家族に尽くした1年 その10 葬儀の見積もり | hachiのブログ…from time to time

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ここ数回は かなり深刻なネタでしたので

ちょっと重い話が多かったのですが

私的には 父の葬儀は いろいろ面白いこともあり

忙しかったけれど 良い思い出になった葬儀でした。

 

父は 昭和10年生まれなので 享年は86歳(数えで87歳)

6月には 米寿のお祝いをする予定にしていました。

 

中国地方の城下町の公務員をしていた祖父の長男として生まれました。

戦前の公務員ですので 比較的裕福な方だったと思います。

3歳下の妹と6歳下の弟がいました。

 

当時の父の地元では 長男は後継ぎとして とても大事に育てられていたようでした。

父は活発で運動神経もよく 勉強もよくできたようです。

10歳の時に終戦を迎えました。

 

高校は 県下1番の進学校に進み 野球もやっていたそうです。

父は 早稲田大学を目指していたそうですが

海軍に所属していた祖父は 抑留されて高校3年になっても復員しておらず

父は幼い妹弟のために 進学を断念して

大阪に本店のあるメガバンクに就職して 実家の生計を支えたそうです。

 

高卒でメガバンクとなると 出世もある程度限界があり

さらに営業職の頃に 何度も胃潰瘍で倒れて このまま営業職を続けたら

早死にすると主治医に言われて 家族のために 総務人事の管理部門に変わったそうです。

母は 父が悔し泣きするのを その時初めて見たとよく話していました。

 

50代で 水道事業の会社に総務人事のエキスパートとして出向しました。

当時 ISO認証という品質マネジメントシステムに関する国際規格取得が父の仕事で

家でもその勉強をしていたのは 記憶に残っています。

その会社でISO認証の取得に成功して

60代になり 葬儀会社としては稀有な東証1部に上場してる会社から 

ISO認証取得のために 役員としてスカウトされ70代まで在籍していました。

 

その会社が 私の家のすぐ近くに 大きな葬儀会館を建てたのも

父の在籍中でした。

法人での葬儀も出来る最新設備の大規模な会館で

お披露目会には 私たちも連れていかれました。

 

その時から父は「俺の葬式はここでするからな」と言っていましたし

「俺は役員で株主だから 葬儀はタダ」と言って葬儀のパンフレットも渡されていました。

 

かなり大きな会館で コロナ禍で 参列者も最小限になるので

そんな大きな会館を使う必要はなかったのですけど(その会社で家族葬用の小さな会場も すぐ近所にあったので)

やはり父がこの会館の建築にも携わっていたことも知っていたので

迷わずそこに決めました(タダと聞いていたのも もちろんありました(笑))

 

病院に向かう道中

母が「あそこでするのよね?お父さん あそこでするって言ってたもんね。」と結構楽しそうに話しかけてきました。(母は 父とのお別れが済んだ後は スッキリしたように明るい母に戻っていました。さすがに父が亡くなったことは 忘れてないようでした。)

 

母「あそこはね 私の時もタダなのよ。ちゃんとお父さんの名前と元役員って言ったよね?」

と嬉しそうに話します。

 

私「役員ってことは言ったよ。あちらもそれはすぐに確認してくれてたから 大丈夫。

 でも どう考えてもタダってことはないと思うわ~家族までタダにするなんて論外だと思うし。きりがないやん」

 

母「そんなことはない。お父さんがずっと 株主やし 絶対タダになるって言ってたんやから

ちゃんと言いなさいよ」

 

不思議と元気な母でした。

 

葬儀を値切るって さすがの関西人でも言いづらいよなあと思いながら

さあ いくらマケてくれるのかと思いながら 会館に到着しました。

 

到着すると 父はすでに 冷蔵機能のあるガラスのケースに安置されていました。

このケースも お披露目会の時に 父が自慢していた設備でした。

 

12:30

兄到着

会館の方からは 14時から 葬儀の打ち合わせをしますので

しばらくここで お食事などなさって 休憩してくださいとのこと。

 

