2007年6月12日(火)
10時ごろ夫と共に、大学病院へ向かった。
前日にバタバタと入院準備はしておいたので、大荷物を持って病院へ。
まずは、外来へ行くように指示された。
長~い待ち時間の末、やっと名前を呼ばれたと思ったら、
「絶対に自分で動かないでください」
と、そのまま車いすに乗せられた。
「そんなに悪いの?」
私も夫も同じ感想だった。
それから、血液検査やら、いろいろしてから、
3年前と同じ救命救急センターに連れて行かれた。
3年前と同じく、「ここでお待ちください」って、家族待合で待たされる。
またしても、別の家族がいてたんだけど、今回のご家族は深刻そう。
どうやら、奥さんが自殺してしまったようで、ご主人と私と同じ歳くらいの息子さんが、
涙を堪えて、「どうしたらいいのか・・・」と話し合っていた。
「大変やん!」って思いながらも、大荷物を抱えた私は、中から呼ばれるのを待っていた。
1~2時間は待った。
やっと、呼ばれて中へ入る。
夫に会える~!って思ったら、「こちらへ」と誘導された。
その先にはお医者さん。
「ご主人の病気は大動脈解離で、本来なら瘤になった部分が5cmを超えたら
手術を考えるんですが、ご主人は6cmも超えていて、
非常に危険な状態です。
手術を受けるにも、リスクの大きな手術で、この手術で
1~2割の方が、残念ながら命を落とされます。」
大体、こんな感じの説明を受けた。
もちろん、もっと詳しく説明していただいたけど、この辺りから、記憶が断片的になってる。
私「手術を受けなければどうなりますか?」
医者「もっても後2週間から2ヶ月。
必ず死に至りますし、その間、今の痛みを抱え続けます」
思いもよらなかった言葉に愕然とし、涙がボロボロと出てきました。
その後の先生の話は、まったく覚えていません。
ただ堪えようとしても、涙が止まらず、しゃくりあげて嗚咽していました。
夫の担当の看護婦さんが、私の肩を抱いてくれて、外の待合に連れて行かれました。
夫には余命など詳しい事は言わないように
夫は何も知らないから、私が落ち着いてからじゃないと、
会わせられない
と先生に言われたので、私が落ち着くまで外に出されました。
待合室には、まだ先ほどの家族がいたけれど、私の嗚咽は止まらず、
看護婦さんがずっと背中をさすってくれていました。