこに書いてる美容院に申し込めばよいとわかりました。

 

 

 

こうして

毎日のように 何かの課題ができて 今までどうしていたのかを調べて対処しなくてはならなくなってました。

 


月1度の母の定期通院の日も巡ってきました。

いつもはケアマネさんが介護タクシーを手配してくれて 二人で通院していました。
 

父のことなどでも 仕事を抜けなくてはならず お客様にも迷惑を掛けていたので

今までと同じように出来ることは そのままやることにして

介護タクシーの運転手さんや 診療所にも母が一人で行くことを伝えて介助をお願いしました。

 

人が多く出入りする実家には 現金は最低限しか置かないことにしていたし

保険証や診察券の管理が不可能な母に 持たせるわけにいかず

これも 診療所と薬局にお願いして 私が後日 診察券と保険証を提示して支払いをすることで了承してもらいました。

理解のある病院だったので 助かりました。

 

 ただ、やはりそのあと母からは

「診察券と保険証を忘れていったので 今回は見逃してもらったんだけど どうしよう」と連絡が来たので あんなに説明したのにと がっくり来ました。


4/10(日)

母と娘と父に会いに行きました。
前回と同じく ほぼ寝ていました。
声を掛けると 多少の反応があるのですが
目を開けるのも 大変なようで それでも 何回かは目を開けたけど
ベットを起こすのがしんどいようで 真上からのぞき込まないと顔が見えないので 

母は何度か立って 声を掛けたけど
なかなか目を合わせられず 寂しそうでした。

行きの車の中で母が
「お父さんの肺の水はぬけたかしら?」とか言うので

やはり 父が終末期であることは 忘れているようです。

2週続けて 寝ている父に会いに行ってるだけなので
母はそのことをどう思ってるのかな?とも思いました。


4/11(月)

兄が帰ってきてました。

兄のホテルは観光地にあるため 桜の季節は多忙ですが

休みが取れると帰宅して 実家のことをしてくれてました。

 

兄から見て

母は やっぱり自分の願望寄りに考えてるように思うけど、

前に比べると黙って何かを考え込んでるように見える時もあって、
その時々で考え方が変わるのかな…と思うと。

帰りに父の面会にも行ったようですが

兄のことはわかってたけど、ほとんど目を閉じていて、時々痛みを感じてるようでした。
残念やけど、もう話すことはできないようやだと

一時帰宅しなくてよかったとのかもと思ったそうです。


4/17(日)
息子と旦那と母と 父に会いに行きました。

ここ2週間は ずっと目も開けられず 話も出来ずの状態でしたが
先週、先々週とは打って変わって
すごく元気で驚きました。
目をしっかり開けて 手もたくさん動かして 母と二人の時は
ベットのフレームを持って 身体を起こそうとしたそうです。

 

旦那は倒れて以来 初めての面会でした。

たくさんの人数は会えないので遠慮してくれていたのですが

父に会っておきたいと言ってくれて面会しましたが

父はしっかりと目を見て 何か言いたげにしていたそうです。

私が入った時も 

初めてかと思うくらい目を見開いて しっかり私の目を見て

話そうとしてました。
ただ 痰がひどいらしく それが苦しいようでしたが
一度も寝ることなく 目をしっかりあけて

私が曾孫の4Dの動画を見せると 嬉しそうに見てくれて
私の目を何度も何度も見てくれて

その時 「この目を一生忘れないな」なんとなく感じました。

 

元気だったのは
寝れていて 薬をあまり使わなかったのかなと その時は思いました。

 

4/18(月)

気のせいかしれないけれど

耳の奥で ずっとセミが鳴くような音がするようになりました。

 

最初はなんだかわかりませんでしたが

「あ、耳鳴りだ」と。

 

父が元気に面会できたとこは嬉しかったですし

もしかしたら 曾孫と会わせてやれるのかも?とかすかな期待がでてきた半面

時間のある限り 母を病院に連れていき

実家で毎日のように起きる出来事を処理するために

電話したり駆け付けたり。

 

母の体調にも綻びが見え始めて

動かない脚を支えている装具の影響か 足に褥瘡が出来て

通院の手配をしたり 診察を頼んだり

 

父には何としても曾孫に会ってほしい 会わせてやりたい

その思いはあるけれども この生活が一体いつまで続くんだろうかという

漠然とした不安

いつ鳴るかわからない電話

睡眠もしっかりとれない日々

 

耳鳴りは 私の身体の中からの悲鳴のようでした。

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