天使のエッセイ -7ページ目

25年ぶりの再会!

現状と病状


なんかまた久し振りのブログになってしまいましたが、

体調が超不調のせいか、ちょっとうつ気味なので、
時々いろいろ書いてはいたのですが、アップせずにいました。(笑)



病気などの現状はというと、

絶不調には変わりないのですが、
日々どんどん悪くなるという状態からは解放されました。


なぜかというと、

なんと!隣人が
ベジタブルオイルを使用してのクッキングをやめてくれたのです!クラッカー



それについてはどうしても自分の口からは頼みにくいことで、
ずっと病気になっていることも伏せて我慢してきたのですが、

なんと、義父が道端で会った隣人に

わたしがクッキングの排煙が原因で
病気になっていることを言ったらしいのです!


そうしたら、理解してくれてすぐにやめてくれたのです。


実は彼女の友達の中にも
それが原因で彼女の家に遊びに来ることができない人もいるのだそうで、

彼女はすぐに理解してくれたみたいです。



わたしの病気はすでにかなり悪くなっていたので、
それでもなかなか回復というところまではたどり着けませんが、

とりあえずあれ以上悪くなることはなくなり、

ベジタブルオイルのすさまじい排煙が
ひっきりなしに流れてくることもなくなったので、

一日中ほぼ絶え間なかった、
喉から血が出るほどのすさまじい咳からも解放されて、

隅の部屋に逃げてラウンジャーで眠る必要がなくなり、
ベッドルームで眠ることができるようになりました。


あとはGERDがもう少しマシになってくれれば、
快適とはいえなくても、まあ普通に暮らせるようになるはず。


どちらにしてもやっぱり引越しはした方がよさそうですけどね。



この体験を通して思ったこと、

「やっぱりなんでも話してみるものだ」

・・・・・・ということかな。


なぜ言えなかったかというと、

「理解してもらえないだろう」

「相手が気を悪くするだろう」

・・・・・そう最初から決めてかかっていたから。


自分が黙ってここから出て行くのが一番だと信じていたけれど、

実はそっちのほうが相手に対して思いやりのない行為だったのかも。



ベジタブルオイルの排煙が原因で病気になるということは
友達などからはなかなか理解してもらえなくて、

結構不愉快な思いや悲しい思いもたくさんしたけれど、

自分自身もレストランで働いていたときに

そのレストランのクッキングの排煙で病気になると感じて
仕事を変わったことがあるという友達はわかってくれました。


健康のエクスパートでもあるその彼女はこう言いました。

「大きい視点で見ればきっと
敏感な身体にトクシックな(毒性のある)環境から脱出するように仕向けてもらって、
‘ありがとう’だよね。
麻痺して蓄積してたら後々もっと大きくなって出てきそう。」

本当にその通りだと思うのです!


特殊な食品などのアレルギーとは違って、
わたしの体は明らかに毒素に反応していて、
毒素で満たされた体が解毒を必要としている状態だと思うのです。


そしてわたしをここまで病気にする毒素が
その他の人体にまったく害を及ぼさないはずはないのです!


わたしの体と同じように
このビル内の人たちの体は毒素を日々溜め込んでいて、
ただそれに反応しないから害がないと思っているだけ。

身体が反応しないからといって毒素を溜め込み続ければ
いつか命取りの状態にもなりかねないと思います。


実際、このビルの人たちもみんなよく咳をしている。



実際にベジタブルオイルの排煙で人が病気になるケースというのは
かなり多くの実例があり、

あるアパートメントビルディングでは

ひっきりなしに料理をする家族が
そのビル中の人たちのほとんど全員を病気にしてしまったケースもあるのだとか!


そこに住んでいたほとんどの人たちは引っ越して行き、

そのひっきりなしに料理をする家族が出て行った後は

しみついた匂いを取るために4度特殊なペンキで壁を塗り、

床などもすべてはがしてはりかえなくてはならないほどの
壮絶なレノベーションが必要だったとか!


ベジタブルオイル(キャノラオイルやコーンオイルなども含めて)に
火をかけることが非常に危険だということは
私自身はもう20年も前から知っていて、使用もやめてたけど

まさかここまで体をダメにするとは!


けれどもわたしの友達の言うとおりで、

このできごとで自分がもっと
健康に意識を入れさせてもらったことはよかったかも。

安価で変なプロセスをされている
ベジタブルオイル、キャノラオイル、コーンオイルなど、

絶対に使うものか!



