2023年4月16日(日)、奈良の旅の続きです。

室生寺を後にした私たちは、

のんびり山の中の道を1時間ほどかけて走り、

多武峰(とうのみね)の談山(たんざん)神社へ向かいました。

 

 

当初の計画では、室生寺の後は道の駅で少し買い物をして、

それから明日香村方面へ向かい、

甘樫丘から明日香村や大和三山の景色を楽しむ予定でしたが、

甘樫丘の展望台までは車で行けないことがわかり断念。

ゆっくり登ればよいのですが、時間もあまりなかったので・・・。

 

 

地元の方からも「多武峰」を勧められましたし、

談山神社はお友達は初めてだったので行くことに決めました。

 

 

私がバスツアーで訪れたのは2008年11月、

もう15年ほど経っているなんてビックリしました。

当時は、紅葉の談山神社と長谷寺に訪れましたが、

前日に雪が降り、雪と紅葉の珍しいコラボが見られました。

 

 

通常、ツアーの時はバスは上の境内図の下の方に並ぶ

大きな駐車場に駐車するので、

そこから階段かスロープだったか忘れましたが、

急な坂をずっと降りることになります。

つまり、帰りは上らなければいけないので、

できれば参道脇にある第5駐車場に駐車したかったのですが、

この日は訪れる人も少なく余裕で駐車できました。

今年の4月からこの駐車場だけ有料になっています。

 

 

車を停めて、茶店などが並ぶ参道を歩いて行きます。

友達は大好きな奈良漬の試食をしていましたが、

寄るのは参拝の後の楽しみにしました。

 

 

 

参道脇に立つこちらの石燈籠は、

後醍醐天皇が御寄進されたもので、重要文化財です。

 

 

参拝入口です。

ツアーで訪れた時は、もう少し先の入口から入りました。

 

 

それにしても、すごい青モミジ。

秋には全山真っ赤になりそうです。

 

 

鳥居前で右折すると受付があり、

御朱印もこちらでお願いしました。

 

 

わかってはいましたが、大鳥居から続く長い階段。

山にある寺社に階段はつきものですが、

室生寺でもかなり上りましたし、こちらでも・・・。

 

 

ゆっくりゆっくり上って行くと、何やら看板が・・・。

 

 

なんと「足らくコース」なるものがあるじゃないですか!

 

 

当然、私たちは足らくコースへ進みました。

石垣沿いの幅1mほどの平坦な歩道を歩いて行きました。

 

 

赤い橋を渡った所が西の入口で、

ツアーで来た時はここから入りました。

この時は訪れる人も少なかったので閉鎖されていました。

 

 

橋を渡って左手には末社の祓戸社。

 

 

こちらは簡単な境内図です。

ちょうど点線が描いてありますが、

大鳥居をくぐり、階段の途中で左折して直進。

 

 

橋を渡って右手正面に見えてきたのは末社の総社。

左側が総社本殿、右側が総社拝殿、いずれも重要文化財。

 

 

総社本殿は延長4年(926年)の勧請 で、

天神地祇(てんじんちぎ=天と地の全ての神々)、

八百万神(やおよろずのかみ=世の中の無数の神々)を祀っています。

 

 

現在の本殿は、寛文8年(1668年)に造替の談山神社本殿を、

寛保2年(1742年)に移築したもの。

日本最古の総社といわれています。

 

 

至る所に彫刻があって、惹かれてしまいました。

 

 

 

 

 

総社拝殿は、寛文8年(1668年)の造営。

談山神社拝殿を縮少し簡略化した様式で、

正面・背面ともに唐破風をもつ美麗な建造物です。

 

 

この総社本殿・拝殿の後方には閼伽井(あかい)屋があります。

こちらも重要文化財に指定されています。

 

 

屋根はこけら葺で元和5年 (1619年)の造営。

この中の井戸は、「摩尼法井」と呼ばれ、

かつて定慧(じょうえ)和尚が法華経を講じたとき、

龍王の出現があったと伝えられています。

 

 

こちらが談山神社を代表する景色になります。

けまりの庭から撮った写真で、総社拝殿の向かい側です。

 

 

境内図を再び。

 

 

右の建物が神廟拝所 (旧・講堂)、

真ん中がシンボル的な存在である十三重塔、

左の建物は権殿で、すべて重要文化財です。

 

 

神廟拝所(しんびょうはいしょ)は、

定慧(じょうえ)和尚が白鳳8年(679年)、

父・藤原鎌足公供養のために創建した妙楽寺の講堂で、

塔の正面に仏堂をつくる伽藍の特色を持ち、

内部の壁面には羅漢と天女の像が描かれています。

現存のものは寛文8年(1668年)の再建です。

 

 

神廟拝所は中を見学することができました。

こちらは鎌足公御神像。

 

 

 

 

けまりの庭から階段を上がった所にある大きな建物は権殿。

天禄元年(970年)摂政右大臣・藤原伊尹の立願によって創建され、

実弟の如覚―多武峰少将藤原高光―が

阿弥陀像を安置した元の常行堂。

ここで室町の頃盛行した芸能「延年舞」は有名。

現存のものは室町後期の再建で、重要文化財。

 

 

権殿は、建立以来、500年の時を経て、

大修理を終え、この平成の世に再生しました。
殿内では、室町時代より延年舞やお能が演じられてきました。

 

 

権殿の左側には、いくつかの末社の社殿が並んでいます。

真ん中の少し大きな社殿は、比叡神社本殿で重要文化財です。

 

 

右手にはパワースポットである

龍ヶ谷の古代「岩くら」と「龍神社」がありました。

 

 

この瀧と岩くらは、古神道の信仰の姿を今に残した霊地。

古代信仰では、神聖な岩に天上から神を迎え、

祭祀を行いました。

 

 

この瀧は、大和川の源流の一つであり、神聖な神の水が、

神山より千古の時代を経て湧き続けています。

 

 

岩上のお社は、飛鳥時代に大陸から龍神信仰が入って来て、

わが国の水神(たかおかみの神)と集合し、

龍神社と呼ばれるようになりました。

 

 

それでは、談山神社についてご紹介します。

舒明・皇極二代の天皇の世、国の政治を欲しいままにしていた

蘇我蝦夷(そがのえみし)・入鹿(いるか)の親子を討伐し、

政治を改革しようとした中大兄皇子(後の天智天皇)と、

中臣鎌足(後の藤原鎌足)が西暦645年の5月、

藤の咲き乱れる多武峰に登って

「大化の改新」の談合を行ったことから、

後にこの山を「談い(かたらい)山、談所ヶ森」と呼び、

この神社の社号の起こりとなりました。

 

 

その後、見事に大化の改新を成し遂げ、国政に尽力した鎌足。

鎌足の没後、長男の定慧(じょうえ)和尚が遺骨をこの地に移し、

白鳳7年(678年)、この塔を創建したことが始まりです。

 

 

現在の塔は享禄5年 (1532年)に再建され、高さは17m。

木造十三重塔としては、現存世界唯一の貴重な建造物。

 

 

701年に次男の不比等(ふひと)が神殿を建立し、

父の像を安置したといわれています。

かつては妙楽寺という寺と一体でしたが、

明治初めの神仏分離令後、神社だけが残りました。

 


 

本殿・拝殿などの華麗な社殿や

日本唯一の木造十三重塔とともに、

境内には桜と楓(カエデ)が豊かで、

春の桜、夏の蝉時雨、秋の紅葉、冬の雪景色など

四季を通じて楽しめます。

 

見どころは、11月3日に、

紅葉の「十三重の塔」の下で行われる蹴鞠祭とのこと。

 

(つづく)