ダンナが出張先から 店に戻ったと連絡があったので

手軽に食べられるお弁当と もう一度戻ってくる娘と息子のお迎えを頼みました。

 

店の方は 朝いちばんの段階で バイトさんにお願いしていました。

突然休むと 修理上がりを取りに来るお客様に迷惑をかけてしまうし

とりあえず忌引きを取るにしても 葬儀の予定が決まってからにしようと思いました。

店からは 何度かLINEで問い合わせがあったので 打ち合わせの後 母を兄に任せて

戻ることにしました。

 

14:00

葬儀の打ち合わせのため 支配人が来られました。

名刺をだされ「実は・・・お父様を存じ上げております」と。

 

「先ほど コールセンターから 葬儀の予定が入って お名前を見ましたら

 昔の上司と同じ名前だと気づきましたので 病院へのお迎えは私が参りました。

 お顔を拝見して 間違いないと思い とても懐かしく ご存命中にお会いしたかったです。」

 

「お父様は とても仕事には厳しい方でしたが 毎日ISO認証のために残業していると

 コーヒーや夜食をご馳走してくださり そんな時には 面白い話をたくさんしてくださる優しい上司でした。」

 

「私は 実は本社所属なのですが ここの勤務になったのは コロナ禍になってからでして 

 コロナ禍で通勤距離を短くするために 地元に転勤になったのです。

 ここを作るときにもお父様とたくさん苦労したもので まさかここでお会いすることになるとは すごいご縁だと驚いています。」

 

不思議なご縁に驚きました。

当時父が一緒に働いていた方にも連絡を取ってくださり

「お近くの方は お参りしたいと言っておりますが よろしいですか?」とも言ってくださいました。

 

さて肝心の打ち合わせです。

 

家族葬という形には なんとなくならず(言い出しにくかった)

普通の小規模なお葬式となりました。

まあ 父もここでの葬儀を望んでたので それでいいかなと。

 

参列者は 近親者のほかに 母方の親戚

四伯父に任せてたので 何人来るかもイマイチわからず

イトコだけは多いのですが さてこのコロナ禍 来てくれるとも思えず・・・

 

祭壇は 母が花の多いのにしたいからと お花のタイプにして(まあまあ高い)

供花は 父方親族と娘の嫁ぎ先からも 頼まれていたので 受けてほしいと依頼

棺桶や その他もろもろも 初めて見るもので相場も知らない

どれにしたらいいかもわからない

「一般的なのはこれになります」とは言われるけど それもまあまあ良い値段

 

でも元役員のプライドもあるだろうし 父の元部下が支配人となると

こちらにも ちょいと見栄もある

一般的なのの ちょいと上という選択にするしかないなと

「じゃあこれで」「それはこれで」と

全部ちょっと上にするしかなく・・・

でも内心 「タダはないけど どこかで値引が・・・」との皮算用。

 

計算書に どんどん金額が記入されていくのだけれど

どこも 値引って感じはなく カタログ通りの価格が記入されていき

暗算してみても まあまあの金額になっていく・・・

 

供花も 基本一対なので なかなかの金額(あとからわかったのだけど 祭壇の格に合わせて 提示されるランクがきまってるらしい)

請求書は 直接 親戚や婚家に行くので 申し訳ないと思いつつ

NOはないので どんどん決まっていきます。

 

会場も 他の予約がないので

ここのご自慢の一番大きいホールを 少し仕切ってすることに。

いやいや ここは社葬とかもできるレベルの部屋やんと思いながら

まあ 父はここを自慢してたよな・・・と受け入れる

 

計算書の記入が終わり 電卓で最終価格が計算されていく

ああやっぱりと軽く三桁を超えてる数字・・・

 

「コロナ禍だよ」と思いながらも でも父のメンツがあるし 遺言でもあるし・・・

 

最終見積もり額が提示されたけど どこにも

元役員、株主の優待らしき項目がない

 

ずっとぼんやりしていた母は ここぞとばかり私に目配せして

「タダじゃないの?」とばかりの顔

 

兄にも打ち合わせの前に「タダだという説もある」とは説明していたけど

兄「それはないやろう いくらなんでも」

母「絶対タダやから お父さんそう言ってた」と引かない

 

最終金額を提示されたときにチラリと兄を見たけど 知らん顔

 

「この金額ですが お父様は元役員でしたので こうなります」みたいな言葉を待って支配人さんを見るけど どうやらそんな様子もない

 

さあ どうする?