本当にもう病気はうんざり!


引っ越してきたから15ヶ月間、ほとんどずっと病気!


夏の間2ヶ月くらいだけわりと調子よかったので
今度のダンスのショーは健康な状態で出られるかと思ったけど、

ショーまであと3週間切ってるから
それもちょっと無理なのかなあ・・・・・・しょぼん


ここまで調子悪いとほとんど何もできないし、

こんなに長いこと調子悪くて出口も見えないと
やっぱりどうしてもうつっぽくなるしね。


ただ単に普通に健康であることのありがたさを身にしみて感じます。


旅行にも外食にも行かなくていいし、

有名にも金持ちにもならなくてもいいから、

健康を取り戻したいです。




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愛してしまった人

本当の優しさ


先日、ダンスのリハーサルの後、
買い物してスーパーマーケットから出てくると、
ホームレスの人が小銭をくれないかと言っていた。


そのまま通り過ぎようとしたのだけど、
そういえば1ドル札があったなあと思って、バッグの中を探し、
彼のところまで戻ってあげたら、
彼はありがとうと微笑んだ。


お金を受け取った手は汚れていて、
ああ、寒くなってきたし大変だろうなあと思った。


たった1ドルでもあげてよかった。

それでドーナツひとつでも買えるだろう。



そしていつの間にか自分が

「人には優しくしなくちゃ!」とか思わずに
優しくできるようになっていることをちょっと嬉しく思った。


以前から自分はホームレスの人たちによくお金をあげていたけど、
いつもなんかちょっとすっきりしなかったんだ。


それは自分の内側のどこかに
お金をあげたくない自分がいることを感じていたからだと思う。


本当はお金をあげたくないんだけど
自分が優しい人だと思いたいばかりにお金をあげているような・・・


もちろんそれでも
まったく無関心であるよりはいいと思うんだよ。


でもなんか
本当は優しくない自分にがっかりしちゃっていたんだろうね。



そもそも本当に優しい人は

「人に優しくしましょう」なんて思う必要もないよね。


優しさは自分の内側から
それが必要な時に自動的にあふれ出してくるから。


優しくない人ほど「人に優しくすること」にこだわるのかもしれない。


そしてそれでも
「優しい人間でありたい」と思っているだけマシなのかな?



人間はみんな人の優しさに感動し、

優しさこそ人の美しさでもあるのだと感じるのだけど、

けれども優しい人間になることって本当に難しい!


特に痛みを知らない人間にはできることではない。


だから痛みを伴う人生経験って大切なんだよね。

それは人間を優しく、美しくするものだから。


痛みを感じるためのネガティブ・マインドだって大切なんだよ!


いつもいつも

「わたしはついてる!」
「わたしの人生は最高!」
「わたしは素敵!」

・・・・・・ってポジティブなだけだったら

人は優しくなんかなれないんだよ。


ダメな自分とか、つらいこととか、不幸とか、
イケテない自分、惨めな自分、いい人じゃない自分・・・・・

そういうものも体験して人は初めて優しくなれるんだよ!


だから人生体験にはすべて感謝しないといけないね。


もちろん痛みの泥沼から這い上がれない状態だと
人に優しくするどころではないから

苦境から脱していく強さとかも必要になるけどね。



時間はかなりかかったけど
なんか最近は自分自身が信頼できるようになったというのか。


もう「いい人」とか「優しい人」であることに
こだわらなくてもいいなあと思えてきて、

そしてそうなれたら楽になっただけじゃなく、

人からも愛されるようになったように感じるの。


今は生まれて初めて
自分が人や世界とコネクトしている感覚を持てるようになった。


「それはきっとわたしが本当の優しい人になったから?」


・・・・・・そんなふうに思いながらちょっとにやけている今宵 お月様




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自分探しはやめられない!


世の中のスピ系と名乗る人たちの間では


「自分探しの旅に出よう!」とか

逆に、

「自分探しはもうやめよう!」とか

いろんなことがいわれるのだけど、


人生そのものが「自分探しの旅」なのだよなあとわたしは感じる。


これは出かけようと思って出かけるものではないし、

やめようと思ってやめられるものでもない。


人間がこの世に生まれ出ると同時に始まり、

一生を終えて体を脱ぎ捨てると同時に終わる。



「自分探し」のための旅なのだけど、

実は自分を見つけることが目的なのではない。


なぜなら自分は生きている間中ずっと変化し続けていくから、

「これが自分だ!」というマキシマムに到達したとしても、
一年後には必ずもうそれとは違う状態になっているはずなので、

到達点に執着しても仕方がないのだ!


