2024年3月21日(木)は大学病院の日でした。

この日は8:00に再来機で受付して、

すぐに生理機能検査窓口に行き、

診察券を箱に投入してトイレへ。

 

戻ってすぐに、生理機能の受付票を受け取り、

私の番号は002番、心エコーの1番目でした。

 

待っている間、友達とLINEでおしゃべりしていたら、

いきなり友達から「水原通訳のドジャース解雇」の

ニュースの速報が入って来てビックリ!

 

「本当に?」

「そんな人には見えなかった」

「本人の口座からどうやって送るの?」

「大谷くんが肩代わりしたの?」

 

などと話している間に、

9:00の予約ですが、8:30には呼ばれ、

今回も前回と同じ男の先生が担当して下さって、

9:00頃に終了しました。

 

もう頭の中は診察よりも、大谷くんのことでいっぱい。

上の空で先生と話していたかもしれません。

 

続いて、皮膚科に移動して受付。

9:30の予定だったので少し早かったのですが、

先生の部屋の前で待っている人は誰もおらず、

いま診察中の人が終わったら私かな・・・との予想も外れ、

呼ばれたのは予約どおりの9:30でした。

 

蕁麻疹はまだ落ち着いていますが、

例年、春先の気温が上がり出した頃から活発になるので、

もうそろそろかなと思いますと話しました。

 

あとは、いつものように他の箇所も診ていただき、

必要な薬を処方していただきました。

 

最後は心臓血管外科の受診。

10:00の予約でしたが、15分程前には受付。

他の先生はすでに診察を始めていましたが、

私の主治医の部屋だけは、

まだ電光掲示板に名前が出ていませんでした。

 

部屋の前には数組の患者さんがお待ちでしたが、

何とか座ることはできました。

病棟でハプニングでもあったのかなあ・・・。

9:30予約の方もいらっしゃるでしょうし、

今日はちょっと待たされるかも・・・と思っていたら、

9:50くらいに突然呼ばれてビックリしました。

 

まずは体調について、最近寒いせいか、

少し血圧が高くなっていますと言って、

血圧手帳を見せました。

 

上が120台に達する割合が増えてきたものの、

暖かくなって下がる可能性もあるので、

とりあえず、薬はそのままで様子を見ることにしました。

 

続いて、心エコーの結果ですが、

一番気になるバルサルバ洞径は45.5mm。

半年前も同じ先生がやって下さって46.6mm。

1年前までは数年間、ベテランの女性の先生でしたが、

その先生の時には最大47.7mmまで行きました。

 

基本的に、バルサルバ洞が小さくなることはないので、

先生方の測る場所や方法で誤差が出るようですが、

これだけ違うと、どれを信じてよいのやら・・・。

それでも、明らかな拡大傾向はないので引き続き経過観察。

 

大動脈弁の血液の逆流も、

前回まではレベルⅡ(中等症)だったのですが、

今回はⅠ(軽症)-Ⅱという結果でした。

こちらも良くなることはないと思いつつ、

偶然でも前回よりよかったのかな・・・と思うことにします。

 

心臓の左心室のポンプ機能の指標であるEFも、

これまではいつも65~67%くらいでしたが、

今回は73%もありました。

基準値は55%以上、正常値は55~65%らしいですが、

高値だとどうなるのかな?

先生は心機能は問題ありませんと言っていましたが・・・。

 

ということで、心エコー検査は著変なしという結果でした。

これくらいの数値だと、

予防的に手術をすることはないそうです。

 

あっという間に診察が終わりそうだったので、

前から靴下の跡がなかなか消えない足の浮腫について、

通称「血管年齢検査」の結果で、

いつも足の数値が同年代の平均よりもかなり悪いので、

そういうのも関係していますか?

と聞いてみました。

 

両腕と両足首の血圧を同時に測るABI/PWV検査。

ABIは血管の詰まりを、PWVは血管の硬さを調べます。

 

PWV(脈波伝播速度)は、

心臓から押し出された拍動(脈波)が、

動脈を伝わっていく速さを測定する検査。

 

脈波は波のように動脈を伝わり、

波は硬い材質のものを伝わる時に速く、

柔らかい材質のものを伝わる時にゆっくりと進むため、

この検査により血管の硬さを調べることができます。

 

この検査の結果が、いつも悪かったので、

以前から気になっていたのですが、

先生も数年前に測定した結果をモニターに表示して、

これはステントを入れている方は、

どうしてもステントが金属で硬いので、

結果が悪くなりますとのこと。

 

なるほど~と納得。

測定した時に、そのように教えて下さったらよかったのに、

ずっと血管が硬いことを密かに気にしていました・・・。

 

そして、足の浮腫には、

弾性ストッキングを履くとよいですよとのこと。

入院していた時に履いていたのはたくさんありますが、

あれはきついので、緩いやつを普段履くとよいそうです。

 

