助けてと言ったら誰か助けてくれるかな? | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

泣きながら車を運転したのは
いつだっただろう
早く帰らなきゃと
いつも思い
帰りたくないと
いつも思い
思いきりアクセルを踏み
いっそ消えていきたかった

犬の散歩に出て
夜の公園でぼんやり座って泣いたのは
いつだっただろう

黙って見上げてくれていた
愛犬はもういない
会いたいな
モフモフの毛に
顔を埋めて泣きたいな

ゴミを捨てに出て
花壇の植え込みに座り
夜風に当たりながら泣いたのは
いつだっただろう
5分でも家に入るのを遅らせたかった

夜中に自分の部屋で
弱いお酒にベロベロになりながら
枕に顔を押しつけたのは
いつだっただろう

それから何年経ったかな?
結局
何も変わってないし
変われてない

ひとつひとつ
無為に歳を重ね
もうすぐしたら得られると思っていた自由が
実はどんどん遠くになってきたという現実

この10年、15年は虚しいよ

これだけやれば
解放してもらえると
頼まれたことは一生懸命にやったつもり
行きたいところも
食べたいものも
満足してもらえれば
次は解放してもらえると
思ってた

でも、母に満足なんて言葉は無かった

それが当たり前になってしまって
解放や自由なんて待っても待っても
来なかった

母が行きたいところ、したいこと、食べたいもの
すべてにおいて
母をおいては(黙ってしか)できなかった

旅行も
コンサートも
映画も
ランチも
買い物も・・・

傍目には仲良し親子
実は完全なる主従関係
いつまでも終わらない

母が心臓の手術、骨折疑いと
2度の入院をし
一時は全介助が必要で
それはホンマに大変やったけど
助けてもらい様も考えられたし
自分主導での介護でもあったので
ある意味、マシやったかもしれない

少なくとも他人にも分かる大変さで
公的サービスを検討したり
相談したりもできた


数日前から何とか1人でトイレへは行けるようになり
失敗したり痛みが酷くて起き上がれないとき以外は
呼ばれなくて済む様になってきた

すると
座れもしないのに
「何か食べに行きたいな」
「○○に行きたい」
と言いだし
末の子が、東京の大学でバンドサークルをやっていて
そのライブを見に行きたいと言い出した

「見てみたいなぁ~、でも行かれへんから
はるる♪行ってビデオ撮ってきてよ~」
と言うなら可愛い

違うのだ
母はあくまでも自分が主体

「新幹線で行って、一泊してライブ見て
ほんで帰って来よう~」とか言い出す

いける訳無い
つまり
これは私が母を置いてもいけないってことになる

結局、母の状態がよければ
母を連れてのデパート巡りに始まる
お供の生活に戻るか

母の状態が悪いと
母にべったり介護をするかの違いで

母の言うように
母が死ぬまでこの生活からは
解放されない
許されない
と言うことだ

はるる♪が変わらないと
お母さんは変わらないよ

母の友達も
手伝ってくれる親戚の人も
みんな言ってくれるけど
誰も言ってくれないじゃん

母に向かっては・・・

それができるくらいなら
とっくにしてる

母には向き合えない

母に何か言うと取り返しが付かないと
多分幼い頃に学んだから
自分さえ我慢すれば
上手くいくと

そうして上手くやってきたはずが
私の人生も終盤になり
ちょっと焦ってる

50歳になったとき
このまま終わりたくないと
思ったのに・・・

くるくるくると思考は
回るが
永久迷路

もう寝ているかと思って覗いたら
まだ起きていた
「はるる♪の顔を見たらホッとしたわ、もう寝るん?」
「寝るよ、おやすみ」

大切な大好きな母のはずやったのに

母が願っているのは
私の人生が幸せであることでは無く
自分が幸せであることなんやと
気づいたから
残念だけど距離を置いて
自分を守ってる