要はその時その時の自分のベストを探し、
それを追求しながら成長していくということだけ。


「成長」という言葉すらも微妙に違って、

「経験」していくという感じかもしれない。



選ぶことも、物事に対する感じ方、考え方も
人それぞれでよいのだけれど、

すべてに共通した目的は、


それぞれがそれぞれに自分を探し、自分を生き、
経験していくことによって、

自分の内側の愛をどんどん大きくしていくということ!


どんな経験をしていても、真剣に生きていけば

その経験値と真剣みに伴って
自然と自分の愛する力はどんどん大きくなっていくものキラキラ


「自分の愛を大きくするんだー!」とか思うことで
愛を大きくできるものではない。


ただ黙々と自分を生きることによって愛は大きくできるんだよ!



けれどもそのためには
真剣に自分探しをする・・・・・っていうか、

自分自身の魂が
一番喜ぶ生き方を探していくことが大切なんだと思う。


そんなに大それたカッコよさそうなことじゃなくていい。


たとえば
家族がもっと日々を楽しめるようにもっとお金を稼ぎたいとかでもいいし、

自分が大好きだったけどやめてたことを趣味で始めようとか、

体を引き締めるためにジムへ通おうとか、

そういう小さなことのコンビネーションでいいんだよ。


小さなことでもやり始めると意外と大変なものだけど、

そういう努力をすることで人間は少しずつ変化するし、

心も育っていくのだよ。



わたし自身もそうやって自分探しをしながら今も変化中だけど、

「自分探し」をやめなかったおかげで
最近すべてがはまったというか、

自分の生き方が具体的にはっきりと見えてきたんだ!


まだ理想の状態までは遠いけど、
それでも確実に近づいているし、

それがはっきり見えたということ自体が
その状態に急激に近づく兆候だと思っているよグッド!合格



とにかく、「自分を幸せにすること」が一番大切!


それができれば自然と

他者に対する愛や思いやりももてるようになる!


「人に優しくしましょう」って思いながら優しくするのではなくて、

自分の内側から自然に出てくる優しさが大切なんだよ!



「自分を幸せにする」って意外と難しいよ。


けれどもそれに取り組んでいくんだよ!


人に幸せにしてもらうんじゃなくて、

自分自身で自分を幸せにするの!


それこそが「自分探しの旅」なのだと思うよ。



わたし自身、まだまだその途中というか、
感覚的にはまだやっと真ん中辺なのだけど、

具体的に(やっと!)見つかった
自分の生き方のイメージに近づいていく努力を重ねながら

日々を充実させ、楽しく生きていきたいと思っています。ドキドキ




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病気は体からのメッセージ


 重度のアレルギーがわたしの病気(重度のGERD)を再発させた。

 
 なんとか半年前と同じ方法で病気の症状をリバースさせたいと思い、
彼にカーボンフィルターをドアの隙間にアプライしなおしてもらったのだけど、
それが効かずにさらに症状が悪化!ダウン
 

 2度目のカーボンフィルターのアプライで、
ドアが開きづらくなる位にがっちりとドアの隙間を埋めると、
 
 その直後からすぐに咳が大幅に減り、
今は症状の緩和に希望を感じてきた。合格
 

 ・・・・・とはいえ、すでに病状はかなり悪くなっているので、
楽になるまでにはまだまだ時間がかかるだろうと覚悟している。
 

 このアパートメントで暮らす限り、
完璧に治すのは無理だろうと思うけど、
 
せめて夏くらいの状態にまで戻れば
 
ヨガもできるし、ほぼ普通に生活できるので
わたしとしてはとてもハッピー合格
 

 せっかくあんなに調子よくなっていたのにと思うと、
本当に大きなフラストレーションを感じる。
 

 病気がだいぶよくなったから、
これからはガンガン進もうと思っていたのに、
 またまた大幅にスローダウンしなくてはならなくなった。しょぼん
 

 
 けれどもふと思ったんだよね。


 「病気は体からのメッセージ」

 
 健康で元気な時は体に無理をしたり、
好きなものを好きなように食べても平気だから、
 
 自分の食べ方、運動のし方、眠り方などが
自分の体にとってベストであるかどうかがわからない。
 

 けれども体調が落ちると

 たとえば  

 「その食事は消化器官に負担をかけすぎる」とか、

 「その運動は自分の怪我に負担をかける」とか、

 「その睡眠方法では身体が休まりにくい」とか、


 ・・・・・そういうことを身体がとってもはっきりと教えてくれるの!

