2023年10月27日(金)の奈良の旅の続きです。

旧奈良監獄を後にして、目と鼻の先にある般若寺へ。

なんか名前は聞いたことがあるけど、

どんなお寺だったか記憶になかったのですが・・・。

 

こちらが入口。

写真ではわかりにくいですが、真ん中の立て看板には、

花期の拝観料が書いてあります。

通常は、大人500円のところ、花期は700円になります。

そして、左の看板にはコスモスの花の状況が書いてあり、

この日は「満開」でした!

 

 

早速境内に足を踏み入れると、

なんとそこは、一面のコスモス畑じゃないですか~。

 


 

とりあえず、本堂に行ってお参りすることにしました。

まず、本堂から振り返って境内の様子を眺めました。

 

 

 

ここで般若寺の境内図を載せておきます。

 

 

本堂の中は撮影禁止なので、写真は拝借します。

このお寺のご本尊は、文殊菩薩騎獅像(重要文化財)で、

木造 像高46cm、鎌倉時代の作。

 

 

般若経を説いた智恵の菩薩です。

般若寺の鎌倉再興期に叡尊が造立した文殊菩薩像が

延徳2年(1490年)の火災で焼失したため、

代わりに本尊とされたものだそうです。

かつては経堂の秘仏でした。

 

お参りが済むと、御朱印をいただくために、

本堂の左側から奥の方にある小さな建物へ行き、

御朱印帳を預けて境内散策へ。

 

傍らには西国三十三所観音石仏が並んでいました。

 

 

すぐ近くで秘宝特別公開中だったので、

見に行くことにしました。

 

 

こちらが秘仏の白鳳阿弥陀如来立像。写真は拝借しました。

白鳳時代の作で、国の重要文化財に指定されています。

像高40.9cm

 


聖武天皇が平城京の鬼門鎮護のため奉納されたと伝えられています。
頭、両手足が大きく、お顔は白鳳仏特有の微笑みを浮かべています。

昭和の石塔大修理(1964年)の際、

十三重石宝塔の五重軸より発見されました。

 

 

境内図右奥の方へ散策を続けます。

 

 

鎮守社

 

 

笠塔婆 2本(重要文化財)

石塔を創建した宋人石工・伊行吉(いぎょうきち)が

弘長元年(1261年)に父・伊行末(いぎょうまつ)の壱週忌にあたり、

父母の供養のために建立されました。

鎌倉期の東大寺再建に携わった

伊行末の事績が知られる貴重な史料でもあります。

 

 

 

こちらにも西国三十三所観音石仏があります。

 

 

 

藤原頼長供養塔

 

 

一切経蔵(鎌倉時代、重要文化財)

一切経を収納する蔵。

大塔宮・護良(もりよし)親王が唐櫃(からびつ)に隠れ

危難を逃れられたのはこの経蔵であったとのこと。

 

 

十三重石宝塔(鎌倉時代、重要文化財)

高さ12.6m。

 

 

建長5年(1253年)頃に南宋から来日した

石工・伊行末や伊行吉らによって創建されました。

日本の代表的な石塔の一つ。

 

 

楼門を入って正面、本堂から見ても南正面に位置し、

当寺の信仰の中心となっていました。

 

 

 

塔には顕教四方仏が掘られています。

 

 

昭和39年に解体修理され、

その際に塔内より多数の納入宝物が発見されました。

 

 

本堂の正面に戻って来ましたので、

ここで般若寺についてご紹介します。

 

 

寺伝によると飛鳥時代、

高句麗の慧灌(えかん)法師がこの地に寺を建てたのが始まり。

その後、天平7年(735年)聖武天皇の時に、

平城京の鬼門鎮護のため堂塔が造営されたと伝えられています。

 

 

京都から奈良への要路にあたるため、

治承の兵火で戦火を被りましたが、

西大寺の叡尊上人により文殊菩薩の霊場として復興され、

庶民救済の文殊会を盛んに開くようになりました。

 

 

平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き討ちにより

伽藍が焼失しましたが、

鎌倉時代に興正菩薩・叡尊上人のもと、

七堂伽藍が復興されました。

 

 

ハートが気になる・・・。

 

 

 

こちらは「カンマン石」。

カンマンとは不動明王を象徴する種字(梵字)。

この石の突起部にお腹や背中を押し当てると、

健康が増進するということです。

石の上に小さな不動明王像が乗っていますよ。

 

 

こちらは「こがね石」。

この石の上面にある銭形をなでると、

「小金」がたまり、いつかは「黄金」になると伝わります。

 

 

奥に見えているのは、

鎌倉時代の優美な建築様式をもつ楼門(国宝)です。

平安末期に平家の焼き討ちにあった後、

叡尊によって伽藍の再建が行われ、

この楼門は伽藍廻廊の西門で、

奈良と京都を結ぶ「京街道」に面しています。

 

 

再建当時は正門にあたる南大門や中大門も存在しましたが、

現存するのはこの楼門のみ。

和様に大仏様を取り入れた形式で建てられ、

楼門としては最古の遺構だそうです。

 

 

入母屋造・本瓦葺きの楼門(2階建て門)。

下層は1間、上層は3間、軒が反っています。

二階の手すり部分にはこの方がいらっしゃいました。

望遠で撮りましたが、ピントが合わず・・・。

 

 

般若寺は、秋のコスモスだけでなく、

春の山吹、初夏のアジサイなども美しい花の寺です。

 

 

(つづく)