昨晩、修行をしっかりやって

こられた友人から

一昨日朝メッセージ降りたよと連絡が来ました。


かいつまんでますが 


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人の良心ってみんなあるのか、

あると信じて性善説で考えていいのか、 

と思ったら、教えて頂きました。


良心とは

知と理と情で育ててゆくものである。

すなわち

知性 理性 そして情感である。

知と理に長けていても、情感を

自分のうちに持ちえないものには

真の良心はない 


また、情感だけでは、

独りよがりの良心となり、

真の良心にはなり得ない


知と理と情があって初めて人は人として、

獣では持ち得ない良心を育てていくことができる 


と、降りて。

あーだから人は学を学び、

理性で感情をコントロールする術を

社会で学んでいくのか


と。


そして


たとえば、井戸の縁に座った赤ん坊が

今にも井戸のなかへ落ちそうになっているのを

見た瞬間

人は思わずかけより助けようと行動するだろう


それは善悪とはちがう

人のやむにやまれぬ思いから発するものである

人というものは


根本的にはやむにやまれぬおもいで、

我が身を顧みず行動がとれる

素晴らしい存在なのだ、と


それでも、瞬時に魔に転ぶ

自分の中の良心とは、たやすく転ぶもの

やむにやまれぬ気持ちには私情がない

だから、人は時に我が身を顧みず、

見返りを考えず、瞬時に尊い行動ができる


良心はたしかに人にはあるけど、

時にはとても脆いし、危うい

知性や理性だけの良心は冷たいし、

逆に知性や理性がなく情感だけだと、

それは情感ではなく独りよがりの感情に

すぎず共感には堪え難い


しかし、神さまがおっしゃっる、

人のやむにやまれぬおもいは、

人間の本質的に備わった神に通じるもので、

これは悪人ですら持ち得るもの


昔から、

盗人にも五分の魂

というが、これである


だからこそ、素晴らしい。

人は、本質的に神にも通じる行動を瞬時にとれる、

そういうものを生まれついて持っては、いる。

いるが、それまでである。

神様は、素晴らしいものはどんな人間もあって、

場合によっては崇高な行動をもとれるけど、

まあ、あるだけだ。と。


行動が伴えるかは、与えられる環境にも

よるんだろうな

誰でも、井戸の縁に赤ん坊がいて、

落ちそうになれば、我知らずかけよる。

それは現在の自分の環境に置き換えたら、

そういう設定されたら、簡単なわけだよね

善行なせるにあたり。


だけども実際の生活にはそんなドラマティックな

場面がそうそうあるわけでなく

日々日常は淡々と(見える)生活を何の努力もせず

過ごしてしまう。笑笑

だから怖いんだと。


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そうラインしていたのですが

なるほど

タイムリーでした。


誰でも、赤ちゃんがおちかけていたら

走り寄る

それは

無意識の産物

それが良心


やむに止まれぬ思いと行動は

神と通じ

私たちの中にあるもの


私たちは

その神と通じた部分で

生きていくことが大切なんだと

つい忘れていたことを思い出しました。


ありがたいですね。


わたしは最近、学生をしていて

学びながらいますが

レポートのノリが悪かったのです。

やりたくない。

たんに面倒臭いとかじゃないし

ずっと、理由を考えていました。


傍にいる

学生さんらは物覚えも良いし

レポートだってさっさとこなす。

でも、経験はないから

平気で周りの人に配慮のないことを言う。


資格とりたい!

いいところに就職したい!

まあ、学生ならわかる。

そこに、モヤモヤしているわたしがいた。

心理学を学び返しているわたしには

この5年でも人のこころの総体的な

変容を感じる。


なるほど

ノリが悪かったのは

やむに止まれて とか

やりたくて仕方がなくて とか

無意識に体が動いたんですよ とか

そんな状態じゃなく

資格とか就職に有利とか

そこに向かうための周りの競争心に

疲れていただけだったのか。

わかったらすっとした。


やむに止まれぬ想いの人はどれだけいるのか?

これから、気づけるのか?

気になる。


目的に向かい

昨日のメッセージのように

エスカレーターを最速で

上がる人々を見ながら

階段で一歩一歩歩む。

それがわたし


地味な作業してきました。

しかし

その先に神が待っていてくださるのですよね。

そこに打たれていました。


ありがたい。


神様は同時に

みんなが忘れかけた頃

地面を揺さぶり『‼️』とさせたりして

みんなに良心をおもいださせてくださるのかも

と、思いました。


それでも

気づかないとき


ドカン!とさせるのかもなと

思いました。

やるべきは 地面が揺れないように。。。

ではなく


私たちの良心への問いかけなのかも。


人への誹謗中傷

子供への虐待

出来事の暴露


そんなことを見るにつけざわつき

無意識に傷ついていたのかもなあ。。。

まあ、

言わぬが花 という言葉を噛み締め

やむに止まれぬ想いになるものに

向かえば良いなと思い直していました。


わたしのやむに止まれぬ思い

大切にしよう

それは数年単位で変わったりもするけど

仕方ない。

しかし目的への深さは変わらないから

突き進む。


今朝の夢は

伸びてお尻にかかってる

わたしの髪の毛の裾が

不自然にはみ出している部分があり

綺麗に真っ直ぐにカットしてもらいに行く

そんな夢でした。

カットにあたり、ケープつけますが

オレンジのような光ってる素材でした。


余分な感情に決着をつけ

また、歩き始めます。


門はいつでも開いています。

くぐる、くぐらないは

私たち次第。


友人たちを通して

神様、メッセージをありがとうございました。







マリア