でも、これから暑くなるので、

ただでさえひどい暑がりだから、

とてもとてもストッキングは履けませんね。

 

最後に、3/18から供用が開始された第二診療棟ができたことで、

「先生のお仕事がさらに忙しくなるということは?」と尋ねると、

あそこの手術室にはロボットなどの最新機器が入ったそうで、

先生が担当している手術とは関係がないらしく、

今までと変わりませんと話していました。

 

明日4/1から医者の働き改革がスタート。

医師にも労働時間の上限規制が導入されることになりました。

 

4ヶ月間入院している時も、主治医は毎日来ていましたし、

土・日曜日も退院の人が多くて、

家族への説明などで大忙しでしたから、

ちゃんと休みを取っているのか心配でした。

 

将来の私の手術のためにも、

先生にはずっと健康で活躍してもらわないと!

いま話題の紅麹ですが、

私は更年期に入り、

これまで正常だったコレステロールが、

急に高くなり、食事では改善は無理と思い、

いろいろ探した結果、

DHCの紅麹がよさそうだと思って飲んでみました。

 

 

最初の1ヶ月くらいでLDLコレステロールが一気に下がり、

それ以来、5年くらい飲み続けていますが

健診や大学病院の定期検査でも

脂質が引っ掛かることは一度もなく、

ちょうどよい正常値を維持し続けています。

 

なので、今回の小林製薬が販売した商品で、

一気に悪者となってしまった紅麹ですけど、

私個人的には、紅麹が可哀想と思っています。

 

もちろん、私の腎機能には全く異常はありません。

クチコミで紅麹は効果ありというのが広まったのか、

急にここ数年、紅麹の商品が増えたと感じていました。

 

きっと、DHCさんとは製造方法も違うでしょうし、

1日に飲む量も違います。

私は何か異常がない限りは

このまま続けて健康を維持したいと思っています。

2024年2月27日に受けた健診の結果が届きました。

いつも最初に見るのが2頁目の総合判定。

「要精密検査」がなければよいけど・・・と恐る恐る見てみると、

今回は要精密検査の項目はありませんでした。

 

ちなみに去年は不整脈で引っ掛かりましたが、

主治医が心臓血管外科ですから、

半年に一度の心エコー検査=「精密検査」ということで、

主治医からもOKをいただきました。

 

1ヶ月後に健診を受けた総合病院から、

受診されていませんが、どうなりましたか?

という丁寧な文書が届き、返信封筒まで入っていたので、

ちょうど健診数日後に行った心エコーのレポートをコピーして、

事情説明を書いて返信しました。

 

病院曰く、二次検診を受けない人が多いそうです。

特に胃がんや大腸がん関連で二次検診を受けなかった場合、

翌年には手遅れ状態となっており、

その後すぐに亡くなったという人も身近にいたので、

やはり、要精密検査と言われたら、すぐに受けましょう!

 

ということで、前置きが長くなりましたが、

タンパク質中心の食事をしてから体質も改善し、

今年は去年よりほとんどの数値がよくなりました。

 

例えば、去年と比較した数値を紹介すると・・・。

 

体重 -1.4kg

腹囲 -5.5cm

肝機能 AST 33→19 (基準値は~30)

  〃   ALT 32→20 (基準値は~30)

中性脂肪 102→90 (基準値は30~149)

総コレステロール 177→149 

LDLコレステロール 95→74 (基準値は60~119)

空腹時血糖 111→92 (基準値は~99)

HbA1c 6.6→5.9 

(基準値は健診では~5.6、大学病院では~6.2)

 

その他、尿や便潜血、貧血、腎機能は異常なし。

視力や聴力は、昔から問題はありますが、

生活には支障はありません。

 

胃はいつもいろいろと書かれますが、

年に一度の検査で様子を見ればよいということです。

 

身長は、毎年5mmずつ減っています。

すべり症の影響でしょうかね。

 

ということで、今回は特に大きな問題もなく、

気になる数値もよくなっていたので嬉しかったです。

 

同じ日に検査した骨密度の結果は、

腰椎も大腿骨も、値は微増。

 

腰椎は、同じ年齢の平均値と比較して97%に相当。

一時は85%だったので、やっと戻って来ました。

 

大腿骨は、同じ年齢の平均値と比較して75%に相当。

前回と同じ結果で、こちらはなかなかよくなりません。

 

でも、悪くはなっていないので、

いま飲んでいる骨粗鬆症予防の薬は、

このまま継続となりました。

 

結果もよかったですし、血糖値も落ち着いて来たので、

先日からごはんやお餅など、

炭水化物の量も少しずつ増やしています。

甘い物もついつい食べてしまいます。

 

最近は、小腹が空くと食塩なしのナッツを食べています。

本当は食塩入りの美味しいのを食べたいけど、

さすがに血圧が上がると困るので我慢。

 

マカダミアナッツやカシューナッツが特に好きで、

噛めば噛むほど甘みが出てきて美味しいですね。

 

ナッツに含まれる不飽和脂肪酸は体に良いので、

間食に良さそうですが、カロリーもあるため、

食べ過ぎないように気を付けます!

