完全復活!恐るべし申年の母 | 自分らしくしなやかに

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自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

このところすこぶる調子が良いようで、
食事の時も少しみんなと食卓につけた(座れた)し、
家の中は手すり持ちつつも、
ほぼ自由に動くようになってきた。

まぁ、元々訳のわからない痛みが主訴で
調べ倒してなんとか見つけた骨折なので、
それが原因だったとしても2ヶ月経ち、骨癒合が進んだのか…

 
と言う訳で、デイリハの話が無くなったことと
私をさらに縛り付けることを得て
ほぼ、心臓手術前の母に戻ってきた

この1ヶ月の騒ぎはなんだっただろう・・・

喜ぶべきことかもしれないし
確かに介護そのものは格段に軽くなったけど
私の時間が戻った訳では無く
絶えず母の顔色を伺う生活が戻ってきた

で、早速
「ちょっと○○デパート、10時に行けば
入り口すぐに車を止めれるやろ?
行かへん?」
ときた

ん~、このまままた母の術中にはまるか
こんな事も出来るようになったと
自身を持たせた方が
私が楽になれるのか・・・

悩んだ末に
お連れしましたよ

無事、家の階段も降り
車にも乗り込み
デパ地下を30分ほど歩いてきました

杖と私の腕を持ってですが・・・

凄いです!

これなら次は
△△デパートにも行こか?

「行こか?」
と聞かれたら 「NO!」です
言うのなら
「連れてってくれるか?」
やろ?

一時はもうあのまま全介護の体制に
入らないと行けないと
思ってた

夜中のトイレや
身の回りの全介助


その代わりデイやショートも利用してもらうか
それに変わる何かを
本人にも考えてもらおうと
思ってた

それと比べると良しとするのか
それとも今までの長い長い戦いが
いや、
今までよりもっと強力な鎖に繫がれた生活が
さらに5年、10年と
続くのか・・・

母が回復するとともに
心は重くなってきた

それでもまだ母は
ダメ押しのように呟きます

「あと1~2年、辛抱してや
私が死んだらなんぼでも
好きにしたらいいから・・・」


ある時は

「もうちょっと頑張ってくれたらよかったのになぁ~」

この、「もうちょっと」っていうのは
自分が死ぬまでのもうしばらくという意味で
もう何年も前から
 
「もうちょっとやったのに残念やったな(辛抱が足りんかったな)」

と言う言い方を
しょっちゅう言われてきている

え?私、頑張ってないの?
しないといけない時
しないといけないことは
一生懸命やってきたし

同居してから、
特に母がひとりで出かけなくなってから
したいことの1/4も
やってないよ
子育てが一段落ついて
少しだけ自分たち夫婦の時間って
思うことも
許してくれなかったからね

これ以上、何を辛抱して何を頑張れば良いの?
365日、24時間
母が「今」って思ったときに
なんでも言うことを聞く存在であれって?

このまま人生諦められないなら
やっぱり向き合うときが来たのかな

向き合えなかったら
もう終わりにしたい