ここは 世間知らずな風を装って 私が聞くしかないのか?

兄には 難しい決断や母との話を一任したので 

商売人の私の出番なのか?

 

意を決して

私「あの~ ないとは思うんですけどね

 父から 『役員はタダになる』って聞いてたんですけど・・・」

母「主人からそう聞いてました」とすかさず援護射撃

ここ2か月では見られなかった積極性を発揮

 

支配人「あ~そうなんですね。確かに昔はそんなこともあったようですし

株主優待みたいなこともあったんですけど・・・」

 

私「値引とかもないんですかねえ?」もうヤケクソ

 

支配人「少し前までは 社員の割引というのもありましたが

今はすべてなくなりまして・・・申し訳ありません」

 

いえいえ ド厚かましいのはこちらでございます。

私「それは残念です。父から何度も聞かされたもので・・・すいません」

 

支配人「お父様とはご縁もありますし 先ほど本社の方から 供花の手配をするようにとの連絡は来ておりますので それはさせていただきます。」

 

ええ、それくらいはせめてね、

私は「ありがとうございます。恥ずかしいことを申し上げました」

 

支配人「それでは せめてもの気持ちなのですが

本来は 喪主様かご本人がこの町内会にお住いの場合は ご近所割引が適応されまして 祭壇の10%をお値引きさせていただいているのですが

今回は違うのですが 娘様(私)が 町内会でらっしゃるので 特別にさせていただきますね。

それと 弊社の友の会は1万円が入会金になるのですが 今日入会していただけば 次回からは 多少の割引サービスもございますし 今回の粗供養とか 四十九日や ごあいさつ状、位牌の割引クーポンなどで 1万円のバリューがありますので ご入会をオススメしますが?」

 

祭壇っていくらだ?と思いましたが まあまあ高かったので

数万円のお値引きはしていただけました。

全体から云うと ほんの少しでしたけど 誠意はありがたかったです。

友の会も また母の時にここを使うことになるだろうから まあいいかと入会しました。

 

支配人さんが退出したあと

兄「お前なあ・・・よう言うわ。俺 恥ずかしくて顔があげれんかった」

 

私「だってお母さんは目配せしてくるし お兄ちゃんは知らん顔するし

でもお父さんはタダって言ってたし 誰かが言わなあかんやん」

 

母「お父さん タダっていってたのに」

兄、私「お母さん それはないって」

 

というわけで 父の葬儀の概要が決まりました。

 

すでに夕方だったので

お通夜は 翌日

葬儀は 翌々日となりました。

 

焼き場待機問題が うちの市では ずっと問題になってまして

焼き場の老朽化で 数が減っていて 市が新しい施設を作ったのですが

住民運動が起きて 工事が中断したりしていました。

老朽化で使えない焼き場が増えて 近隣の市の施設を使うことになることも多く

費用も市町村以外の人が使うと 金額が高いうえ(市内の3倍以上)

酷いときは焼き場が空くのに 一週間待つ必要があることもあり

そのためにエバーミングをしないといけないので

ご遺体をエバーミングのために 一時違う施設に運んだりと(また寝台車の費用発生)

葬儀も簡単にできないから大変よと聞かされてたのですが

 

つい先週 住民問題を解決した市内の新しい焼き場がやっとオープンしていて

すんなり予約が出来るんですよと支配人に聞かされました。

「お父様ともよく この新しい焼き場について話をしていたのを覚えてます」とも。

 

亡くなるのがもう少し早かったら この焼き場はオープンしていなかったので

父は 逝くべき時に逝ったのだと 改めて思ったものでした。

 

 

その11に続く