2024年2月27日(火)は朝一で健診に行ってきました。

7:00すぎに病院に到着して、今年も1番乗り。

 

7:25頃から受付が始まりましたが、

今年はみなさん早くて、

その時点ですでに5~6人が到着していました。

 

誰も入って来ない間に・・・と、

大急ぎで検査衣に着替えましたが、

急いだのは本当は早く採尿したかったからでした。

 

昨年は、中間尿を採ろうしたら、

思いの外、尿量が少なく、

いざ採ろうとすると、もうほとんど出なくて大失敗。

コップの底にわずかしか採れず、

ダメなら後でもう一度と思いましたが、

とりあえず、検査はそれでOKでした。

 

今年はちゃんと採ろうと、トイレを我慢して行ったので、

中間尿を余裕で採ることができてホッとしました。

 

今年はその後、

心電図→採血→身長・体重→視力→血圧→問診

→聴力→腹囲→内科検診→胃カメラ

の順に行いました。

 

去年もそうでしたが、

1月に大学病院でCT撮影をしているので、

胸部X線撮影は省略となりました。

また、今年は婦人科検診がないので楽でした。

 

8:30には内視鏡検査室に行っていましたが、

検査が始まるのは9:00なので、

いつもここで待たされます。

 

それでも、胃カメラも1番でしたし、

今回は初めて女性の先生でしたが、

いつものように鎮静剤なしでもスムーズに終わり、

部屋を出た時に時計を見たら9:03でした。

 

いつもは検査結果が出るまでに時間がかかるので、

検査の結果は聞かずに帰っていたのですが、

今回は「そんなに時間はかからないから」と引き留められ、

9:30まで待とうと思っていたところ、

9:25に内科の先生に呼ばれました。

 

内科の先生も今年は女性の先生でした。

胃カメラの結果を詳細に説明していただき、

ポリープやバレット食道はいつもどおりで、

1年に1回は検査して様子を見て下さいということでした。

 

「血液検査では異常はありませんでした」と言われ、

さらっと終わりそうだったので、

血糖値だけ聞くと、HbA1cは5.9だったかな・・・。

 

とにかく、HbA1cで6.0以下になったのが

いつぶりくらいかわからないくらい久しぶりで、

タンパク質中心の食事に変更してから3ヶ月経ちましたが、

11月下旬は9.1だったので、効果絶大です。

 

体重も腹囲も自然と落ちていましたし、

他の数値はわかりませんが、

1月の血液検査では、脂質や肝機能まで良くなっていたので、

今回も異常なしということであれば効果継続でしょうかね。

詳しい結果は2~3週間後に郵送されます。

 

この日の午後は、

整形外科で半年に1度の骨密度検査をしてもらいました。

X線撮影、検尿、採血です。

 

タンパク質中心の食事が骨にどれだけ影響があるのか、

全くないのかわかりませんが、

どういう結果が出るのか、

今週末に結果を聞きに行って来ます。

 

今はまだジャヌビア50mgを服用しているので、

この薬がなかったらどうなのかも知りたいところです。

 

私、自分の体でいろいろと試すのが好きみたいです。

以前も入院中にごはんを完食しても太らないのか試しました。

 

毎食、軟飯をリクエストしているので230gと大盛りなのに、

すべて食べても体重が増えることはありませんでした。

さすがに病院食はちゃんと栄養管理されています。

 

私のように筋肉を鍛えるような運動はできなくても、

食事だけで筋力を増やすことができるのか、

4月までに握力30kgになるでしょうか・・・。

またご報告します。

昨日、職場の回覧で1冊の写真集が回って来ました。

今月15日に北國新聞社が出版した震災の写真集でした。

 

地震による大火や津波の爪痕、建物の倒壊被害、

全国から駆け付けた支援の姿、避難所の様子等が載っているほか、

専門家による住宅被害の特徴や津波、海岸隆起、

液状化の要因などの解説も収められています。

 

 

これまでテレビなどで目にした光景だけでなく、

新たな被害状況も知ることとなり、

またショックを受けてしまいました。

 

先日、能登の思い出写真とともに、

現在の被害の状況もお知らせしましたが、

その時は知らずにブログには載せていなかった所がありました。

 

2021年9月23日、輪島市の總持寺や滝めぐり、

大沢集落、西保海岸、鴨ヶ浦などを訪ねた日です。

帰りは輪島の西海岸に沿って南下したのですが、

その途中に天領黒島地区があり、初めて立ち寄りました。

 

 

北前船の船主および船員の居住地として栄え、

江戸後期から明治中期にかけて全盛を極めた集落です。

2009(平成21)年に、

国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 

 

中でも代表的な建物として、

建物を一般公開していたのが「旧角海家住宅」。

交差点角の立派なお家です。

 

 

