ダンシング50overゼネレーション【第1話】 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

前回の第0話「これまでのあらすじ」は、ただひたすら「ダンスと私のこれまで」をひとりよがりに書きつけた。憧れて、好きになって、でも真剣勝負の道からはスタコラ逃げたこれまでのこと。

なぜこんな話を突然始めたかというと、50を過ぎてふたたびダンスを習い始めた自分のへなちょこな記録を残しておこうと思ったからだ。

人生後半戦に突入し更年期まっただなかの今は、いろんな虚飾とか格好つけが剥がれてきて(というか通用しなくなって)、「で、結局わたしは人生通して何がやりたいんだろう?」という問いに今さらがっつり向かい合うはめになってる。

そんな中で出てきたテーマが「書く、描く、踊る」だ。
ことばを書く。絵を描く。ダンスを踊る。それをやって暮らしたい、と思った。年寄りになっても、できる限りずっと。

もはや職業としてのダンサーを目指すつもりもない。できたらずっと、ただの「踊るひと」を続けられたらいいなーとか思ってる。

まずは「最低限、踊れる身体を取り戻す」というとこから始めるのだー!

 

踊れる場所、ダンスのプログラムがある場所は今やたくさんあるけど、この際やっぱりフィットネススタジオや総合ジムではなく、昔かよっていたダンス専門のスタジオに行ってイチから習いたい。

というわけで一発目に通うダンススタジオを考えた時、「初めて行ったスタジオから始めてみるのはどうだろう」って思った。再スタートの場として、なんか面白いかなって。

「はじめて足を踏み入れたダンススタジオ」は、当時代々木にあったBというスタジオ。大学のサークル時代、先輩がここの関係者と知り合いで、衣装をお借りしたり振付をつけてもらったり、公演のお手伝いをしりした。足しげく通う生徒ではなかったけど、TRFになる前の先生たちのクラスを受けたりもした。私が当時いちばん好きだったのは樺島先生のレッスン。ダンサーとしても先生としても素晴らしかったな。

私は当時、Bのスタジオがとても怖かった。地下にあるスタジオへと降りる狭い階段には煙草休憩をしてるダンサーたちが点々と座っており、そこを通り抜けていかねばならない。まだおぼこかった埼玉住み10代の私にとって、煙草をふかして座ってるレッスン着のお姉さんたちはみんなTOKYOを生きる派手な玄人に見えた。「んだよ邪魔だな」って睨まれてるように思えて毎回びくびくしながら階段を降りた記憶がある。

 

こわかったんよ…ここを降りるのが


よし一発目はBに行くぞと決めて体験レッスンを申し込むことにした。スタジオのスタッフさんと電話して分かったのだが、Bは永久会員制だった。つまりもう何十年も前に入会した私は、いまだ会員なのであった…!「お名前とご住所のデータ、残ってますよ」と言われて告げられたのは、広告会社を辞めた後に住んだ中野区野方の住所。遠い思い出がいきなり立ち上がってきて懐か死んだ。大学時代だけじゃなくその頃にもBに通ったんだなあ…ダンサー目指して会社辞めたんだもんなあ。(ちなみにそのマンションはまだ現存しているのであった)

場所と日程を決めたら次は靴だ。
当時はジャズシューズ、ジャズスニーカー、ダンス用ヒール、バレエシューズなど持っていたけど今は何ひとつ手元にない。第一どこで買えばいいかもわからない。チャコットくらいしか思いつかない。スタジオのスタッフさんと友人(大学時代の後輩。現役ダンサーで振付師でダンスの先生)に聞いた結果、新宿にダンス用品のお店があり、そこならチャコットより安いと知る。さらに「そもそも今はどのシューズが主流なのか」もわからないので友人を質問攻めにする。
「今はシューズはかないで踊る人かなり多いですよ。はくなら普通のローカットのジャズシューズかな。ハイカットのジャズブーツやジャズスニーカーはほとんど見ないなー」

そうなんだ!当時はブーツかスニーカーが主流だったけど時代は移り変わるんだね。

翌日さっそく教えられた新宿の「ミルバ」にゆく。店内はどちらかというとバレエ用品が主で、トウシューズ試着の若く品の良い女の子たちがずらりと並んでいた。その中でジャズシューズをいくつか試着させてもらうアラフィフ。店員さんがマンツーマンでついてアドバイスもくれるのでありがたい。

 

BLOCHウルトラフレックスです

無事シューズも買えたし、あとはスタジオにゆくだけ。次の日私はものすごく緊張しながら大久保に移転したBに向かったのであった。