文化家ブログ 「轍(わだち)」 -2ページ目

文化家ブログ 「轍(わだち)」

美術や紀行、劇場や音楽などについて、面白そうな色々な情報を発信していくブログです。

ロマン主義の芸術家たちは、美術や文学、演劇や音楽といったジャンルを超え、自由に交流して作品を生み出しました。

 

今月は、国立西洋美術館 (東京・上野)で開催されている「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」の作品を紹介しながら、シャセリオーについてご紹介します。

 

■今週の一枚:《アポロンとダフネ》(※1)■

テオドール・シャセリオー《アポロンとダフネ》1845年
ルーヴル美術館
Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Philippe Fuzeau / distributed by AMF


―その奇妙なる優雅さにおいて際立っており、
ギリシャ=インド趣味がこの若い芸術家を別格としているのだ―

 

上記は、19世紀フランスの詩人で小説家、劇作家のテオフィル・ゴーティエ(1811-1872)の言葉です。

 

画家を志したこともある彼は、ロマン派詩人として出発し、文芸評論や絵画評論も多く残しました。

 

当時、「ロマン主義」と呼ばれる芸術運動が文学や絵画の世界で沸き起こっていましたが、アカデミーが主催する展覧会「サロン」では、前衛芸術であったロマン主義の画家たちは冷遇されがちでした。

 

その頃は「古典」とされる古代ギリシャやルネサンスの芸術を理想として、普遍的な美をも求める「新古典主義」が主流。

「新古典主義」があまりに理性的で形式的なのに対して、もっと感情や主観を表現しようとしたのが「ロマン主義」だとされます。

 

ある時、オデオン劇場の新支配人は、ロマン主義の画家たちの作品を人々に紹介する機会をつくろうと、劇場で展示を行います。

 

この展示には、ロマン派の先頭で活躍していたゴーティエを含む、文学者の描いた絵も出展されていました。

 

この展示会に出展されていた一枚が、ゴーティエが称えた「若い芸術家」テオドール・シャセリオー(1819-1856)による《アポロンとダフネ》です。

 

※1 テオドール・シャセリオー《アポロンとダフネ》1845年

ルーヴル美術館

Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Philippe Fuzeau / distributed by AMF

 

「アポロンとダフネ」はオウィディウスの『変身物語』に登場します。

ギリシャ神話の神アポロンは、愛の神エロスをからかったことで、怒ったエロスに恋に陥る金の矢を射られてしまいます。

アポロンが恋した相手は、川の神の娘ダフネ。

しかし彼女は、エロスによって相手を拒む鉛の矢を射られていました。

ダフネはアポロンの求愛を逃れるため、遂には月桂樹に姿を変えてしまうという物語です。

 

激しく追いすがるアポロンに対し、足元がすでに樹木化しているダフネは、静かに目を閉じ、すでに自然と一体化し始めているようです。

 

詩情溢れるこのダフネの姿は、後の画家たちにも影響を与えています。

 

※ シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才

右:ギュスターヴ・モロー《アポロンとダフネ》

ギュスターヴ・モロー美術館

 

上の写真、右手前に展示されている作品は、ギュスターヴ・モロー(1826-1898)による《アポロンとダフネ》です。

 

モローは耽美的な表現で神話や聖書の主題を描いた画家です。

彼はシャセリオーの作品から多くのインスピレーションを得たようで、「モローはシャセリオーの終着点から出発した」ともいわれました。

 

 

 

※ シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才

左:オディロン・ルドン《目をとじて》1890年

国立西洋美術館

 

こちらの写真で、左手前に展示されている作品は、オディロン・ルドン(1840-1916)によるリトグラフ《目を閉じて》です。

 

幻想世界を描いたルドンの作品にも、シャセリオーの《アポロンとダフネ》の影響が散見されるといわれます。

この絵でも、水平線の先に浮かぶ眼を閉じた人物は、まるで自然と人物が一体化しているかのようです。

 

テオドール・シャセリオーは、11歳で新古典主義の代表的な画家アングルのアトリエに入門します。

師のアングルは3年後には、イタリアへ旅立ってしまったため、師匠不在の状態となってしまいますが、彼はロマン主義の芸術家たちと交流しながら、16歳で画壇デビューを果たしました。

 

詩人のゴーティエは、1835年頃から詩人や画家と暮らしていました。

その部屋は貧しい詩人や画家の巣窟となり、芸術論を交わしながら自由奔放に「ボヘミアン」な生活をおこなっていたようです。

 

シャセリオーもまた、このロマン主義のアジトに出入りしていたようです。

 

サロンデビューを果たした後の1840年夏、シャセリオーはイタリアへ出発し、古代ローマやギリシャの遺跡、ラファエロやミケランジェロといったルネサンス芸術を目にします。

 

このイタリア旅行では、師匠のアングルと再会しますが、最新の情報を持たず革新的な芸術に理解を示さない師と決裂。独自の道を歩みはじめました。

 

ロマン主義の時代になると、美術や文学、演劇、音楽といった芸術家たちが垣根を越えて自由に交流し、作品を生み出すようになりました。

 