 
 今のわたし自身、たとえば

 自分の好きなスパイシーな食べ物、高脂肪の食べ物、
チョコレート、チップス、果物などが食べられないことを嘆いているけれど、
 
 多分そういうものは自分の消化器官に
普段から負担をかけているのかもしれない。
 

 夜遅く食べること、
一度にがっつりと多量に食べることなども大好きなのだけど、
 
 今の病状ではそれもできない。

 
 ・・・・・でも多分、そういう食べ方もわたしの体には負担をかけるので
しないほうがいいのかもしれない。
 

 その食事のスケジュールがわたしの睡眠のスケジュールも変え、
夜型から、まあそんなに早くはない朝方に変わった。
 

 運動は今また頭を下げたり、横になったりできなくなったので
ヨガができず、ダンスだけなのだけど、

 咳のし過ぎで肋骨の怪我に響いて痛みが出ていることから
無理なストレッチもできなくなった。
 

 でも、よく考えてみると、すべては身体が

 「こう扱って欲しい!」と教えてくれているように思えるの!
 

 
 もちろんまた元気になると
そういうメッセージのことは忘れてしまいやすいのだけど、
 
 できるだけ覚えておいて、
自分の体をリスペクトすることはとても大切だよね。グッド!
 

 
 忘れるから病気も再発するんだ!

 もう一度わかりやすくメッセージを送るためにね。 

 

 もうひとつ、わたしの体からはっきり聞こえてくるメッセージ

 
「そのアパートメントを出よ!」
 

 それは大変なミッションなんだけど、
 
やっぱりいずれは実現せねば!

 (ここのランドロード一家、みんな大好きなのでとても残念だけど)
   

 
 前もそのメッセージを強く聴いたから

 家探しを始め、そこから
ニューヨーク州のリアルエステート・ブローカーになる考えが浮かび、
 
勉強を始めたけれど、

 病状が緩和したことで、勉強は続けていても
真剣みがドンと落ちたのよ!
 
 家もほとんどチェックしなくなっていた。
   

 「もっと真剣にやって!」

 「自分の人生をよりよくしていくことに真剣になって!」
 

 ・・・・・そういわれているような気がする。

 

 「自分の人生をよりよくする」と言葉では簡単にいえても、

 実際にはそれはとても大変な仕事!

 
 細やかなケアや、努力や、考察力、向上心、忍耐力、愛が要る!

 
 けれどもほかには二人といない大切な「自分」という人間のために
 そのくらいのことはしてあげたいよね。

 
 それができずには他者を大切にすることなど到底無理!



 病気からのメッセージをしっかりと受け取って、

 自分の人生のプラスに役立てていこう!キラキラ




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夢がまたひとつ増えて


FBでわたしが入っているあるアーティスト・コミュニティーで、


「自分の持っている障害などに

アートを役立たせている人はいるか?」


・・・・・というような質問がされていた。


それに対して、

自分は自閉症だけど、アートをとても楽しんでいるとか、

自分は車椅子だけど、アートを思い切りやっているとか、

様々なコメントがつけられていて、

そうか、アートってすごいなあと改めて思った。



そしてその質問に対して自分自身はどうなのかと考えてみた。



実はわたしは数年前、自分は重病にかかっていて、
間もなく死ぬだろうと真剣に思っていた。


そしてそんな状況の中で、
自分が生き切れていない感覚に悩まされた。


「いったい自分は

自分の人生の中で何をやってきたんだろう?」


自分が無駄に生まれてきて、
この世で何も成し遂げず、
ここに何も残さずに死んでいき、
自分の人生を無駄にしたとは思いたくなかった。


少しでもこの世界に何かを残したいと思った。


数年前はすべてを失ってしまった状況の中だったので、

その方法を考えること自体が易しくはなかった。


そしてその時に思いついたのがアートだった。


アートならその時の自分の状況の中でもできたから。

そしてそういうものはアート以外には何もなかったから。


それで自分に残された時間は
アートで自己表現しようと思いついたのだった。



今振り返ってみると、特にそれから1年半くらいかしら?

