恋愛感情って、「好き!」か「キライ!」かという感覚で測ってしまいがちだけど、気持ちのベクトルが自分中心なのか、相手中心なのか、どちらに強く向いているかということも、しっかりと意識することが大切なんじゃないかなあ…とつくづく思うのです。
例えば、「相手が自分のことをどれだけ好きなのか」ということがやたら気になったり、そのことにやたらとこだわってしまう時って、気持ちのベクトルは相手ではなく、完全に自分に向いている。 つまり、その恋愛、かなり自己中になっちゃってるってことだと思うんです。
私のところにいただくご相談には、「夫のことが…、子供のことが…」と、ご家族や、彼のことを、とてもご心配されている内容のものがかなり届くのだけど、お話しを伺っていると、相手のことを心配しているようで、実は完全にベクトルは自分向きだったりするんですよ。
そんな方は、自分の都合にしか視点が向いていないし、自分中心でしかものを考えられていない気がします。
「相手を信頼して任せる」ということや、「相手の意思に任せてゆだねる」ということが出来ないのは、自分の気持ちばかりを優先させてしまって、相手の都合や意思を尊重することができないからじゃないのかなあ。
こういう方のお話しを伺っていて、最近、特にそう感じることがあります。
そして、このような方々は、とくに自分が非難されることをとても恐れているような気がします。
正しいか、間違っているかの2択で物事を判断してしまいがちな方が多いような気がします。
自分の考えと違う考えを持っている人がいたら、「それは違う」と正したくなります。
「私が正しいのだから、あなたもこの考えに賛同すべき」…と、それこそ正しいことだと信じています。
でも、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えを持った人がいる。 そして、誰もがそれぞれの立場や都合を持って生きている。
世の中には、正しい、間違っているの2択だけでジャッジできることよりも、「どれもが正しい」といえることの方が、よほど多いのではないかと、最近私は思えるようになってきました。
以前はなかなかそういうわけにいかなくて、そのたびに、理不尽さに対して怒りを覚えたり、失望したりすることがよくあったのだけれど。
社会の一部に身を置いていると、どんなに自分が正しいと主張しても認められない事なんてたくさんあるわけです。 だけど、それぞれにそれぞれの事情があるから、たとえどんなに正しくないことでも、それを通さないと都合がわるくなってしまうという不条理さは世間に溢れまくっているのです。
だから、それにいちいち苦しんで、悩んでいたら、やっていけないのです。
この先のことが不安で…。というご心配の相談をよく頂くのですが、わかります、ホントによくわかります。
私のことを語らせてもらえば、独身だし、子供もいないし、この先自分の行く末は、孤独死かと心配になることがあります。
第一発見者にはきっと迷惑をかけるし、きっととても嫌な思いをさせちゃうだろうから、元気なうちに、迷惑料をいくらか包んで用意しておかなくちゃ…なんて、今から本気で考えます。
でも、先のことを憂いてもしかたがないのです。 おそらくそんな時って、完全に自分のほうにベクトルが向いてる証拠なんです。 きっと、身の回りに特に大きな問題がなく、つまりは平凡に幸せなんです。
そんなことより、自分のために何かいろんなことをやってみる、自分のための時間を作ってみる、自分を楽しませることを考えてみる。
そんなことに気持ちを向けてみたらどうでしょう。
それが、気持ちのベクトルを外に向けることになるような気がします。
昨日お邪魔させていただいた、とっても素敵なお店
実るものは、風水では豊かさの象徴です。
大好きな、とても素敵な方達とご一緒させていただけた、とても素敵なひとときでした。 こんな方たちが周りにいてくださって、私は本当に心から幸せだと思います。