偶然かなにかわかりませんが

記事が沖縄に行っている間に

記事がアップされ、

読者さんが知らせてくださいました。

ありがとうございました。

私が沖縄に行ったのには理由がありました。

取材もありましたが


喜界島や、奄美大島

沖縄本島

宮古島


ユタ取材を兼ねながら

喜界島ではここを拝すのが目的






日本には出口王仁三郎の歌碑があります。

いろは四十七文字を日本に歌碑として建立して

日本を守ってきたのだそう。


たまたま数年前

台湾に3回ほど行っていたことがあります。

友人がいるので

仕事兼ねて行っていました。

鑑定をしにいっていたのですが

日本と台湾の歴史を学ぶ、

良い機会になっていました。


そこで、偶然王仁三郎氏の歌碑の場所に

行って来たのでした。

そこが最初に祈れた場所でしたが

気にしてなかったのです。


しかし南西の場所未申の神様の方。

台湾は霊的に日本と言われてますから

意味があったのだなと感じました。

せっかく台湾に最初に参れたのなら

南西側から回らなきゃならないんじゃないかしら?

と感じ、行ったわけです。


今回の沖縄めぐりには喜界島は外せないと

強く感じました。


おりからの台風

しかし、面白いくらい台風は速度を落として

行かせてくれようとしていかのようでした。

帰りの便は出ないかもしれませんと

空港で言われましたが

祈りに行くのに

そんなわけはない!とばかり勇んで出かけました。

1日一便しかない飛行機

スケジュールは決まっているのに

変な自信がささえとなり

なんとか、ユタ資料館を見学と

歌碑に参ることができました。





沖縄初日に

比嘉ハツさんの

大国ミロク社に参って来ましたし

私の別の目的では

沖縄に祈りをささげることでもありました。


比嘉ハツさんは神様から


海の真ん中に神車立てて 
海が破れたときには 
また、作ってあげましょう 


と、降りたそうで、

沖縄の石たちには霊力が備わっていると

いうことなのだと、理解しました。

また、

さらにこれから竜王と竜神の2神が現れることになっているという(昭和41年当時)。 


これは、たつき諒さんがみた大災害ビジョンの時

現れる二匹の龍神の様な気がしたりしてます。


さて、無事に帰ってきて

翌日はまた、沖縄本島に帰り着くことができました。


初日に向かった波の上宮

たまたますぐそばがホテルでした。


導きはそばにあると

理解したのでした。

また、九州にも講座で行くことになっています。


歌碑に参ろうと誓っています。


おりしも

宮古島から帰る前日が

ミサイルが打ち込まれた日でしたので

意味があるのかなと

思いました。


宮古島の要石

地球のへそ石と呼ばれています。

これらを庭から神様にいわれ

掘り出した方がいたのです。

すでに故人です。


見えない世界は、現象と神事が

わからないまま、やらされる

ということがあります。


神柱をたてるために掘り起こされたのでしょうね











宮古島をまもるためだったのでしょうね。

お疲れ様です。


こちらで

言葉が脳裏におりました。

男性のお言葉でした。


『生きとし生けるものの

憩いの場を無くすな

神が集うあらわれの場となれ』


肝に命じます。







マリア