昭和東南海地震と焼夷弾 | こちら "伊勢小隊 情報分隊" 【 I-PAS】

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連帯を求め孤立を恐れず
力及ばずして倒れることを辞さないが
力を尽くさずして挫けること拒否する

昔話ですけど

 

昭和東南海地震
1944年(昭和19年)12月7日、マグニチュード7.9の東南海地震が発生、三重県津市でも震度6を観測したようです。

 

被害は
襖や障子はグチャグチャで瓦は殆ど落ちたが、殆どの家屋は倒壊していなかった。


一方、インフラの方はどうかと言えば、道路は至る所で亀裂や隆起でガタガタになり電気も止まってしまいました。

 


 

とはいっても、当時は電気も止まりがちだし、道路も舗装なんてしていない時代でした。亀裂の入った道路を平然と歩いて生活していたし、そもそも道路を走る車なんて稀ですから不便を感じる人は少なかったもよう。

 

という事で、津市の東南海地震の被害写真あまり目にしません、当時の被害写真の多くは震源地に近く津波の被害が大きかった尾鷲などが殆どです。

 

翌年の津空襲では
翌年のアメリカによる津市無差別爆撃では爆弾や焼夷弾によって家屋全焼1万戸以上、市民2,500名以上亡くなっており、遥かに甚大な被害が出ています。

 

 

津観音【公式】@z_kannonより

 


 

焼き払われた街

当時は津市内の何処からでも、焼け野原の中にポツンと観音さんが佇んでいる姿を見る事が出来るまで、焼き払われてしまいました。

 

 

逃げ場無く街全体ががBBQ

爆弾のように一挙に即死ではなく、これだけ広範囲に焼夷弾による火災ですからジワジワ焼かれて亡くなったのです。

 

なお、翌日以降は街の各所で焼死体が山のように積み上げられていました。

 

津市内だけで2,500名がアメリカの鬼畜の所業によってジワジワ焼かれて亡くなっています。これが現実なので多くのオーディアンスは忘れないで頂きたいと思います。

 

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