離婚し、パート事務員を昼間しながら

夜、電話占い師を始めたわたしは

占い師が合っていて

結局パートを辞めた。

資格があるので大手損保代理店に

お勤めが決まっていたのだが

交通事故で二ケ月くらい

治癒に時間がかかるのがわかり

結局辞退させていただいた。

その後

和菓子コンサルタントさんに

気に入っていただけて

就職決まるも

出張で泊まりもあるといわれ

母子家庭で家をあけるなんて出来ない私は

無理だ。。。になり


わたしはなにをしたらよいのか?

と、天を仰いだ。


はっ!と思いだしたのは

19歳の時

あなたは占い師とか偏業に向いてます。

と、6人の占い師さんを巡ったときに

言われたことばだった。


そして、自分の運命を知るために勉強していた

占いを

お仕事にしようと復習をしはじめた。


姓名判断

四柱推命

リボンの付録で楽しんだタロット

タロットは楽しかった。

復習し始め半年

よし!もう良いかも!と

電話鑑定の老舗みたいなところで

テストをうけ合格して

働き出した。


ただ、常に頭には催眠療法があった。


いま

わたしは自分がセッションをする立場だから

セッションされることは

少ない

それでも、教えるようになってから

生徒さんにセッションしてもらうことが

増えてくると

否が応でも認めざるを得なくなる。


催眠療法(ヒプノセラピー)をしてもらい

どうしても学びたくて

先生を探した。

当時は2003年とかは

北海道に先生はいなかったし

札幌限定では

セッションする人も一人二人くらいだった。

みなさん、東京で習われていたのですが

金額を見たら

すごい!80万円⁉️

それに飛行機代、宿泊代をいれたら

シングルマザー二人の子供がいて

それは無理でしょ?

でした。


一年くらい探したり色々模索していた。

ある日たまたま、ハワイでセッションをしてます。

という方が

実家が札幌で、ビザのために

帰省していてヒプノセラピーを教えますと

記事を見つけ飛びついた。


春先から学び始めた。

最初のセッションは仲間とセッションしあう練習

そこで驚く光景を見た


わたしは馬に乗っている

見えるのは馬の背

くつわの紐が紫で、偉い人なのかな?

と、見ていた。

急いでどこかに向かっている。


ある場所に着き争いの支度をしている。

なに?戦?

雨でずぶ濡れで鎧が思い

蒸し蒸しするなかを

草を掻き分け掻き分け

山の中を歩く

仲間と共に。。。

場面が変わり

山みたいな場所。

山から下を見ると前からも後ろからも

敵に囲まれている

もう時間の問題だ!

覚悟を決めた。

手勢6人くらい。四人は互いに差し違えて

亡くなった。

わたしは腹を切らねば。

息子がいたが息子に介錯を頼むが

泣いて躊躇している

『なにをしている!はよう首を切れ!』

早く亡くなり息子は跡取り

逃さねば❗️焦りながら腹を切る

しかし、なかなか息子は介錯しない。

仕方ないので短刀を抜き

木の切り株に短刀を指して

己の体重で首を貫かせた。

場面は真っ暗。。。ああ死んだ。


あなたの人生のテーマはなんですか?


武士としてやるべきをして死んだ

悔いはない。息子が心配だが

こうして自分が死ぬことで子孫が守られる

なんの悔いもなし❗️


テーマは武士の潔さと

やるべきをやった人生だった。


催眠から覚めてびっくりした

あまりにもリアル

あまりにも意味がある


ますます催眠療法に惹かれていった。






マリア