【遠藤のアートコラム】シャセリオー vol.4 ~愛された画家の死~ | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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クレオールとして生まれたシャセリオーは、早くからエキゾチシスムを内包する画家でした。

 

今月は、国立西洋美術館 (東京・上野)で開催されている「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才展」の作品を紹介しながら、シャセリオーについてご紹介します。

 

■今週の一枚:《カバリュス嬢の肖像》(※1)■

テオドール・シャセリオー《カバリュス嬢の肖像》1848年
カンペール美術館
Collection du musée des beaux-arts de Quimper

―哀れなTh・シャセリオーの死は芸術にとっての不幸だと思います―

 

上記は、19世紀ロマン主義の画家ドラクロワの言葉です。

 

1856年、テオドール・シャセリオーは37歳になったばかりという若さでこの世を去りました。

 

もともと虚弱な体質だったようですが、10月7日に容態が急変。

翌日、驚いた友人、知人が駆けつけるなか、息を引き取りました。

 

画家が死去した1856 年につくられた知人のリストには、画家、女優、詩人、作家といった当時の偉大な芸術家たちや、貴族や有力者の名前がありました。

 

後年、シャセリオー家のアルチュール男爵が、このリストをもとに1892年にまだ存命中だった画家の知人たちと連絡をとり、手紙や証言を得ています。

 

彼らの記憶には、社交界で誰よりも雅やかに振る舞い、多くの人に好かれたシャセリオーの人柄や、信念に満ちた画家の姿が残されていました。

 

※1 テオドール・シャセリオー《カバリュス嬢の肖像》1848年

カンペール美術館

Collection du musée des beaux-arts de Quimper

 

こちらは、アルセーヌ・ウーセー(1814-1896)によって、「1848年のサロンの真珠」と称えられた作品《カバリュス嬢の肖像》です。

 

描かれている人物は、当時のパリで最も美しい女性の一人に数えられたマリー=テレーズ・カバリュス(1825-1899)。当時23歳でした。

 

シャセリオーは、こうした魅惑的な女性像を数多く描いています。

 

彼の過ごした家庭は、母と二人の姉妹、さらに従姉妹も暮らす女性的な環境だったようです。

家族や従姉妹の女性たちはモデルとなり、作品の着想源であり続けました。

 

姉妹の友人で、シャセリオーのモデルも務めたゴビノー夫人は、画家が「きわめてエレガント」だったこと、芸術家仲間のだらしない服装を嫌っていたこと、機知に富み、陽気で思いやりがある人物だったことを伝えています。

 

不在にしがちな父に代わり、画家を支えたのは兄のフレデリックでした。

政界の有力者たちとの窓口となり、注文主や支援者を弟に紹介していたようです。

 

※2 テオドール・シャセリオー《アレクシ・ド・トクヴィル》1850年

ヴェルサイユ宮美術館

Photo©RMN-Grand Palais (Chateau de Versailles) /Franck Raux / distributed by AMF

 

こちらは、シャセリオーが描いた《政治家にして公法学者のアレクシ・ド・トクヴィルの肖像》です。

 

貴族の家に生まれたトクヴィル伯爵は、1849年には第二共和政政府の外相に任命された人物。シャセリオー家とは家族ぐるみの付き合いだったようで、画家の支援者となりました。

 

公的な注文も得るようになり、シャセリオーは評価と評判を着実に築き上げていきました。

 

画家の晩年の作品には、異国の香りが漂っています。

 

植民地支配が進んだ19世紀、北アフリカから小アジアにかけての東方地域は芸術家の豊かな着想源となりました。

 

シャセリオーも1846年からアルジェリアへ旅立ちます。

 

画家はこの地で目にした女性の印象的な黒い瞳や、勇壮な騎兵、装飾溢れる服装などに魅了されたようです。

 

※ シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才展

テオドール・シャセリオー《コンスタンティーヌのユダヤ人女性》1846-56年

パリ、エティエンヌ・ブレトン・コレクション

 

 

こちらの習作と思われる作品は、衣服が素早いタッチで捉えられています。

 

※3 テオドール・シャセリオー《コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景》1851年

メトロポリタン美術館

 

こちらは、1851年に描かれた《コンスタンティーヌのユダヤ人街の風景》です。

 

アルジェリアの旅で、シャセリオーが多く描いたのは、そこに暮らす人々の生活風景でした。

 

植民地生まれの「クレオール」だった彼の作品は、早くからどこかエキゾチシスム漂う画風でしたが、アルジェリアで得たオリエンタリスムは晩年の作品の特徴となっていきました。

 

※4 テオドール・シャセリオー《東方三博士の礼拝》1856年

プティ・パレ美術館

© Petit Palais/Roger-Viollet

 

こちらは、1856年に描かれた《東方三博士の礼拝》です。

 

救世主誕生のお告げを受けて、聖母のもとを訪れた東方の三博士が描かれています。

三博士の様子は、肌の色も着るものも異なり、背景にはアルジェリアでのスケッチをもとにしたと思われるラクダが描かれ、異国情緒が溢れています。

 

この作品の聖母の顔は、シャセリオーの最後の恋人マリー・カンタキュゼーヌ公女だといわれています。

 

早すぎる死を迎えた画家の葬儀には、大勢が詰めかけましたが、喪のベールを顔に垂らした彼女の姿もその場にあったようです。

 

コンスタンティノープルのビザンティン皇帝の血を引くという彼女は、東洋風の仕草で床に伏し、棺を覆う黒布を両手に受けて、その唇へと運んだといいます。

 

風貌、作品、そして生涯のエピソードにおいても、メランコリックでエキゾチシスム漂うシャセリオーの芸術家としての存在は、同時代の人々、そして、後に続く象徴主義の画家たちを魅了しました。

 

早すぎる死によって、正当な評価が遅れた彼の作品を、まとまった展覧会としてみる機会は未だに多くはありません。

 

参考:「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」カタログ 発行:TBSテレビ

 


 

※1 テオドール・シャセリオー《カバリュス嬢の肖像》1848年

カンペール美術館

Collection du musée des beaux-arts de Quimper

 

※2 テオドール・シャセリオー《アレクシ・ド・トクヴィル》1850年

ヴェルサイユ宮美術館

Photo©RMN-Grand Palais (Chateau de Versailles) /Franck Raux / distributed by AMF

 

※3 テオドール・シャセリオー《コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景》1851年

メトロポリタン美術館

 

※4 テオドール・シャセリオー《東方三博士の礼拝》1856年

プティ・パレ美術館

© Petit Palais/Roger-Viollet

 

 

<展覧会情報>

「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」

2017年2月28日(火)~2017年5月28日(日)

会場:国立西洋美術館 (東京・上野)

 

開館時間:午前9時30分~午後5時30分

       毎週金曜日:午前9時30分~午後8時

       ※入館は閉館の30分前まで

休館日:月曜日(ただし、3月20日、3月27日、5月1日は開館)、3月21日(火)

       ※ただし、3月20日(月・祝)、27日(月)は開室

展覧会サイト:http://www.tbs.co.jp/chasseriau-ten/

 



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