旧角海家住宅は、黒島の代表的な廻船問屋住宅です。

 

 

ここから3枚の写真はウェブから拝借しました。

 

 

 

 

この立派な住宅が、今回の地震で倒壊していたのです。

あまりの変わり果てた姿に言葉を失ってしまいました。

 

 

たった数年前のことですが、自然と足が能登の方へ向き、

これまで立ち寄ったことがなかった所を旅して、

美しい能登の姿を写真に収めることができて

本当によかったと思いました。

 

その他、金沢城の石垣も数ヶ所で崩れていましたし、

我が家の近くにある西山蓮如堂と対するように、

卯辰山には東山蓮如堂があるのですが、

今回の地震で倒壊していました。

 

突然50cmの段差ができてしまった道路、

ご本尊の仏像の頭部が落ちてしまった寺院、

一瞬で4mも隆起してしまった海岸、

金沢市の北部にある内灘町の大規模な液状化など、

写真を見て、改めて地盤を大きく動かした

地下の巨大なエネルギーに驚きと恐怖を感じました。

2024年2月8日(木)の10:00頃、

大学病院からの帰りにひがし茶屋街に寄りました。

 

用事があって寄ったのですが、用事はすぐに済み、

帰りのバス時間まで30分ほどあったので、

久しぶりにひがし茶屋街周辺を適当に歩いて来ました。

 

あとで地図で歩いた所を追ってみると、

こんな感じでした。

 

 

初めて歩いた道もあり、

正直、迷路の中に迷い込んだ感じでしたが、

バス通りの方向だけはわかっていたので、

最後は適当に歩いていたら、

何とかわかる場所に辿り着いたという感じです。

 

こちらが観光客が多く訪れるメインストリートですが、

10:00頃で観光客はこれだけ。

手前の白いフードを被った方もそうですけど、

東南アジア系のカップルが何組かいらしていました。

 

 

ここから適当に裏道を歩いて行きました。

 

 

 

突然現れた広見。

こんな所があったんだ~という感じでした。

 

 

宇多須神社が見えて来た時はホッとしました。

いつもは向こう側から歩いて来るので、

こちらからは初めてでした。

 

 

普段は静かな神社ですが、

節分の時には芸妓さんの奉納踊りや福豆まきが行われ、

境内は人で埋め尽くされます。

 

 

こちらは普通の民家の玄関先です。

この辺りの家では軒先にトウモロコシが吊してあります。

 

 

これは門守(かどもり)と呼ばれる風習で、

魔除けの効果があるものを軒先に飾って、

家内安全を祈念するものです。

 

トウモロコシは豆が多いことから、

「まめまめしく健康に働ける」ことや、

子孫繁栄のお守りとして喜ばれるほか、

ふさふさとした毛は「儲け」や「厄除け」に繋がるとか。

 

このトウモロコシは、

卯辰山の麓の観音院で祈祷を受けたものです。

これは年に一度、

四万六千日(しまんろくせんにち)と呼ばれる縁日で買えます。

 

 

去年の10月13日、お友達と食事に行ったついでに、

卯辰山寺院群の中でまだ行ったことがなかった

この観音院に連れて行ってもらいました。

 

 

ナビを頼りに行ったら、かなり迷走してしまい、

諦めかけた時に案内板を見つけて、

何とか辿り着いたのですが、

最後は一方通行の所を逆走していたようで、

近くのお店の駐車場を管理していた方に教えられました。

やさしい方でよかったです。

 

 

そんなに大きなお寺でもなく、

境内に可愛い石仏がたくさんあってほっこりしました。

これは何なんだろう・・・。

 

 

 

 

観音菩薩をご本尊とする寺では、

功徳日と呼ばれる日に縁日が開かれ、

功徳日に参拝すると、

1日で100日分や1000日分のご利益があるとされており、

中でも最大の功徳日が旧暦の7月9日、

新暦では8月15日~30日くらいで、

この日は46000日分ものご利益があるそうです。

これが「四万六千日」です。

 

 

ということで、ひがし茶屋街周辺をプチ散歩して、

最後に金沢の銘菓「きんつば」を買いに中田屋へ。

緑色の○印のお店です。

 

 

朝9:00開店なので、とても便利なんです。

いつも耳鼻科は朝早い時間に行くので、

その帰りに買い物しようと思ったら、

中田屋さんくらいしか開いていなくて・・・。

 

 

お店の写真はHPより拝借しました。

2階はカフェで一度食べたいのですが、

まだ行けていません・・・。

2024年2月8日(木)は大学病院眼科を受診。

8:00に再来機受付、8:30から検査でした。

 

かなり早く受付したので、早々に呼ばれるかと思いきや、

意外にも4番目にやっと呼ばれ、

しかも、いつもなら屈折→眼圧→視力の順に検査するのに、

今回はいつもは最後に行う眼底写真撮影が最初でした。

 