NYCへ引っ越してくるまでの間は特に
ものすごい時間をアートに使った。


とても時間のかかる大きなコンテンポラリー曼荼羅から始まって、

プアリング・アート、

猫などのリアリスティック・ドローイング、

ドット・アート、

特にいくつかのアートフォームに入れ込んできた。



NYCに戻ってきて、ダンスが自分の人生に戻ってきてからは
アートにかける時間はだいぶ減ったし、

半年くらい前に
どうやら自分はそうすぐには死なないらしいとわかってからは

「何かを残す」情熱も鎮火したのだけど、

それでもアートをやめることができなくなった。


今は特に大きなキャンバスの上に
カラフルな抽象画を描くのがとても好きで、

特に気持ちが悶々とした時などは
それが最高の瞑想になる!合格


・・・・・・などと書いていると

自分自身も自分のOCD脳を鎮めるのに
アートを役立てているわけだから、

自分の障害にアートを役立てているのだとも気づく。



そのアートで自己表現したものを
人に見てもらいたいなあと最近ちょっと思うようになった。


それまでは

わたしはアートをやってきた時間も短いし、
自分の人生をアートに捧げているわけではないし、
どちらかというとアートよりダンスの方が好きだし(笑)

そんなわたしが個展とかするべきじゃないと思っていたんだけど、

まるで自分のアトリエのようになっている
この家のメインベッドルームを見ていると、

なんか外に出してあげた方がいいような気がしてくるの。


特に最近はひとつ、
わたしはアートを通してすごくユニークなアイデアがあって、

それをテーマとした個展を
NYCでできないものかと考えるようになってきた。


誰かにアイデアを盗まれたら嫌だから、
詳しくはここには書かないけど、

ヒントは「丸」!(笑)


まあ、もともとアーティスト畑のことは何一つ知らないわたし

NYCには親しい友達も少ないし、
サポートしてくれそうな人だとか、誰一人と思いつかないのだけど、

そんなゼロからでも夢の実現が可能になるかしら?


この思いもゆっくりと温めていこうと思っています。



夢がまたひとつ増えちゃったドキドキ



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ガーン!病気再発!


またしばらくブログの更新をしないでいましたが、

実は重度のアレルギーと
そこから併発する病気(GERD)が再発してしまい、

心身ともにちょっとしんどい状態でいました。むかっ


原因は秋になって下の家族のクッキングが多くなったことと、

ドアの隙間をふさいでいたカーボンフィルターが古くなって
再び下の空気が
わたしたちのアパートメントに侵入するようになったことと思われます。


新しいカーボンフィルターが届くのに1週間くらいかかって、

その間に
転がり落ちるように急激に病気の症状が悪化してしまいました。しょぼん


まだ食欲は少しあるのですが

GERDがひどいと食べると多量の胃酸が上がってきて
とにかく食事が不快でしんどくなるし、

わたしの症状は食後数時間までではなく、一日24時間なので、

夜も背もたれを立てたラウンジャーの上で寝ても、
上がってくる胃酸とそれによるひどい咳で
何度も何度も目を覚ましてしまうので、

かなりつらいのです!


もちろん、四六時中胃酸を吐き続けている状態では
人と会ったり、外出したりする気にはなれないので、

自分のやること(基本的に仕事関係とダンスだけ)をしに外へ出るだけ。


けれども昨日ついにカーボンフィルターが届いて、
うちの彼がさっそく貼りなおしてくれたので、

あとはしばらくの間、食事に気をつけていけば
また症状は治まってくるだろうと思うのでどうぞご心配なく。



病気で体の調子が悪くなると、
どうしても気持ちも落ち込み、マインドはネガティブになってしまい、

ネット遊びをする気もせず、
なんだかブルーな毎日を過ごしていました。


もともとこの季節はただでさえ、「躁→鬱」に移り変わる季節なので、
精神は不安定になりやすいのに、
病気がそれに拍車をかけてる感じしょぼん


ちょっと前まではあんなに元気一杯で、

毎日楽しいことだらけで、

いろんな希望を感じられたのに、


それがすっかり180度逆転してしまったかんじ。ダウン



けれども、少し冷静な目で自分を見ると、
実は本当に人生が転がり落ちているわけではなくて、

自分の脳が
その転がり落ちた世界を創って見せているだけだと気づくのです。


だからドーンとドラマティックなことをして
興奮してハイパーになることで自分を持ち上げようとするのではなくて、

「落ち着こう!」って思います。


やっぱり目指すところはポジティブではなくて

「ニュートラル!」グッド!キラキラ


静かに落ち着いて、集中して自分のやっていることにいそしむ!