シャセリオーも早くから文学や演劇へ関心を寄せ、恋愛の情熱や絶望といった、人間のドラマや感情を表現する作品を生み出しました。

 

※2 テオドール・シャセリオー《サッフォー》1849年

ルーヴル美術館(オルセー美術館に寄託)

Photo©RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF

 

こちらは、古代ギリシャの女性詩人サッフォー(サッポー)を主題にした作品です。

 

美しい若者ファオーンへの恋に破れ、海に身を投げたという彼女の絶望が描かれています。

 

シャセリオーは特に、悲運に直面した女性の感情をメランコリックに表現した作品を多く描き出しました。

 

シェイクスピアの戯曲も題材にされ、エッチングの連作『オセロ』も制作しています。

 

 

 

※ シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才展

 

こうした作品には、当時の舞台芸術の影響がみられますが、その背景には、シャセリオーの恋人だった女優アリス・オジーとの関係があったようです。

 

多くの文豪と浮名を流した女優をモデルに、シャセリオーは傑作を生み出していくのです。

 

続きはまた来週、シャセリオーについてお届けします。

 

参考:「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」カタログ 発行:TBSテレビ


 

※1 テオドール・シャセリオー《アポロンとダフネ》1845年

ルーヴル美術館

Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Philippe Fuzeau / distributed by AMF

 

※2 テオドール・シャセリオー《サッフォー》1849年

ルーヴル美術館(オルセー美術館に寄託)

Photo©RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF

 

 

<展覧会情報>

「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」

2017年2月28日(火)~2017年5月28日(日)

会場:国立西洋美術館 (東京・上野)

 

開館時間:午前9時30分~午後5時30分

       毎週金曜日:午前9時30分~午後8時

       ※入館は閉館の30分前まで

休館日:月曜日(ただし、3月20日、3月27日、5月1日は開館)、3月21日(火)

       ※ただし、3月20日(月・祝)、27日(月)は開室

展覧会サイト:http://www.tbs.co.jp/chasseriau-ten/

 



この記事について

 

 

 
 

新古典主義の巨匠アングルのアトリエにわずか11歳で入門したテオドール・シャセリオー。彼の作品が醸し出すエキゾティシズムはどのように生み出されたのでしょうか。

 

今月は、国立西洋美術館 (東京・上野)で開催されている「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」の作品を紹介しながら、シャセリオーについてご紹介します。

 

■今週の一枚:テオトドール・シャセリオー《自画像》(※1)■

テオトドール・シャセリオー《自画像》1835年
ルーヴル美術館
Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF


―芸術に少しでも関心がある者のあいだでは、シャセリオーの思い出、
私が大いに愛したあの高貴で素晴らしい芸術家の記憶に
対する私の忠実なる思いは あまりによく知られています―

 

上記は、フランス象徴主義の画家ギュスターヴ・モロー(1826-1898)の言葉です。

 

モローは、19世紀末の画家や文学者に多大な影響を与えた画家です。

しかし、デビュー当時には、「シャセリオーの模倣」と批判されることもあったとか。

 

それほど、シャセリオーの作品に影響を受けたモローは、崇敬する画家が37歳という若さでこの世を去ると、シャセリオーの「思い出」に捧げるオマージュを構想しました。

 

※2 ギュスターヴ・モロー《若者と死》1881-82年

パリ・オルセー美術館

 

《若者と死》と題されたモローの作品では、早逝したシャセリオーが月桂冠を掲げ、水仙を手に持ち、黄泉の国へ向かおうとする若者の姿として描かれています。

若者の背景には死の寓意が寄り添っています。

 

上の作品は、その油彩画を水彩画によって再制作したものです。

 

テオドール・シャセリオー(1819-1856)は、19世紀に活躍した早熟な天才画家でした。

 

当時のパリで最も注目を集めていたドミニク・アングル(1780-1867)のアトリエに入門したのは、なんと11歳。

 

若手芸術家の登竜門「ローマ賞」を受賞する画家を、次々と排出するアングルのアトリエにあって、年若いシャセリオーもまた師から将来を期待されていたそうです。

 

ある授業中にアングルは、最年少の弟子シャセリオーの前で足をとめ「見てみたまえ、この子はいずれ絵画のナポレオンになるだろう」と叫んだという逸話まで伝わっています。

 

パリの芸術アカデミーによる展覧会「サロン」にデビューしたのは16歳のことでした。

 

※3 テオドール・シャセリオー《放蕩息子の帰還》1836年

ラ・ロシェル美術館

 

上の写真、左側の作品《放蕩息子の帰還》は、デビューとなった1936年のサロンに送り、三等のメダルを得た作品のうちの一枚です。

 

放埓な生活の挙句、無一文になって帰った息子を、父親が咎めることなく受け入れる場面が描かれています。

聖書に登場する、このたとえ話を描いた背景には、シャセリオーが生まれ育った環境が関連しているのではないかとも考えられています。

 