そのせいか、いつもはすんなり終わるのに、

今回は左眼の撮影で瞳孔が閉じてしまい、

暗室の中でしばらく目をつぶることで眼底を開いて、

再度撮影・・・というのを2回繰り返しました。

 

その後、いつもの検査を行って、

恐らくいつもと同様、矯正視力は1.0だったと思います。

 

そして、先生の部屋の前で10分ほど待って、

8:50くらいに1番で呼ばれ、

眼底や角膜などを詳細に診てもらい、

結果はいつもと同じでドライアイだけでした。

 

ということで、眼科は検査の順番が変わった以外は、

いつもとすべて同じで、4ヶ月後に予約を入れて、

ドライアイやアレルギーの目薬を処方してもらい終了。

 

会計では、先月、

心外科で1ヶ月の限度額を超えて請求されたので、

予め電話でそれを指摘して、

今回訂正&返金してもらいました。

 

眼科で特定医療費(指定難病)受給者証を訂正してもらい、

お支払いでは、最初に眼科の分の支払いをして、

その後、少しイスに座って待っていると、

会計担当者がやって来て、書類にサインして、

払いすぎた分の払い戻しがありました。

 

この日はやることがたくさんあって、

最後は、守衛室に立ち寄って、

預かってもらっていたネコ柄の傘を受け取りました。

 

「こんな傘は高いんやろ?」とおじさんに言われましたが、

本当は安い傘なんですけど、

一応ネコ柄だから、大切にしていたので、

無事に戻って来て嬉しかったです。

 

この日は仕事はお休みを取っていたので時間に余裕があり、

9:28のバスに乗った後、橋場町で途中下車して、

ひがし茶屋街へ向かいました。

プチ散歩してきたので、この様子は次回に・・・。

今年元旦に発生した令和6年能登地震から

早くも1ヶ月半が経とうとしています。

 

まだまだたくさんの被災者が避難所で暮らしています。

比較的若い世帯の人たちは、

金沢など他の安全な地域に移って新たな生活を始めていますが、

高齢者だけの世帯では、

どうしても故郷から離れたくないという強い気持ちがあり、

不便でも避難所に残っていたりします。

 

少しずつですが、仮設住宅も完成して、

暖かくて、設備が整った住宅に入居したニュースを見ますが、

これはほんの一握りの人たちであって、

やはり多くの人が故郷に戻って、

再スタートを切りたいと思っています。

 

ようやく大きな余震も落ち着いては来ましたが、

いつ、また大きな地震が起こるかわからない状況ですけど、

私もようやく地震当初にあった恐怖感、

ほんの少し揺れただけなのに、

「また、あの大きな地震が起こるのではないか・・・」

というトラウマになりそうな感覚はなくなってきました。

 

さて、今日はあまり報道はされていませんが、

私の職場がある金沢駅西地区の歩道についてご報告します。

 

仕事始めの1月4日の夕方、

会社を出て、バス停へ向かっている時に初めて気付きました。

なんか穴がいっぱい開いているけど、これなに?

と近づくと、穴の中には歩道の消雪装置が・・・。

 

 

きれいにそこだけが沈んでいて、

私の会社の前はほとんど沈んでいませんでしたが、

写真の辺りでは、深いところで10cm以上は沈んでいました。

 

 

土木が専門の兄にこの写真を送ると、

「管が水漏れしているかもしれない。

歩道にヒビ割れがあったら注意、陥没するかも。

水が漏れていたら空洞ができているかもしれないから、

端の方を歩いた方がよい」

という返事が届きました。

 

実際のところ、駅に近い歩道で、

陥没している箇所があったらしいです。

 

また、下の写真はまだ小さい方ですが、

歩道のあちこちで段差ができたり、隆起したり、

波打っているような感じになっています。

 

 

いつものように、周りの景色を見ながら歩いていると、

突然地面が盛り上がり、転びそうになったので、

それ以来、足元を注意深く見ながら歩いています。

 

上の写真の右上、駐車場のPマーク辺りの歩道に、

浅い凹みがあるのですが、

よ~く注意して見ないと気付きません。

 

実は、先々週、この凹みの所で、

2日連続して女性が転倒し、救急車が来ていました。

1人は30~40歳くらいの女性でしたが、

転んだまま、体を起こすこともできませんでした。

 

さすがに危ないからと、

歩道の目立たない危険な所には赤いコーンが置かれ、

いつしか歩道にはたくさんのコーンが並んでいました。

 

また、先月、雪が積もった時には、

こちら側の歩道はやはり配管が断裂したのか、

歩道の消雪装置は作動せず、

長い間雪が残っていました。

道路の反対側の歩道は、まだこちらよりはマシで、

ちゃんと水も出ていたので、

積雪はほとんどありませんでした。

 

とにかく、危ないなあと思いながらも、

今は能登地域のライフラインの復旧が最優先なので、

こちらの修繕はいつ頃になるのかなあと思っていました。

 

