夫からグサッと一言言われたのは、
今年になってから。

「承認欲求強すぎ、嫌われるで」

ガーーーーン

ゴーーーーン

と頭を叩かれたような感じあせる


自分でもうっすらとしか
自覚していなかったのに
まさかズバッと言われるなんてガーン


今日、ボヘミアンラプソディの映画を
見終わった後に、あーこれだったのかぁと。
映画の中で、主人公はみんなに愛されていたのに、
孤独を感じていたし、
愛を求めている姿を見て思った。


いつも母は自分のことで精一杯だった。
心に余裕がなかった。
私は話をしても、母が別のことを
考えていることがわかった。


または、今忙しいからまた後で
と言われることもしばしば。


そして私と話を聞いてくれる
時間をもってくれたと思っても、
すぐに母の話にすり替わる・
そして過去の苦労話や説教ばかり。


今、夫がそばにいてくれて、
両親がいて、友人がいて同僚がいて、
愛されている環境なのに、
何もしていない空白の時間ができると
不安になってしまう。


その不安を感じたくなくて、予定を詰め込む。
もしくは何もなくても出掛けてみる。
周りからの情報で不安をかき消す。


社会人になるまで家の中が
一番落ち着く過ごしすい空間、
ではなかった。
外の方が楽だった。


だから、今も家にいると落ち着かない。
いてもそわそわ、何かしないと、
なにかしないとと駆り立てられる。


愛されていることに気づけないから
幸せを感じられないのかな。


いつも足りない足りない足りない、
と足りないもの探し。
すぐ近くにあるのに。


認めてほしい認めてほしい認めてほしい
だから何かしないと。


さて、この心とどう付き合っていくのか。
自分でもまだ自分の操縦方法がわからない。


せっかくアドバイスをいただいたり、
提案していただいても、
なぜか受け入れない。


それがなぜなのか?
そこにも自覚がない。


ただ迷っていたいだけなのか。
母の言葉で、
「自分は幸せになってはいけない」
「女性は稼いではいけない」
「女性が稼ぐと男性がヒモになる」
ということばがあった。


それに影響されているのかな。
自分は幸せになってはいけない
と無意識に思っているのだろうか。


決断を避ける。
勝負を避ける。
責任を負うことを避ける。


ここまでわかってきた自分のこと。
映画が引き金になって。


どうせ愛されているのだ、
諦めよう!