幸せはもうすでに自分の手の中にあるのだから!



こういう時って自分がやっていることすら疑いたくなってくるものだけど、

つべこべ言わず、
ただ自分のやってることを一生懸命にやるんだよ!


そう自分に言い聞かせています。



今わたしは好きなことも、やりたいことも、
目指す目標も持つ状態の中にいるわけで、

それって、それだけでとってもラッキー!


それなのに、マインドがネガティブになることで


「こんなことやってたって、結局ダメに違いない。」

「なんでそんなことのために時間を無駄にしてるんだ!」


・・・・・とか思いたがっているわけだけど、

その思考につぶされた時が人生の終わる時!



そんな感じで今、自分のやっていること一つ一つに集中して
じっくりと取り組んでいきたいなあと思っています。


夢ばかりふくらませて有頂天になって突っ走るのではなく、

ちょっと職人的にコツコツと(笑)


今は体調の悪さと、自分のネガティブ・マインドとの
静かな戦いの時ってかんじですが、

このネガティブ・マインドと病気との戦いに勝って、
日々を平和に楽しめる自分に成長していこうと思います。グッド!キラキラ




☆今日の天使からのメッセージ


「ごちゃごちゃ考えず、つべこべいわず

ただ自分がやってることをやれ!」




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叔父の他界と霊現象


ここのところ、なんか気分が落ち込むなあと思っていたら、

昨日叔父の他界の知らせを受けた。

 
不思議なんだけど、わたしはこういった時に
知らせを受けなくとも、

まるで悲しいことがどこかで起こったことをすでに知っているかのように、
ほかに理由もなくどーんと落ち込んで悲しくなったりする。



そして昨日はその後、

3年前に天国へ行った、
未だにトラウマを乗り越えられない愛猫のテトのアルバム(FB)を

誰かが見てコメントしたことによって、

FBのタイムラインにテトの写真が出てきた。



またその少し後で有名バレリーナのアリシア・アロンソの訃報。


それによって、もう10年位前に亡くなった 
以前ちょっと縁のあったエヴァ・エフドキモワのことを思い出したり、
 
(この二人は1984年に世界のプリマバレリーナから選ばれた4人として
グラン・パ・ド・カトルを踊っている。世界トップレベルのダンサーたち!)
 

あっちの世界へ行った人たちのオンパレードのようになって、
なんだかすっかり感情的に疲れ切ってしまった。


それで、夕方からあったダンスのクラスにも
なんか行く気がしなくなっていたのだけど、

これ、行かなかったらもっとドツボにはまるなあと思ったので、
重い腰を上げてスタジオへ向かった。


でも、ちょっとつつかれただけで涙が出るような状態。しょぼん

今日のクラスの中では泣くかもなあ・・・・・・と、思った。



ところが想像していたのとはまったく違って、
ラテン・ミュージックを聴いただけで元気になり、

思い切り楽しく踊れたので、
レッスンにきてよかったと思った。


しかもその日は突然、その日やったコンビネーションのデモを踊らされた!

 
スタジオではクラスの最後にその日やったコンビネーションを先生たちが踊り、
それをみんなが見たり、ビデオに撮ったりするのだけど、
 
その日は先生に指名されて先生と一緒にわたしが踊ったのだった。

 
次のクラスを受ける人たちも含めて40人くらいの人たちが見る中で
先生との突然のデモンストレーション!