すると、昨日は北陸には珍しい晴天だったからか、

最初の写真の近くの交差点に大きな段差ができていたのですが、

この穴も含めて、その辺り一帯をアスファルトで固めたようで、

正直、見た目は美しくないのですけど、

応急措置ということで、一番ひどい段差はなくなりました。

この穴はまだそのままです。

 

それから、私の会社の珠洲市内の事務所の写真が届きました。

事務所と言っても、事務局長さんの自宅の隣にあって、

もともとは倉庫として使っていた平屋の建物です。

 

今回、事務局長さんの家は、

この辺りでは比較的新しくきれいな家でしたが、

近くの地盤に大きな亀裂が入ったりして、

自宅には赤紙が貼られていました。

 

事務所は平屋なので無事でしたけど、

事務所内はこんな感じでした。

パソコンやモニターは床に放り出され、

どこにあったのか、書類が散乱。

 

 

 

事務局長さんは元旦は県外の娘さんの所にいて無事でしたが、

もう自宅は諦めて取り壊すと決めたそうです。

この事務所での仕事も無理ということで、

珠洲の事務所は閉鎖となりました。

 

輪島の事務所に勤める書記さんも自宅が危険なため、

被災後から今までずっと車で寝泊まりしているそうです。

 

道路も復旧が進み、通行に制限があったり、

渋滞もかなり発生しているようですが、

物流が再開したことで、お店なども営業できるようになり、

全国から送られた食料等も十分にあって、

食事の方はまずまず行き届いているようです。

 

やはり被災地の多くでまだ断水が続いているので、

ボランティアも少しずつ入るようにはなってきましたが、

トイレや手洗い、物を洗うにも水が出ないのは不便。

 

加賀屋で有名な和倉温泉も、

源泉が引けず営業見込みが立っていないそうですし、

「一番困っているのは水」と、

被災地のみなさんが口を揃えて言われています。

 

工事に携わっている方も必死に頑張っているので、

能登の人は文句は言いません。

「みんな頑張っているんだから、私らも頑張らんと!」と。

 

3月中旬には北陸新幹線が敦賀まで延伸し、

観光客が増えることが予想されます。

 

今は工事関係者や避難されている人で、

金沢のホテルは混雑しているようですが、

これまで旅館やホテルに避難していた人も、

春までには移動しなければいけないようですし、

県外にも宿泊施設は確保されたものの、

県外に転出を希望した人はゼロだとか・・・。

 

みなさんが安心して暮らせる場所に

早く落ち着かれることを祈るばかりです。

2024年1月25日(木)は大学病院の受診日でした。

 

前日、警報級の大雪の恐れ・・・と言われて構えていたら、

結局、金沢でも山手は約20cm、街中は約13cmと、

全然大したことはなかったのですが、

その日はバスが10分ほど遅れたので、

いつも乗り換えしている途中のバス停では間に合わず、

金沢駅でいつものバスに乗るといった具合で、

バスのダイヤは乱れるし、乗客も増えて大混雑でした。

 

ということもありましたし、この日は採血など、

朝早くからやる検査はなかったので、

いつもなら兄に送ってもらうところ、

遅く出ると渋滞にはまり、兄が不機嫌になるので、

この日は久しぶりにバスを乗り継いで行きました。

車なら15分ですが、バスだと1時間はかかります。

 

そのバスの乗り継ぎも、通常どおりなら7:16に着いて、

7:21の大学病院行きのバスに乗れるのですが、

市内の渋滞により、乗り継ぎバス停には7:24に到着。

あ~ダメだったかと思った瞬間、

直後に駅方面からやって来たバスが大学病院行きのバスで、

本当にラッキーなことに、満員でしたが乗れました。

(トラキチくんがまた助けてくれたかな?)

このバスは7:45に大学病院玄関前に到着しました。

 

8:00に再来機受付をし、そのまましばらく待機して、

8:30に皮膚科の窓口で受付。

9:00の予約でしたが、8:50くらいには呼ばれました。

 

皮膚科は、蕁麻疹の話をした後、

いつものように頭皮や足、手など、

いろんな所をついでに診ていただき、

それぞれ飲み薬や軟膏などを処方していただきました。

 

次は、10:30の予約でCT撮影でしたが、

30分前からしか受付できないので、

私の好きな、人があまりいない場所で読書して時間を潰し、

10:00になると、すぐに受付をしてもらいました。

 

10:15頃には、造影剤用の針を入れて固定し、

予約どおりの10:30に呼ばれ、

いつもと同様、普通に3回スキャンして、

造影剤を入れて1回、1分後にもう1回スキャンして終了。

 

終わった後、お茶をガブ飲みして、

早く造影剤を体外に出すようにしました。

ちなみに、アレルギー予防のため、

いつも撮影12時間前(前日眠前)と、

2時間前にステロイド剤を服用しています。

おかげで、今回もアレルギーは出ませんでした。

 

