(超個人的な)最近のこと | 【心声(ココヘ)プロジェクト】

【心声(ココヘ)プロジェクト】

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今日の「正義」が明日の「悪事」。明日の「悪意」が未来の「正論」。
今を生きる人が為すべきこと。「今」を「未来」に繋ぐこと。

2014年は年始めから参っておりまして。
DMとかいろいろとありがとうございました。

ブログで鬱々しい言葉を垂れ流す「鬱ッター」の理由とか
全部書こうかと思ったこともあったのですけれども
書いても仕方ねーなと思いましたので
(というか書く気分にもなれず)
今までさんざん避けておりました。

そして気がつくと3月10日という。
この時期になると
なんだか町の方々と普通に話が出来ないような。
いや、勝手に気にしてるというか、
勝手に気にした気になっているというか。
とにかく部外者なのですがおとなしくしようと思うのです。

宮城に来て、4月で丸3年になります。
ボラで亘理に入って山元にやってきて
まだ一度も「慰霊祭」というものに参加したことがありません。

なんだかその場にいてはいけないような気がして。
誘われても断ったりして、
車中泊時代もその日は誰も来ないような場所で
ひっそりと時間を過ごしておりました。

慰霊祭という神聖な祈りの場に於いて
自分がどのような面持ちでそこに居れば良いのかわからないのです。
想像できないので、私はその日を避けてその時間を避けてきました。


「俺も行ったことない。仕事だし。
「それぞれがそれぞれの場所で祈ればいいよ」
そう言ったのは
身内を亡くされた、前の職場のお兄さんでした。

その言葉を聞いて
なんだか気持ちが落ち着いたときがありました。

3月11日はとても哀しい日で、
私にとっては大きな恐怖の日だった。
今日もそういう番組が流れているけど
「何で経験もしてないおまえが」
って言われても仕方ないのだけど心臓が痛くなる。
何とも言い様のない大切な日なのだという想いがある。

去年もそう。今年もそう。
実際に経験した町の方々は
もっともっと大きな悲しみを抱えて
その日を迎えるんだと思う。

震災から1年、
2年、3年。
町の景色も海の景色も変わっていく。

「今までの、知ってる港じゃなくなった」
復興を経て変わりゆく港の景色を、そう言った方が居た。
「小さい頃から見てきた海じゃなくなったからさ、なんかね」

《変わらない》ことは、幸せなのだと言うことを
日々、私は思うようになった。

「小さい頃から遊んでた海なんだけど」
「うちの前も、高台が出来るから海が見えなくなるらしいんです」
「寂しっすよね」
そう言った若い子がいた。

海を見て育って、変わらない景色の中で成長して。
そんなことを言いそうにない(←失礼な)子だと思っていたのに
ふと、話してて、そんなことを漏らした。

復興が早く進めばいい、と思う日々。
その復興とともに書き換えられていく新しい景色。


「変わらないモノが、あればいいなあ」

そう日々、想いながら、
そんなモノはどこにもないと諦めている私なのですが

カタチが変わっても、
時代が変わっても、せめて
「心の中で変わらないモノ」が残ればいいな、と
最近は思うようになりました。

塩竃で会う人々と
震災のことも話したりはするけど
やっぱりそこで泣きそうになってしまい
経験もしてないくせに泣いたら失礼だと思ってしまい
やっぱりそういう話は黙って聞いてることしか出来なくて。

でもいつも思うのは、みんな強いなと思う。
みんな強いな、と思ってしまう。

そういう人達を見て、もっと強くならねば、とは思うのだけれど
なかなか、一度ズッコけてしまうとなかなか。

10年ぶりに鬱の奴がでてきましてね。
今まではいろいろ気も張っていたんすね。
10年前に生まれなおした気分で生きてきたんですけどね。
生きるって難しいなと思う今日この頃です。

心声P応援資金も(販売物の管理が滞っているせいで)ほぼゼロな中、
先日、嬉しい応援をいただきました。

静かな火の1分間 】さんより1万円を、
【昭和56年三鷹第五小学校卒業生同期会】の皆様より、
藤本さんのご紹介による68528円を
同期会代表の一柳さんよりお振り込みのご連絡をいただきました。

最後の旗は出稼ぎのお金から捻出できればと思っていたのですが
最後の最後まで、このプロジェクトへのお付き合い
本当にありがとうございます。


ちなみに、2014年3月10日時点で
次船である妙見丸さんにはすでに旗はお渡ししてあります。


宮城県山元町磯浜港 復「港」応援
心声プロジェクト企画賛同有志一同

この名前で旗を作るのもあと3隻。
あと3枚のみになります。

本当にいよいよなんだなあ、と思う反面、
あの頃は「無謀だよなあ」と思っていたところも本心です。

いつ挫折するんだろうなあ、と思いながらも
始めたからには完遂させよう、と思っていた日々です。

この3枚も、無事に注文は済ませてあります。
あとは私の給料次第でございます。
まあ大丈夫でしょう。
(なんとかなるさ)

全員にお守りを渡したいですからね。
それだけなんです。


先日、(3月1日かな?)久しぶりに港に行って
ゴミ掃除してゴミ掃除してゴミ掃除して……!

