家族に尽くした1年 その21 老健入所 | hachiのブログ…from time to time

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8/31 ショートステイから老健に引っ越しの日が来ました。

ショートステイは 憔悴しきっていて母がゆっくり休む時間にはなりましたが

1カ月もリハビリをしなかったことが どんな影響になったかが不安ではありました。

 

本当は2週間くらいで老健に行ける予定だったのですが

お盆を挟んだこともあったのかいろんな連絡がうまくいきませんでした。

 

その時は そういうものなのかなと そんなに疑問に思わなかったのですけど

ケアマネさんは なぜそんなにかかるのかしら?みたいな感じでしたし

ショートステイも そういう雰囲気でした。

このことは 後になって 理由がわかりました。

 

老健からは お迎えがありませんでした。

ショートステイ入所時は お迎えがあったのに

そのことも ちょっと疑問ではありましたが

まあそんなものかしらねという感じで 兄と二人で迎えに行きました。

 

ショートステイの方から 引継ぎの書類とお薬をもらい

車いすのまま駐車場へ

 

母は デイサービスに行っていた頃は、 車の乗り降りは自分で出来ました。

動かない右足だけを補助する人が支えてあげたら 身体を上手に回して座席に乗っていましたが

1カ月その動きをしていなかったので 身体の使い方を忘れてしまってたし

車いすから 立ち上がることすら 困難でした。

これには正直驚いてしまって 母もびっくりしたようでした。

兄が抱きかかえて やっとのことで車に乗せました。

子供は 抱きか抱えるときには 全身を預けてくるので 簡単に抱けますが

母の場合 身体を預けるというのが出来なくて ひどく緊張してしまい

とても怖がるので 軽いのですがすごく大変です。

 

ショートでは 足の褥瘡治癒のこともあったし ほぼ車いすで生活していたとのこと。

リハビリをしないと こんなに弱るのだとよくわかりました。

 

救いは これから老健で専門家によるリハビリを受けられることで

頑張れば元に戻ると 母も私たちも思っていました。

 

老健に到着

また苦労して車から母をおろして 車いすに乗り移らせて 老健に入館しました。

 

老健は とても新しくてきれいな建物で 

前をよく通るのですが ぱっと見 ホテルのエントランスロビーのようで

入口には 地域の人とも交流できるような カフェを営業していて

そこにある椅子などの調度品も立派で グランドピアノもあり そこでコンサートが開催されてるとも聞いていました。

 

コロナがなければ このカフェで 家族とも面会できたし お部屋に行くことも 外出することも出来たそうですが 仕方がありません。

 

コロナ禍なので 母とはそこで別れることになりました。

どんな部屋で過ごすのかも分からず 荷ほどきもしてあげたかったのですけど

叶いませんでした。

 

 

目標は リハビリして また母が自信を取り戻して 家に帰ることでしたが

その日の母の様子を見ている限り 簡単ではないことは 予測できました。

リハビリ病院でも何カ月もかかるリハビリなので 圧倒的にリハビリの時間が短い老健で どこまで回復するのかは 未知数でした。

 

脳出血して半身不随の身体になってから 母はリハビリを頑張ってることが 自身のアイデンティティになっていて

その頑張りは 介護関係者の人も どの人も驚くほどでした。

この年齢で この身体で ここまで自立していて気持ちが前向きの人は見たことがないと言われていましたし

高次脳機能障害で 怒りやすくなったり悲観的になる人も多い中 母はどちらかと言えば 子供のように無邪気なり

話し方も 以前は理性的な雰囲気だったのが 可愛く優しくなったので どこのデイサービスでもみなさん 母のことを応援してくれていました。

 

リハビリ病院でのリハビリを断られてしまい 母がなぜか良い顔をしなかった老健施設にはなってしまったけど

それでも母は気持ちを切り替えて 頑張ると話していました。

 

 

母は部屋に案内されて 契約や説明のために 兄と私で相談員さんとの面談になりました。

出てこられた相談員さんは 今までの方とは違う方でした。

ほんの数日前に 入所について話したばかりだったのですが

「申し訳ありません。先任の者が急に退職しまして。

 だいたいは聞いておりますが 新たにお話を聞かせていただけますか?」

 

え?となりましたが まあそんなこともあるわねと

母の希望や私たちの状況を説明して 契約書を交わしました。

 

老健は あくまでも自宅に帰るためのリハビリをするところで

目安として入所期間は3か月とされています。

 

