諏訪「さて、始めるか…」
ケン太「長かったこのテーマも、今回がラスト?」
諏訪「一応、そうだね」
神崎「なんでこんな難しいテーマを選んだんですか?」
諏訪「今後、書くテーマの多くは、織田家の先祖に係わっているからだよ」
岩田「なるほどの」
…
諏訪「では、まとめだ」
岩田「まずは氏素性からじゃな?」
ケン太「織田家は、『自家を藤原氏と信じていた』」
諏訪「そう……では、その根拠を示す手がかりは?」
神崎「織田家歴代の人々が、制札などに『藤原~』と署名していた事と…」
ケン太「自家の氏神を祀る織田剱神社へ奉納した願文で、素性(藤原)を詐称するとは考えられないから」
【織田伊勢守家】
諏訪「OK、では次に織田伊勢守家は…?」
岩田「尾張における織田宗家で、織田常松(教広)を始祖としておるの」
諏訪「同時代の守護又代織田常竹と、常松の推定続柄は?」
神崎「兄弟…でした」
諏訪「将広と教広(常松)の推定続柄は?」
ケン太「やはり兄弟!」
【織田伊勢守家系図(推定)】
信昌
┣将広
┣教広(常松)
┃┃
┃淳広
┃┣郷広
┃┃┣敏広━寬広━広高=信安━信賢
┃┃┣広近━寬近
┃┃┗広忠━広遠
┃┗久広
┗常竹
(=は養子)
神崎「また、広高の後は断絶したようで、織田弾正忠家の分家と思われる敏信の子信安を養子として迎え、伊勢守家を継がせてますね」
【織田大和守家】
諏訪「上出来だ。 次に織田大和守家だが…」
ケン太「常松亡き後、将軍家に取り入って尾張守護代の地位を得た家系!」
【織田大和守家系図(推定)】
朝長(教長)
┣右長━輔長
久長
┣敏定━寬定━達定=達勝=勝秀(彦五郎)
┗○○━寬村
(=は養子)
諏訪「ふむ…、なぜ将軍家に取り入ったと考えられる?」
岩田「確か…将軍足利義教が、斯波義淳の管領就任を望んでいた時期に…」
ケン太「織田朝長が、主君斯波義淳を管領につけた功績で、足利義教から『教』の一字を拝領して教長に改名したから」
諏訪「…その結果は?」
神崎「主君斯波義淳と常松の子織田淳広に煙たがられ、一度、伊勢守家に守護代を取って代わられました」
諏訪「再度、守護代職に戻ってきた織田大和守家。 その足元が崩れた意外な事件とは?」
ケン太「嘉吉の乱! 後ろ盾の将軍足利義教が死んだ為だね」
諏訪「その後、再び大和守家が守護代に戻ってくるのは?」
岩田「応仁の乱後、西軍についた斯波義廉と織田伊勢守敏広の討伐を命じられた、織田大和守敏定の時代です」
諏訪「その通り。 応仁の乱以後は、大和守家が尾張で唯一の守護代だった。 伊勢守家は守護代ではないからね」
【織田弾正忠家】
諏訪「そして最後。 信長を輩出した織田弾正忠家だが…」
【織田弾正忠家系図(推定)】
直信
┃
○○
┣敏信━━━信安━信賢
良信
┃
信定
┣信秀━信長
┣信康━信清
┗信光
神崎「古くは応永三十五年(1428)、病中の織田常松に侍っていた中に、『織田弾正』がいます」
諏訪「そしてその織田弾正は、当事務所では誰に比定した?」
ケン太「尾張守護代織田敏広の時代の守護又代、織田豊後守直信!」
諏訪「清洲宗論で諱が確認できる織田弾正忠良信。 良信と直信の推定続柄は?」
岩田「祖父と孫…じゃったな」
………
諏訪「こんな感じのおさらいで良いかな?」
岩田「ええんじゃないか?」
ケン太「気に食わなかったら、またどうせひっそりと書き直すんでしょ?」
神崎「それは言わないお約束」
一同「ハハハ…」
諏訪「…では神崎君、織田常真さんに報告よろしく」
神崎「判りました」
岩田「…では、ワシも失礼するよ」
諏訪「はい、お疲れさん」
……
諏訪「……」
ケン太「…どうしたの先生?」
諏訪「そういえばケン太君は、トイレに行きたかったと言ってなかったか?」
ケン太「っ!! そういえば!」
神崎「あきれた… 忘れられるものなの?」
ケン太「トイレトイレ…」
諏訪「残念ながら、さっきから断水だぞ」
ケン太「えぇ!!」
神崎「流せないなら、しちゃダメよ」
ケン太「もっちゃうもっちゃう~」
諏訪「クックックッ…」
ケン太「ひ~、もう…ダメづら~~」
神崎「あらあら、おもらし? はしたないわね。 …いいわ、見てたげるからここでなさい」
ケン太「い、いえす、ますたー」
諏訪「やめろ、ここでするんじゃない」
~完~