その後、心臓血管外科の受付をして、

こちらも予約どおりの11:00に呼ばれました。

まずは最近の体調を聞かれて、

代謝内科による食事改善により体調もよいと話しました。

 

先生も、前回終了後に代謝内科を紹介したばかりなのに、

もうすでに血糖値がほぼ正常値に戻っていて驚いていました。

タンパク質中心の食事で簡単に下がりましたと言うと、

またそれも意外だったようです。

 

血圧の方は、この冬の寒さの影響もあって、

若干、120台に上がることが増えましたけど、

概ね上は110~120台、下は60~70台で落ち着いています。

 

そして、造影CTの結果ですが、

モニターには1年前、半年前、今回の3枚の画像が並べられ、

手術した人工血管の方には特に異常は見られず、

人工血管から滲み出している漿液の量は、

前回とほぼ同じということでした。

 

前回7月の時、これまで数年間増え続けていた漿液が、

初めて増えなかったので、これはもしかして止まったのか・・・

と嬉しい結果だったのですが、

今回が偶然そうなっただけかもしれないから、

1月の結果も良ければ心底から喜ぼうと思っていたところ、

今回は同じというビミョーな結果となりました。

 

完全に止まっていれば、

水は自然と少しずつ体内に吸収されるので、

減っていくはずなのですが、同じということは、

やはり少しは出ているということなのか・・・。

それとも、水は止まったけど、全く吸収されなかったか・・・。

 

いずれにしても、止まったと断定することはできませんが、

増えなかったという結果はひと安心でした。

 

また、大動脈基部の大きさについては、

大動脈にピントを合わせて撮影している関係で、

心臓辺りの画像が鮮明ではないけれど、

概ね変わりはなさそうだということでした。

次回が心エコーなので、そこで詳しく調べてもらいます。

 

漿液腫も落ち着いてきたので、

半年後のCTは、造影剤を使わなくてもよいかもしれないと

先生はおっしゃっていました。

 

最後に、未だに時々疼いてくる

左下腹の傷の痛みについて話すと、

CTの画像では傷の周辺に痕は見えるけど、

炎症はなさそうというので、

寒さ、季節の問題かもしれませんね・・・で終了。

ロキソニンは処方して下さいました。

 

この後、ハプニング続出でした。

支払の計算をしてもらおうと思ったら、

パソコンにロックがかかっていて、

原因となっていた皮膚科に電話すると、

処方箋を1枚、先生が渡し忘れているということで、

皮膚科に処方箋を取りに行きました。

 

会計も終わり、外に出ようとした時、

持って来たネコ柄の傘がないのにやっと気づき、

いつからなかったんだろうと、

何ヶ所か心当たりを探しましたが、

バス時間が迫り、諦めることに・・・。

 

時間も12時近くになっていたので、

本当はタクシーで帰りたかったのですが、

この雪でタクシーのりばにタクシーが1台もいなくて、

お客さんも数人待っていたことから、

タクシーは諦めて、帰りも金沢駅経由で、

バスを乗り継いで帰ることになりました。

 

バスに乗っている間に、

特定医療費(指定難病)受給者証の記載を確認すると、

私の1ヶ月の自己負担限度額は1万円なのに、

今回の支払で、累計が12,000円あまりになっていました。

 

そこで、帰宅した後、すぐに電話を掛けましたが、

なかなか心外科の電話が繋がらなくて、

総合会計経由で心外科の窓口に繋いでもらい、

担当者と話をして、次回、訂正していただくことになりました。

 

その後、ゆっくり食事する時間もなく整形外科に行き、

夕方帰宅して、夕飯の用意をして、

やれやれと自室に戻ったのが16:50。

 

そうだ!傘のことを聞こうと思っていたんだと思い出し、

ギリギリの時間でしたが皮膚科に電話を入れると、

受付向かいのソファー近くに、

ネコ柄の傘がそのまま置いてあることがわかり、

こちらも次回、守衛室で受け取ることになりました。

 

その他、地元の郵便局で用事を済ませたりして、

この日の移動は雪のため、すべて徒歩だったので、

朝早くから夕方まで雪道をかなり歩きました。

通院のための年休でしたが、

平日よりもよっぽど疲れた一日でした。

2018年11月4日は、千里浜なぎさドライブウェイを走り、

氣多大社を参拝し、見附島まで行きました。

 

見附島の駐車場にあった周辺マップを見ていると、

近くに弘法大師ゆかりのお寺があることがわかり、

どんな所か全くわかりませんでしたが、

とりあえず行ってみることにしました。

 

 

通り道の脇には「愛宕神社の大杉」がありました。

 

 

幹周7m、樹高17m、推定樹齢700年。
「高井の地蔵杉」ともいわれ、地蔵堂と共にあります。

 

 

この後、狭い山道をしばらく走ると目的地に到着。

 

 

こちらは法住寺仁王門。

両脇には憤怒形の見事な金剛力士像が立っています。

平成7年の解体修理の際に、

阿形・吽形両像の胎内から納入品が見つかっています。

 