それがものすごくうまくいって、

人々の歓声!クラッカー  


このスタジオはプロも多いし、

ダンスのクラスではバレエのクラスなどとは違って、
基本的にクラスの間中、全員常に踊りっぱなしなので、

ほかの人たちがどんな踊りをするのかには
気づけないことが多いのだけど、  

そのデモで、わたしが
踊れるダンサーだということが明らかになったのだった。



この体験、すっかり気落ちしていた今のわたしには必要だった。合格


有名バレリーナだったエヴァが自分の中に出てくる時、

「とにかく踊りなさい!」というメッセージがいつも届くのだけど、
 
その日もそのメッセージを聞いて、
重い腰を上げて踊りにいけたことに救われた。



 
その日は一日悲しみでいっぱいだったのに
その夜はすっとスムーズに眠りにつけて、

けれども翌早朝、小さな霊現象。


消えているテレビの画面に突然白い放射線が表れ、
それはしばらくの時間をかけてゆっくりと徐々に消えていった。 


前夜もそのテレビのスクリーンに映していた
コンピューターの画面のカーソルが

マウスをいじっていないのに  
勝手に震えるように細かく動いていたのだけど、

その画面に映る白い放射線を見て、
あれもやっぱり霊現象だったのかなと思った。
 
(霊は操作しやすい電気製品などを使って
自分の存在を伝えてくることが多いみたい)



叔父だと思った。


そして叔父を思うことで、
7年前に天国へ行った叔母のことなども思い出した。


叔母の時はわたしは日本にいて、

しばらくの間、
毎晩かなり壮絶な霊現象で大変だったことも思い出した。



わたしは最近、日本の家族のことで悩んでいたので、  
今回はそれで叔父がきてくれたみたい。


叔父のお葬式に行けない罪悪感などもあったし。 


叔父の存在を感じ、叔父と話しながら、

叔母や祖父母などの存在も感じ、
なんだか愛に包まれるような気分で、

消えている画面に映る白い放射線が
ゆっくりと消えていくのをぼんやりと見ていた。
 


「日本の家族をしっかり守りなさい!」

 ・・・・・・っていわれるかと思ったけれど、

 
 実際にわたしに届いたメッセージは


「なによりも自分自身の人生を大切にして、

思い切り生きなさい!」


・・・・・っていうことだった。


わたしは最近特に
自分が遠くにいることにも罪悪感を感じていたので

なんだかホッとした。  


もちろん、自分の日本の家族にも
自分ができる限りのことをしたいと思うけど、

そのために自分自身の人生を
犠牲にする必要はないということ。  



幼い頃から母のストレスのはけ口にされたり、
特殊なコンディションのある弟の問題のとばっちりを受けたり、
自分の親と同じような大人のように振舞うことを強要されたり、

わたしには親に甘えたり、
自分が子供として生きた記憶というものが全くなく、

自分は自分の家族の大きな犠牲者であるという感覚があった。


それに対して恨みのような気持ちを感じていると同時に、
 
それは自分の役割だから、

今は遠くにいてそれができない自分に対して
罪悪感を感じていたのだけど、

そういう感情はすべて不要だと先祖たちから教わった。



大切なのは自分を生きること、

そして家族に対するピュアな愛


 ・・・・・・それだけなのだと。



おかげで今日はとてもすっきりした気分。

天気も昨日までのグレーな空が今日は晴天に変わった。虹




あのダンスのデモンストレーションの感覚が

私自身がリラックスして力を抜いた状態で
自分の力を発揮できるようになってきているということを

示してくれたような気がする。


あの感覚で生きていけたら、
きっとこれから素敵なことがたくさん起こることだろう!キラキラ



先祖の存在があるからこそのわたしの存在

そのわたしがどう生きるかは、
きっと彼らの存在の意味も左右することだろう。



自分自身を、自分の人生を、

大切に、思い切り生きていきたいラブラブ


人生はまだまだこれから!グッド!合格


 
(2019年10月18日)




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心が折れた時


 今年は夏がとても長かった気がするけれど、
さすがに10月半ばにもなるとジャケットが欠かせなくなる。もみじ

 
 サンダル履きが好きなわたしは
毎年、ジャケットの季節になってもサンダルを履き続けるのだけど、
 
 昨日ついに秋、冬用に買ったブーツをおろして、
久し振りに靴下を履いた。
 

 この季節は気分的にもダウンしやすい。

 寒くなっていくことで、
セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質の分泌が減るのは
 
ある意味自然な現象だけど、
 
 バイポーラ(躁鬱)持ちの人たちにはちょっときついよね。しょぼん


 私自身もセロトニンやドーパミンの減少を
明らかに感じている真っ最中なのだけど、
 
 そんな時にガクッとくるような心の折れることが起こったりすると、
 普段以上に打撃を受けてしまう。しょぼん

 

