前にブログで書いた、私のひいおばあちゃんの八重ちゃん
今月5日に旅立っちゃいました
100才
Indonesiaで同じく助産師ボランティアしているげんさんのおばあ様が亡くなって一時帰国しているのを見て
亡くなってから会うより生きているうちに会いに帰ろうか・・・
なんて考えていた矢先でした
6日の朝母から連絡あって、仕事場から大急ぎで帰宅
突然日本に帰るのってどうしたらいいのか、げんさんに電話
仕事中にも拘わらず航空会社の電話番号を調べてくれて
私の動揺を感じとって、できることは何でもするよ、大丈夫だよって、温かい言葉をくれました
タクシーを呼ぶと2時間かかると言われ、途方に暮れていたら同僚が空港まで送ってくれました
ぼったくられそうになりながら5時間キャンセル待ちしてジャカルタへ
19時ジャカルタ着
ジャカルタでは同期が私のパスポートを事務所に取りに行って、空港まで届けてくれて
そのまま夜23時の便で成田へ
朝9時成田着
飛行機で隣の席だった方が、羽田へ行くなら同じ方向だからと羽田空港まで乗っけてくれて
羽田11時半着
羽田からまたキャンセル待ちして千歳へ
千歳16時着
千歳からバスで札幌へ
家へ18時着
ひいばあちゃん、もうお骨になっちゃってました
MAX急いできたんだけどな・・・
ロンボク→北海道遠いなあと改めて実感
わざわざ帰ってこなくていいからと、おばあちゃんやお母さんにもさんざん言われたけれど
やっぱり小さい時からいっぱいお世話になったひいばあちゃんが旅立ったのに
普通にロンボクで生活をしているのは、ちょっと嫌だった
できることなら最後に会いたかったんだけどな
でもお通夜やお葬式に出たら、もういないっていう実感がわいてしまいそうだから
もう会えないけど、どこかで元気に生きているような気持でいられるから、最後会えなくて良かった
って思うことにします
100才を迎えられて大往生だねってみんなに言ってもらって、八重ちゃんよかったね
9月の敬老の日に、総理大臣からこんな賞状も頂いちゃってて
こうやって思い出すと、やっぱり悲しくてしかたないんだけど
いつかはこの日がくることはわかっていたし
避けられることではなかったし
そしてこうやってバタバタと帰ってくるにあたって動いてくれた調整員の皆様、げんさん、ごっちん、Pak Suhirman、星井さん
色んなことを放り出してきたにも拘わらず、温かい言葉をくれたロンボク島ボランティアの皆
どうもありがとうございました
大変な時や、ちょっと心が弱くなったとき、人の温かさを改めて感じました
日本には20日までいる予定
せっかく帰ってきたので、たくさんに人に会いたかったけど、
時間はあるようでなかなかなく、
ひいおばあちゃんがいなくなって寂しい思いをしているおばあちゃんのことも心配で、あまり予定も入れずにいました
次帰ってくるのは1年2か月後
その時はお土産いっぱい買って帰ってくるから待っててねー