この段階で 娘はなんとか37週を迎えて いつでも産める時期は迎えていましたが

本来の予定日が9/25だったので そこまで持たせることが出来たら

里帰りしてくるのは 9月末。そこから1か月うちに居るとなると10月いっぱいは 世話をしなくてはいけません。

先のことはわからず 家に帰らせた後も しばらく様子を見ることもあるだろうし

娘が帰ってすぐ 母をまた実家に帰らせるとなると 私もまた大変になるのは目に見えてるので

老健には 退所は3か月後の11月末予定と伝え 

母にも 3か月頑張ってと伝えていました。

 

老健の費用ですが ここは介護保険施設になるので 介護保険適用になります。

老健自体は民間の経営ですので 介護保険の部分以外は それぞれ違います。

一体いくらくらいかかるのかと 事前にHPで調べたところ 18~20万くらい。

介護度にもよりけりなので 面談で聞いてみても そのくらいになるとのことでした。

ケアマネさんからは あそこは新しいので 他よりは高いです聞いてました。

 

ただ相談員さんから 介護保険負担限度額認定証を申請してもらったら

お母さまの場合安くなるので 入所までに市役所で手続きしてくださいと言われました。

市役所に行くと 預貯金額などの いくつかの条件はあるけれども

母の場合 自分の年金だけだと 住民税が非課税になることと

身体障碍者なので その控除もあり 一週間ほどで認定証が届きました。

 

この認定証の威力はすごくて 介護保険施設においての食費や居住費・滞在費自己負担額の上限が出来るので

結局 母の老健の支払いは 半分くらいになりました。

これはあくまでも介護保険施設にだけ適用されるので 老健、特養、グループホームに入居しているときだけで

のちのちサービス付き高齢者住宅や有料老人ホームに行くことになると 関係なくなります。

 

先のことはわかりませんが とりあえず 老健に居る間だけでも 出費が抑えることができるのは

有難いことでした。

 

介護保険の費用だけでなく

母の場合 寡婦で世帯主 専業主婦だったので自分の年金は最低限

さらに身体障碍者なので 高齢者医療保険も 限度額があり

病院などで使っている費用も 半分ぐらい還付されました。

 

遺族年金は 課税対象ではないので 収入とみなされません。

 

こういう仕組みも 何年か後には なくなってしまうかもしれませんが

現段階においては 日本の高齢者医療や介護保険制度は

母のような人には とても手厚く ありがたいと思いました。

 

この先 母の身体がもっと動かなくなった場合でも

特養なら 余裕で生活が出来ることもわかり 安堵しました。

 

 

 

母の老健での生活が始まりました。

ショートステイの頃にはなかった母からの朝夕のメールが また復活しました。

内容は 朝は 「今日も頑張りましょう」で

夜は 今日やったリハビリの話でした。

週3回と聞いてましたが ほぼ毎日なにがしらかのことはやっている様子でしたが 時間は たぶん数分だと予測できる内容でした。

 

コロナ禍なので 面会は叶わず

2週間に一度 Zoom面会が可能。

 

季節も変わっていき 着るものも夏物から冬物に変わるので そういうものを届けたり お菓子の差し入れをしたり

週一度は行ってましたが 会えないのが残念で 母も寂しいだろうなと。

 

ショートステイの頃は なんにも行ってきませんでしたが 急に連絡が増えたのもこの頃

 

携帯の待ち受け画面がおかしくなった

テレビのリモコンが壊れた

あの服はどこにある?

あれを持ってきて、これを買ってきて

久しぶりに

「私困るのよ」が復活

 

物を持っていくのは出来ますが

部屋に入れないから テレビがつかない理由もわからないし

携帯に関しては 見てみないとなんとも出来ない。

でも 母は待ったなしで連続で連絡したくるので 事務所に電話して ユニット(居室)のスタッフさんにお願いして 直して貰う。自分で言えるだろうに 何度言っても私に言ってきました。

遠慮しているのだろうとも思ったので

「そういうことも ここのサービス料金に含まれてるから」とは説明しましたが ダメでした。

 

周りに居る利用者さんの不満もありました。

母は自分はしっかりしているので

周りにおられる 多少認知の方々と一緒にされていることが 気に入らないようでした。

 

気持ちはわかりますが こればかりはどうにもならず。

ただ、何度か 認知の方が親切心から 母の車椅子を後ろから黙って押したことがあったり 部屋を間違われて入ってこられたりがあり 怖がってました。

 

この件は スタッフさんも謝ってくださり 対処してくださいました。

 

ただ、相談員さんいわく

気の合うお友達も出来たようで

日中はよくご一緒におしゃべりされてますよとのことで 少し安堵しました。

 

9月中は 私も娘の出産を控えて なにかと仕事が忙しく慌ただしく過ごしました。

 

その22 家族に尽くした1年 その22 いよいよ臨月 | hachiのブログ…from time to time (ameblo.jp)

に続きます。