ケン太「博士、そろそろ始めようよ」
博士「ん? おお、そうじゃな」
ゆう子「あんまり待たせると、誰も読んでくれないよ」
博士「…すでに誰も読んでくれていない気もするがの…」
…
博士「えぇっと、前回は…」
ゆう子「『豊臣秀頼はなぜ関白になれなかったのか?』というテーマでした」
ケン太「徳川家康以上に、秀頼の関白就任を嫌った存在は誰?…ってトコまでだったよ」
博士「おぉ、そうじゃったな。 では始めよう」
ケン太「…で、誰なの?」
博士「それは…、五摂家じゃ」
ゆう子「ごせっけ?」
博士「うむ、秀吉が関白になる前までは、藤原道長の直系の子孫である近衛・九条・一条・二条・鷹司の5家の人間のみが、持ち回りで関白に就任しておった」
ケン太「その5家が五摂家なんだね」
博士「その通り」
ゆう子「なんでその五摂家が、秀頼の関白就任を嫌がっていたの?」
博士「そうじゃな…判りやすく、上級貴族の序列を紹介しようかの…
【五摂家】
○大将を兼ね、太政大臣まで進む事ができ、摂政・関白になれる家柄
【清華家】
○大将を兼ね、太政大臣まで進む事ができ、摂政・関白になれない家柄
【大臣家】
○大将を兼ねず、内大臣まで進める家柄
…この下に、羽林家・名家・半家と続くんじゃが…」
ゆう子「あら? 五摂家と清華家の違いは、関白になれるか否かだけなの?」
博士「まぁ、細かい違いはあるが、出世に関してはそうじゃ」
ケン太「…って事は、秀頼が関白就任したら……」
博士「そう、豊臣家で関白の世襲が続くと、摂家と清華家を区別する必要がなくなってしまうのじゃ」
ゆう子「だから、五摂家は秀頼の関白就任を嫌がった訳ね」
博士「秀吉は元々、二条昭実と近衛信輔の関白争いに割って入った形で、近衛家の猶子になった上で関白就任した…という経緯があった」
ケン太「よく摂家が許したね」
博士「当時の朝廷は、秀吉の関白就任を一代のみの特例として処理するつもりだったんじゃな」
ゆう子「ところが、秀吉は秀次に関白を譲ったのよね」
ケン太「なんで関白を譲れたの? 秀次も近衛家の猶子になったの?」
博士「それはの… 何と秀吉は、過去の文書をすべて偽造してまで、関白就任した後に貰った『豊臣』の姓を、関白就任以前に貰った事にしたからじゃ」
ケン太「……それって、どゆ事?」
博士「関白就任より先に『豊臣』を名乗ったと言う事は、朝廷は近衛秀吉に関白を与えたのではなく、豊臣秀吉に関白を与えたという形になる」
ゆう子「つまり朝廷が、豊臣家を第六の関白就任可能な家と認めたという事ね」
ケン太「あ、なるほどね」
博士「当然、五摂家は面白くない」
ゆう子「…でも、秀吉には逆らえない」
ケン太「そっか。 だから秀吉が死んだ時こそが、五摂家にとっては大チャンスだったんだね」
博士「というより、最後のチャンスだったんじゃろう。 秀頼が関白になったら、永久に関白職は戻ってこないぐらいのな…」
ゆう子「でも、秀吉だって、そこら辺は考えていたんじゃない? 何か対応策はなかったの?」
博士「勿論あった。 この時点での嫡子秀頼の敵は大きく分けて二勢力。 従兄弟の秀次と五摂家じゃ」
【文禄四年(1595)6月】
関白 豊臣秀次
太政大臣 豊臣秀吉
左大臣 豊臣秀次
右大臣 菊亭晴季
内大臣 空位
博士「まず文禄四年7月に、秀吉は甥秀次に難癖をつけて腹を切らせ、次いで翌月には秀次の妻子を根絶やしにし、秀次の側室の父菊亭晴季を越後に追放する」
ケン太「ふんふん…」
【文禄四年(1595)8月】
関白 空位
太政大臣 豊臣秀吉
左大臣 空位
右大臣 空位
内大臣 空位
ゆう子「あら? 秀吉以外、誰もいなくなっちゃった」
博士「次いで翌年5月、秀吉は徳川家康を内大臣に就任させている」
【文禄五年(1596)5月】
関白 空位
太政大臣 豊臣秀吉
左大臣 空位
右大臣 空位
内大臣 徳川家康
ケン太「この人事の意味は?」
博士「秀吉が関白に就任して以来、大臣にすらなれていない五摂家の公家を昇進させたくない意味がある」
ゆう子「ど、どういう事ですか?」
博士「前回、関白になる為には大臣経験者でなければいけないという条件があると言ったのは憶えておるかの?」
ゆう子「えぇ、憶えてます」
博士「それに加え、大臣になる場合は、必ず内大臣を経験しなくてはならないという条件もあるんじゃよ」
ケン太「権大納言から内大臣を飛び越えて、一気に右大臣にはなれないって事?」
博士「その通り!」
ゆう子「つまり、徳川家康を内大臣に充てる事で、公家を大臣に就任させないように、出世の蓋をしたって事ね?」
ケン太「うわ! えげつねぇ!!」
博士「前回ワシが、『秀吉は本気で家康を頼りにしていた』と言ったのは、この意味じゃよ」
ゆう子「…でも、家康だけなの? 贔屓が過ぎませんか?」
博士「うむ、実は『公卿補任』では前田利家が権中納言から権大納言に出世したのは翌年…とされているが、『言経卿記』では、この年の4月だったとしておる」
ケン太「どっちなんだろ?」
博士「利家はこの年4月15日に、能登国七尾で条規を定めておるから、京にはいなかったはずじゃが… まぁ、今回の人事は内大臣さえ埋められれば良いから、利家の出世は問題ではないの」
ゆう子「秀頼はいつ公家に列席したの?」
博士「慶長二年(1597)9月に、従三位左近衛権中将になっておる」
ケン太「こっからだと…
左近衛権中将→権中納言→権大納言→内大臣
…って、3回出世すれば良いんだね?」
博士「左様。 …今回は、こんな感じじゃな」
2人「ありがとうございました~!」
~続~