1819年にテオドール・シャセリオーが生まれたのは、カリブ海のサン=ドマング島(イスパニョーラ島)でした。

「フランス国王の最も美しき植民地」とも呼ばれた地で、当時はスペインの植民地となっていました。今のドミニカ共和国です。

 

シャセリオー家は、フランスの港湾都市ラ・ロシェルの商人と船主の家系で、母は数世代にわたるサン=ドマング島の裕福な植民者でした。

 

生後2年で島を離れたシャセリオーでしたが、植民地生まれのフランス・スペイン人「クレオール」であることは、彼の作品や人生に少なからず影響を及ぼしているようです。

 

彼の父は、ナポレオンのエジプト遠征やサン=ドマング遠征で頭角をあらわし、サン=ドマングに住み着きました。波乱に満ちた生涯を生きた人物で、ある時はスペインからの圧政に対する自由と解放の戦いに身を置き、ある時はコロンビアに諜報部員として赴くなど、パリに住む家族と離れて暮らさざるを得ない日々が多かったようです。

 

どこか、若い頃のシャセリオーを思わせる顔立ちの若者と、息子を抱擁する父親の姿を描いた《放蕩息子の帰還》には、不在がちな父親に対する複雑な思いが込められているのかもしれません。

 

若くして画家となり、パリの芸術家やパトロンたちと交流したシャセリオー。

彼は、同時代の幾人かからは「不細工」だと断言されています。

しかし、誰もが認める優雅さをもち、洗練され、人一倍上品だったという証言もしばしば見られます。

 

美男ではなく、醜いという者すらいる一方で、女性を魅了する魅力を持っていたようで、恋愛生活は波乱に満ちていました。

 

※1 テオトドール・シャセリオー《自画像》1835年

ルーヴル美術館

Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF

 

こちらは、16歳頃に描かれた自画像です。

 

オリーヴ色がかった顔、厚い唇、少し強すぎる鼻といった、容姿の特徴を隠すことなく描きながら、左手を貴族のように上着の中に隠して佇む姿は、やはり品が良く魅力的ではないでしょうか。

 

簡潔な背景の片隅に描かれたパレットが、若い芸術家の職業を現しています。

 

フランス革命後、パリを席巻したのは「新古典主義」と呼ばれる芸術でした。

古代ギリシャやラファエロを中心としたルネサンス時代を理想とした芸術が流行する一方、個人の感情などを重視する叙情的で感情的な「ロマン主義」も台頭してきます。

 

一方で、ナポレオンの遠征や植民地政策により東方世界が近づいたことで、パリではスペインやトルコ、アルジェリアなど、異国情緒への憧れも流行するようになります。

 

クレオール生まれのアングルの弟子は、この後、新たな芸術の表現や、東方世界の風に触れ、師との決別を経ながら、「ロマン主義」の巨匠として独自の美を生み出していくのです。

 

続きはまた来週、シャセリオーについてお届けします。

 

参考:「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」カタログ

 


 

※1 テオドール・シャセリオー《自画像》1835年

ルーヴル美術館

Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF

 

※2 ギュスターヴ・モロー《若者と死》1881-82年

パリ・オルセー美術館

 

※3 テオドール・シャセリオー《放蕩息子の帰還》1836年

ラ・ロシェル美術館

 

 

<展覧会情報>

「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」

2017年2月28日(火)~2017年5月28日(日)

会場:国立西洋美術館 (東京・上野)

開館時間:午前9時30分~午後5時30分

毎週金曜日:午前9時30分~午後8時

※入館は閉館の30分前まで

休館日:月曜日(ただし、3月20日、3月27日、5月1日は開館)、3月21日(火)

※ただし、3月20日(月・祝)、27日(月)は開室

展覧会サイト:http://www.tbs.co.jp/chasseriau-ten/

 



この記事について

 

 

 

 
 

チケットプレゼント

今月ブログでご紹介している東京都美術館 (東京・上野)で開催されている「ティツィアーノとヴェネツィア派展」のチケットを、ご応募いただいた方の中から抽選で510名様にプレゼントします!

お申し込みはECサイト【文化家】から会員へご登録の上、お問い合わせページから下記をご記入してご応募ください。
(※会員登録のない方のご応募は無効とさせていただきますので、ご注意ください。)
(※会員登録だけでは申し込みとなりません。必ず問い合わせフォームより下記内容をお送りください。)
(※会員登録者様1名につき、1回のみの受付になります。重複で応募された場合、応募を無効とさせていただくことがあります。ご注意ください。)



記載内容
1、「文化家ブログ ティツィアーノ展チケットプレゼント」応募
2、文化家ブログ「轍」の感想(特に良かった記事、今後取り上げてほしい内容、著者たちへのメッセージなど)


締切:2017年3月7日(火)23:59着のメールまで有効。
※当選者の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。
※応募の際にお預かりした個人情報は、プレゼント当選者への賞品発送、関連するアフターサービス、新商品などに関するお知らせのために利用させていただきます。

ぜひ美術館で実際の絵画に触れてくださいね。

「ティツィアーノ展」
公式ページ:http://titian2017.jp/

お申し込みはこちらから!

BunkayaBanner

 


この記事について