ゴミ掃除しろよ!!!

って思いながら掃除して、窓から見える磯浜の景色を久しぶりに眺めました。

ようやく姿を見せ始めた荷捌き所。


真新しい建物がそこにあって、
これまでの景色が変わっていました。


磯浜の変わりゆく景色は
私にとっては震災後からの記憶しかないので
磯浜を昔から知る人はどう思うのかな、と思ったりします。

変わってしまうって言うのは哀しいことなのかもしれないけれど
「生まれ変わってゆく景色」というのは、
希望というものもになるんじゃないかな、と思ったりもする。

まあ、それは外部の戯れ言なのですけどね。


そんなところへ走ってきたTさんにズーム!

(ピースしてた!驚愕!)

そして今日、
(私にとっては)長きにわたる苦しみが一段落したので
ブログでも書いてみようと思ったのです。
(その結果、何を書きたいのか支離滅裂なわけですが)

船の免許が取れたのです!
これは私の「塩竃出稼ぎ」の目標のうちのひとつでした。

漁師さんたちに「免許取りに行ってくる!」って言って
受けに行って落ちたらヤダし。
こっそり行ってこっそり受けた。

で、学科受かって実技受かって
「2級受かったーーー!!!」
って運営委員長に言ったところで
「学科と実技受かっても2級受かったわけじゃないんじゃ……?」
とか不安になってたところでした。

でもキタ。
よかった……

「おめでとうー」と電話くれたり
「飯食いに行くべー」と言ってくれた漁師さんたち。


ありがとうございます; ;

(直接言ってないのにすさまじい伝言能力!)

本当は(本当はというか)私は海が怖いのです。
港や岸壁は好きなんだけども
海って怖い。
何がどう怖い、ってわけじゃなく、
小さい頃から本能的に恐怖だったのです。
だから特に理由はないのです。

今だからこそ岸壁に立って海の方を見下ろせるけれど
震災前はそんなことするのも怖かった。
水が怖いわけじゃないんだけれど、
岸壁という場所から深さがわからない海の底を見る行為が
たまらなく怖かったのです。
(高いところも怖いんだけど)

でも船の学校で1日講習して、1日実技講習して、
たった1日だけだったけども、船っておもしろいなって思った。
海の上って気持ちいいなって思ったのです。

その結果、運転してたからか酔っ払うこともなく。
講習の時間もテストの時間もあっという間に終わってしまい。
ちょっと寂しい感じも致しました。

そして偶然にも講習の先生の名前がヤマモト先生。
(山本だけど)

実技の試験の日にいろいろあって遅刻して。
パニクったまま到着したら
「これから試験行くよ?いい?行ける?行けるよね?次にする?あ、行く?」
とバクバクなまま出港したわけです。

でもやっぱり試験でも運転は楽しかったな。
ようやく、3年目にして「磯浜に関わった」っていう、
自分の身になる証拠が出来てなんだか嬉しいのです。

なので、最近はようやくちょっと元気な日も増えた。

変わらないモノが欲しい、と思いながらも
変わりたい自分自身は全く変わることもなくて
生きるって難しいなって思って時間を過ごして。

でも、1日1日が楽しければいいかな、とも最近は思う。
昔は「1日を生ききる生活」を目指してたわけだけれども。

平穏な毎日を過ごすことの尊さや
何でもないようなことで喜べたりする瞬間がある時間も
毎日を生きてるからこそ、なんだよなあと思ったりする。

変わらないモノがあればいいなとは思うけど
自分が動くことで良くも悪くも変わってしまうモノもあったり
世の中は何が起こるかわからないなとよく思う。

それでも明日は、
今日よりも昨日よりも、
1年前よりも2年前よりも

明日を穏やかに、
安らかな尊い時間を過ごせる人達が
去年よりも一昨年よりも増えていればいいな、

と思います。



どうか、穏やかな1日を。