家族に尽くした1年 その9 永眠 | hachiのブログ…from time to time

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4/20(水)

7:30頃 仕事に行く支度をしていると

父の病院からの電話が鳴りました。

 

病院からの電話は兄宛てになってるのに?と

悪い予感がしました。

 

「朝からすいません。お父様 いよいよのようです。

 すぐに来られますか?」と

 

瞬時に 母のスケジュールを思い出しました。

8:30頃に デイサービスのお迎えが来るので 母は今頃朝食を食べて 身支度をしている時間です。

午後は ヘルパーさんが来ている時間に 美容師さんの予約を入れてました。

 

母に電話してしまう動転してしまう可能性があるので 

このまま 出掛ける準備をしていてもらおうと決めて

「今から母を迎えに行って それから向かいますので

 8:45頃になります」と伝えました。

 

そこからまず デイサービスに 連絡して欠席を伝え

ケアマネさんにも連絡

兄に電話して 駆けつけてもらうと同時に 美容師への連絡の依頼

 

出張中のダンナと娘、息子に連絡して

実家に向かいました。

 

8時過ぎ また病院から電話

「もう少し早く来ることはできませんか?」

私だけが行くなら 可能でしたが 母は車に乗ることも時間が掛かり

慌てさせると転倒するので

「やはり8:45が最短です」

 

そんなに切羽詰まっているんだと思い すぐにでも行ってあげたかったけど

父が会いたいのも母なので 気持ちばかり焦りながら実家に到着

 

玄関で デイサービスを待っていた母に

「病院から 来てくださいって言われたから 行こうね 

 お父さんが待ってる」

 

母は 取り乱さず 無言で ゆっくりゆっくりと 車に乗りました。

病院に着くまでの10分ほど 何を話していいのかもわからず

無言で 車を走らせました。

 

病院に到着

母の身体を考えて 車いすを借りて 病棟に駆け付けると

父は 4人部屋から また詰め所の横の個室に戻っていました。

 

部屋に入った途端 パッと見て もう息をしていないことがわかりました。

 

母は「お父さん、私が来たよ。目を開けて」と父を揺らしましたが

父は穏やかな顔をして眠ってしました。

 

看護師さんに 「いつですか?」と聞くと

「本当に今 さっきなのです。」と。

 

父の手に触れると 温かかったのを覚えています。

母は 父が永眠してしまったことをまだ理解できずに居ました。

 

看護師さんからは

「このあとまだどなたかご家族は来られますか?」と聞かれたので

「孫が2人向かっていて 9時過ぎには到着できます」と伝えると

「それまでは待ちますね。そばにいらしてください」と言ってくださいました。

 

兄は 途中連絡があり どんなに早くても12時くらいになると言われてました。

 

娘が到着するまで

父と母と最期の時間を過ごしました。

 

この日が訪れることは 遠くないと思っていたので

私は いつ父にありがとうって言おうか ごめんねって言おうかと

悩んでました。

まだ病気と闘ってる父に向って

「今までありがとう」ということは 希望がないと思わせてしまうので言えないし

でも 本当にかわいがってもらったのに お礼も言えずに別れたくないという思いと

葛藤していました。

 

一昨日会ったときは 目を開けていて 何か言いたげだったのは

もしかして父なりのお別れだったんだと思ったのですが

その時も 父との別れが怖くて 何も言えませんでした。

 

旅立つ瞬間に居ることはできなかったけど

たぶん父の魂はここにいると信じて

父にありがとう、ごめんねって伝えました。

耳鳴りがひどくなって 精神と体力の限界を迎えかけていた娘を思い

「もうなんにも心配しなくていいよ」って旅立っていった そんな気がしました。

 

 

母も やっと状況を理解して 父にありがとうと伝えていました。

 

9:15頃

娘が到着

その段階で 医師が来て 宣告をされました。

 

息子が到着

 

二人も 大好きなおじいちゃんに別れを告げました。

 

私は 看護師さんから お父様の身体を綺麗にして 着せ替えますが

着せたい洋服を持ってきてくださいと言われて

母に聞くと

「お父さんは仕事が大好きだったから スーツを持ってきてほしい」と。

 

娘と息子に母についていて欲しいと頼んで

実家に帰り 父のスーツと 私が贈ったネクタイを持って帰りました。

 

娘と息子は 喪服に着替えに 一度自宅へ戻り

 

着替えさせてもらう間に

「葬儀は決まってますか?連絡はどうされますか?もし特に決めておられないようでしたら

 こちらからご紹介も可能ですが」と聞かれました。

近親者を亡くすことは初めてだったので 

こういう風に進めるんだなと知りました。

 

父がから役員をしていた葬儀会社で葬儀をすると言われてたので

そこのコールセンターに電話すると

すぐに寝台車を回してくださることになりました。

 

着替えが終わると死亡診断書を手渡され 精算の書類を渡されました。

寝台車が来ると 退院になるので

すぐにすべての支払いをするものなのですね。

約二か月に渡る入院費は それなりの金額になってました。

病院での支払いは今はクレジットが使えるけど

ないときはどうしていたんだろうなあと思いました。

 

待っている間に 父方の叔母と叔父家族へ 母方の伯父伯母への連絡

父方は 中国地方なので コロナ禍でもあり 高齢でもあり 出席は見送ってもらい

母方は 隣県で近いため 出席してくれるとの返事で

母は7人姉弟の末っ子で 存命してるのは大正生まれの長女の伯母と父と同い年の四叔父でしたが 二人とも身体が不自由になった末っ子の母を心配してくれていました。

 

母方の家は四伯父が継いでいるため たくさんいる親戚への連絡は伯父に

「どなたに連絡するのが良いのかわからない」というと

「俺がどうしたらいいかを考えるから 心配するな」と言ってくれました。

 

 

病院の支払い 葬儀会社への対応 いろんなところへの連絡

母を一人に出来ないので  とにかくずっと走ってました。

 

 

12:30 父が寝台車に乗り 葬儀会館へ出発

看護師さんが最後まで見送ってくださいました。

 

再び母を乗せて 私も出発

兄から 近くの駅にやっと到着到着したと連絡がありました。

 

 

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