 

季節外れの桜も見られました。

 

 

仁王門をくぐり左折すると、

鬱蒼とした森の中に朱色の橋。

 

 

きれいな石段を上って行きます。

 

 

こちらが高野山真言宗の寺院・法住寺の本堂。

平安時代前期の弘仁年間(810~824年)、

弘法大師空海によって創建されました。

 

 

その後は奥能登の荘園であった若山荘の

領家日野家の祈願所として庇護され、

寺運が隆盛し境内には七堂伽藍が建ち並び、

周辺には60余坊の堂宇が軒を連ね、

能登半島随一の霊場として名を馳せました。

 

 

江戸時代には前田家の保護を受けていました。

 

 

続いて、道の駅に向かう途中、

「倒(さかさ)スギ」というのもあったので立ち寄りました。

 

 

高照寺の前の水田の一角に立っている独立樹で、

能登の一本杉ともいわれています。

 

 

高さ12m、胸高周り6.8mで、

張り出した枝が、松の老樹のように捻転下垂しています。

台風被害などで樹勢が衰えたため、

幹上部や枝を切るなど大掛かりな治療が行われました。

 

 

これまでご紹介した2本のスギの木や、

山奥の法住寺の最新情報が入って来ません。

地震の被害がひどくなければ・・・と願います。

 

さらに北上して珠洲市役所の前も通過。

 

 

この日の目的地である「道の駅 すずなり」に到着。

買いたい物があったのですが、残念ながらありませんでした。

代わりにモミジの小さな盆栽を購入。

一昨年までは30cmくらいでそんなに生長しなかったのですが、

なぜか去年、猛暑のせいか、一気に50cmくらいに・・・。

 

 

平成22年4月、食べ物と人の交流拠点として、

のと鉄道の旧珠洲駅にリニューアルオープンしました。

店内には珠洲のこだわり商品がたくさん並んでいます。

揚げ浜塩を使ったソフトクリームなど季節毎に変わるご当地ソフトや、

珠洲焼、珪藻土コンロ、いも菓子などの菓子類、珠洲の塩など、

珠洲産にこだわり抜いた商品を扱っていました。

 

 

現在はもちろん休業中で、店の被害状況もわかりませんが、

金沢市などへ避難する際の集合場所などになっているようです。

 

 

この日のランチは名前のとおり海岸沿いに建つ

「ショッピングプラザシーサイド」の中の

食堂「道づれ」で美味しくいただいたのですが・・・。

 

元旦の地震発生時には、

初売りの100人ほどの買い物客で賑わっていたそうです。

従業員の的確な避難誘導により、

全員、数百メートル離れた高台の小学校へ避難でき、

大地震発生10分後には70cmの津波が店内に押し寄せ、

お店は甚大な被害に遭ったものの、

犠牲者は1人もいませんでした。

年2回の避難訓練が役に立ったと話されていました。

 

 

私たちのドライブの続きですが、

この日の午後は同じ道を戻るのもつまらないということで、

人気スポットの千枚田を目指すことにしました。

 

 

さすがに禄剛崎まで行くのは遠いので、

国道249号線を通って北の海岸に向かいました。

 

 

途中にある大谷トンネルも今回の地震で崩落しています。

 

 

また、海岸に出る手前にきれいなループ橋もあるのですが・・・。

(写真は拝借しました)

 

 

今回の地震で大きな被害が出ています。

 

 

海岸沿いの道路も大規模な崖崩れが起こっていました。

山の断崖と海が近くてきれいな所なのですが・・・。

 

 

その後、私たちは道の駅すず塩田村に立ち寄りました。

 

 

 

 

道の駅の裏の海岸

 

 

揚げ浜式製塩が行われる外浦沿岸でも海底が隆起し、

道の駅「すず塩田村」からは、

海岸線が海側に100mほど前進して海底があらわに・・・。

 

 

塩田の砂に海水をまき、日光と地熱で蒸発させて

塩を取り出す揚げ浜式製塩。

能登伝統の塩作りは、近くの海から海水を

汲み上げることから作業が始まりますが、

海が離れ、塩(海水)が遠くなってしまいました。

先人から受け継がれた製塩作業はこれからどうなるのか・・・。

 

最後に白米千枚田を見に行くことにしました。


 

世界農業遺産に登録された「能登の里山里海」を代表する景観。

令和4年2月に「つなぐ棚田遺産」として選定され、

国の名勝にも指定されています。

 

 

急斜面に、幾重にも段になり海へと広がる田んぼ。

その数は全部で1004枚。

 

 

一つ一つは小さく、耕運機も入らない狭さのため、

栽培は昔ながらの手作業で行います。

 

 

こちらも田んぼに大きな亀裂が入ってしまいました。

 

 

周囲が停電している中、

太陽光発電を利用したLEDライトは以前のまま。

明日への希望の光となってほしいですね。

 

 

(おわり)