 実は最近、わたしにもそんなことがあった。

 
 詳しくは書かないけど、
自分に来ると思っていたポジションが、
 
 人に取り入ることがうまい人に
するっと持っていかれてしまったというかんじ。

 
 この出来事で、ただがっかりしたとか悔しいというだけでなく、  

 「自分はダメな人間だ!」
「自分は誰からも愛されない!選んでもらえない!」
 
 ・・・・・・という、
わたしが自分自身に対して感じ続けている信念に戻ってきてしまって、
 
 それはもう、悲しくて、苦しくてたまらなくなっていた。

 

 けれどもそんな時に自分のやっていることを投げ出せば
より自分を陥れ、不幸にするだけ。
 

 自分がやっていることは自分が大好きなことなのだから、

 そのポジションは自分のものにならなかったとしても、
楽しみ続けるべき。
 

 また、悔しさにムキになって相手と戦おうとしても

 結局自分自身が余計なエネルギーを使って疲れるだけ。

 
 だからこの流れを受け入れて、
それに関しては自分の「負け」を認め、
 
 けれども自分はすべてで負けたわけではないのだから、

 そのポジションはなくとも、自分の手の中にあるものを楽しみ、
思い切りそれと向き合おうと思っている。合格
 

 ・・・・・・とはいえ、やっぱりどうしてもそこにいれば
嫌な気持ちは甦ってきてしまうのだけどね。しょぼん
 

 
 けれどもそんな時に気分をリセットするのに

 一番いい方法をわたしは知ってる!

 
 それは、

 その欲しかったポジションを手に入れることよりももっと
ワクワク興奮することを考えること!
 

 今のわたしのような状態の中にいる時は

 どうしてもその「負けた!」という一部の部分にだけしか
ピンポイントの当たらない状態になっていると思うから、
 
 もっと大きな目を持って、自分の「今」を見つめてみる。  

 
 そうすると、そのピンポイントの当たっている部分以外のところに
とってもワクワクすることがあるのに気づいたりすると思うの!
 

 たとえそれが大きすぎる夢であったとしてもいいと思うのよ。

 

 たとえばそうして私自身の中に浮かび上がってきたものは、

 アートやダンスに関することで事を起こしながら、
アートやダンスのそばで生きる自分自身の姿!キラキラ
 

 それはわたしにとって、

 自分が手にし損ねたポジションと比べても  
100倍もワクワクするビジョンだった。キラキラ
 

 もちろん、それが実際に起こるかどうかなんてわからないし、

 それは問題ではないの。

 
 そうやって自分自身の別の側面や可能性に気づくことで

 自分の気持ちをリセットすることが大切なの!  

 
 なぜなら

 
ニュートラル・マインドでいる時、
 
 人間は自分自身の持つ一番大きな力を出せるから
   

 ポジティブでもネガティブでもなく、
 力が抜けて、一番自然でいられる「ニュートラル」ね。キラキラ

 

 人生の中では嬉しいことも、嬉しくないことも、
いっぱいいっぱい起こるけど、
 

 そういう経験、その経験から感じる様々な感情を
思い切り味わった後で、
 
できるだけスムーズにレットゴーしていくことって大切ね。
(嬉しいことにもいつまでも執着せずパッと流すのがいいと思うグッド!
 

 
 たとえば苦しかった体験を
別に学びに変えようとしたりはしなくてもいい。
 
(・・・・・そんなことしなくても、自然と学ぶから)
 

 大切なのは自分に起こった感情などに執着せずに、
スムーズに流れていけるようになることなんだね。グッド!
 

 
 わたしも負けてしまったポジションのことで
いつまでもくよくよしたりせず、
 
 それよりももっと大きくて素敵な  
自分自身の可能性のほうに目を向けながら、
 
 小さなことにこだわらず、肩の力を抜いて、
 軽快に楽しく、そして大きく生きていきたいと思うよ。合格



 それにね、もしも何も手に入らなかったとしても、
 もう今、すでに十分な幸せをわたしは持っているの。ラブラブ


それを思い出して、静かな気持ちに戻りながら、
淡々と生きていけるようになりたい。


そんな生き方ができてこそ、
実は自分の一番大きな力を発揮できるのだからね。キラキラ




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