2023年12月1日(金)、和歌山に住む兄が

午後からお休みを取って、金沢に来てくれました。

途中、高島市の有名なメタセコイア並木を見てきたようです。

金沢には20時すぎに到着しました。

 

今回は家の大掃除も特に必要はなかったので、

兄の希望により金沢の紅葉を見に行くことにしました。

 

翌12月2日(土)の朝、夜が明けて窓から外を眺めると、

空は一面白い雲に覆われていましたが、意外に明るく、

翌日の天気予報もイマイチだったので、

「今から兼六園行こうか!」ということになりました。

あまりに突然の出発で、大事な朝の薬を飲み忘れました。

 

兼六園は8:00開門ということで、7:30すぎに家を出ました。

問題は車をどこに駐車するか、どこから入園するかです。

 

この地図では平坦に見えるかもしれませんが、

左上の石浦神社から右下の北電ホールまで、

かなりの高低差があります。

バスで行く時は、小立野口から入るとあとは下るだけなので、

心臓の悪い方などにはここから入るように勧めています。

 

 

ただ、今回もそうしようと思ったら、近くに便利な駐車場がなく、

結局は北電ホールの向かいの駐車場に入れました。

兼六園随身坂口までは徒歩7分ですが、

そこへ至るまでに歴博、国立工芸館など見どころが多く、

兼六園までの距離は全く気になりませんでした。

 

 

まず歩き出してすぐに見えてくるのが赤レンガの建物。

 

 

3棟並ぶこの赤レンガの建物は、かつては陸軍兵器庫、

戦後は金沢美術工芸大学の校舎として使用されていました。

 

 

現在は「いしかわ赤レンガミュージアム」という愛称で、

石川県立博物館などに使われています。

 

 

そして、その右隣には国立工芸館があります。

2020年10月25日に東京から金沢に移転開館しました。

旧陸軍の施設を移築して、外観を復元しました。

 

 

見てのとおり、地面は濡れ、空は薄いグレー。

傘は不要ですが、たまにポツンと雨粒が当たることも・・・。

 

 

ここで道路を横断して、坂を少し下ると、

金澤神社の鳥居が見えて来ます。(写真ぼけました)

通り道なので、金澤神社も参拝することにしました。

 

 

最初に右手に見えてくるのが金城霊澤。

 

 

その昔、芋掘藤五郎という男がこの湧き水でイモを洗ったところ、

たくさんの砂金が出てきたという伝説が残っています。

そこから「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、

「金沢」という地名の由来となった場所と伝えられています。

 

 

金城霊澤の傍らにある鳳凰山の洞窟。

中には金城霊澤碑などがあります。

 

 

金城霊澤から金澤神社拝殿へ向かうところに

朱色のたくさんの鳥居が並んでいます。

 

 

前田家鎌倉邸より稲荷社御分霊と共に移築奉納された鳥居で、

前田家に慶事があるごとに奉納された縁起の良い鳥居です。

 

 

実際は最後にくぐった鳥居ですが、

兼六園側から入った想定でこちらから神社を紹介します。

 

 

金沢神社の神門「随身門」

 

 

奥に見えてきたのが拝殿。

 

 

ここでお参りします。

知らない人はここで参拝して帰ってしまいますが、

折角なので、拝殿の天井絵を見ていって下さい。

 

 

金澤神社には、白蛇龍神が祀られています。

白蛇龍神のご利益は火難・水難・災難除け、

金運、商売繁盛です。

 

 

拝殿の天井一面に、白蛇龍神の絵が描かれています。

龍神様の右下には、赤ちゃんの姿も描かれていて、

「神様の前では地位が高い人間であっても、

 どんな人であっても赤ちゃんと同じで平等ですよ」

ということを表しているそうです。

 

 

金澤神社は、寛政6年(1794年)、

第11代加賀藩主・前田治脩(まえだはるなが)が、

金城霊澤のほとりに菅原道真を祀ったことに始まります。

 

 

創建当時は、藩校明倫堂の鎮守として、

その後は竹沢御殿の鎮守とされました。

明治7年(1874年)、兼六園公開とともに

竹沢天神から金澤神社に改称されました。

 

(つづく)