ぐだぐだ(ホントにグダグダなただの書き置き) | 【心声(ココヘ)プロジェクト】

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今日の「正義」が明日の「悪事」。明日の「悪意」が未来の「正論」。
今を生きる人が為すべきこと。「今」を「未来」に繋ぐこと。

最近のこと。と言うか、


ふとこれまでのことを考えてみた。
最近はそんな時間ばかりが多い。
特に、塩釜からの帰り道。

地味に1時間はかかるから余計。
穏やかなときは「何で今日はぼんやりしてるんだろ」とか考えたり。

腹立ってるときは「何が一番腹が立つのか」とか言うのを頭で整理しようとアレコレ考えたりしてる。


真っ直ぐに家に帰ればすぐに寝られるんだけど、ボヤッとしたいときはよく山や水辺でボーッとしてみる。で、ポリスメンがきて「お家かえんなさい」と言われる始末。そんな始末。そんな日々。


最近、というか
ここ半年
荒れに荒れ果てて
自棄だったりするんだけど、

「自分っていつからこんなふうになったんだっけ?」

とよく考えるようになった。


「死」に対して恐怖を抱いた小3の頃。

戦後50年式典で作文を読む機会を与えられて「戦争とニンゲン」に興味が湧いたあの頃。

優等生じゃないのに平凡に過ごしてたあの頃から、やりたいことは自分で決める!とワガママを発揮しだした高校。
(入学願書を親に無断で出す)


部活に於いて「結果より過程の努力」が大事だと教えられたあの頃。

人間関係に於いて「何かを得れば何かが失われる」という思いにこだわり始めた頃。

何よりも部活が大切、と様々なものに優先順位をつけだしたあの頃。


そして、インターハイ予選2日前に骨折して車いす持ってこられて即入院、留守番。涙も出なかったあの日。

1週間で逃げ出して「大会だせー!」と喚きまくった1週間。あの時困らせたイトー先生。ごめんなさい。でも万が一を覚悟で最後に愛馬に乗せてくれたことは今でも感謝。こっそり感謝。高校入学式翌日から生活指導してくれたマサキ先生も駄々っ子承認してくれてありがとうございました。


でも部活3年間が終わって、思ったこと。

「結果を出さない努力は努力じゃないんだ」という認識。

「過程なんて結果を出した者が語ること。結果こそ全て」という思考。


「犠牲を払わなければ、何かは得られない」という、不器用な理論。


いつからか、そんな自分になっていた。

「白か黒か」
「やるかやらないか」
「勝つか負けるか」

そんで、今みたいな
凝り固まったニンゲンになった。



ハッキリわかってるのは、
19-20の頃。
20歳の年だと思ってる。
(前にどっかで書いたかな)


あの頃は、
お馬さんに関わることをしてた。

「多くの人に馬と触れ合う楽しさを知って欲しい」と言っていたとあるニンゲンがいた。

ある日、
変な馬がきた。
シマウマみたいなたてがみの
真っ黒な毛の引退競走馬。

競走馬って闘争心が強いから
すぐ怒ったり
気性が荒かったりするんだけど
その子はとても素直で
勇気のある子で
とても優しい子だった。

一緒にいるうちに
仲良くしてくれるようになって
よく一緒にいろんな練習もした。

でもその子、腰を悪くしちゃった。

跛行して(脚を引きずるようになって)、
練習にも出されなくなった。


「稼がない馬には餌なんか少なくていい」

とか言われて、思いっきり減らされた。



のを、こっそりあげてるのが見つかって怒られた。腹がたった。


そのうち、その馬が厩舎から出されるということになった。

「脚の悪くなった馬が厩舎から出される」というのは、そういうことを示していた。

行き先は処理場。
肉屋だ。


経営者の立場なら、
今なら、
理解はできる。

「1頭を庇うことで他の馬まで潰す事」になりかねないということ。


理解はできる。
けど、納得はできなかった。
今でもしていない。
そういう風に扱うことをしない馬に関わる人たちを知っているから。
とても大切に、馬と関わる人たちを知っている。


"馬と関わる楽しさを知って欲しい"


人間側の意見であることは承知だ。
けれど、ニンゲンが楽しむために連れてこられた馬が、腰を壊したからと言って捨てられる。殺されるという事実。
多くの人に知って欲しかった。

でも、言われるのは同じ。
「でも、家畜でしょ?」
そんなコトバ。


ニンゲンがキライになった。


ムカついてムカついて、
全てがウソツキだと思った。

結局は、「負担」ではなく「儲け」を選んだ経営者と言う名のニンゲン。


理解はしてるんだ。
それが経営であるということも。


でも、若かったということも関係なく
それは今でも私の中で許せない事。


食料にされる「家畜」と言う名の動物が、どのように「処理」されるのかを、私は知らない。


だけどニンゲンが食べるものだから薬品で眠らせてから処置をする、なんてことはないんだろうと思う。


ガス室に送られる犬猫が、首輪を外されて室内で泡をふいて殺され、焼却処分されて大穴に埋められるのとも違う。



生きたまま、血を抜かれて食物にされるのだろう。そうとしか思えなかった。


肉屋に売り飛ばした金額がいくらだったのかもわからない。けれど10万いくのかどうか…きっと、もっと安いのだと思う。


そのたった10万のハシタガネ。
私にはそれすらもなかった。
ハシタガネすらなく、
親友が殺されるのを見殺した。


悔しさは全て経営者にぶつけた。
理不尽であるのは知ってた。
そして自分のチカラの無さに嫌気が差した。


しょうがない、学生だし
仕方がない、設備もない
馬なんか飼えない
どうにもできない


それが、「私」の逃げの理由。
屁理屈だった。


結果的に馬は殺された。
その時から「馬」という生き物を見ることができなくなった。


競馬番組は勿論。
テレビに映るのもダメ。
今まで一緒に走ったり水浴びしたり
いろんなことを教えてくれた「馬」という生き物を、「私」は拒絶しだした。


自身の罪悪感と無力感。
綺麗事を語った経営者と、
反吐が出るほどの金欲主義。


それから、3年間は馬を見て泣いた。
「たまには乗ってみなよ」
と誘ってくれた子の乗馬クラブで、久しぶりに馬に触れたのは5年程が経ってからだった。



その時、私が一番ほしいと思ったのは大きなチカラだった。


「名声」なんていう誰かを翻弄するものじゃない。

「権力」とかいう不透明なものじゃない。


祝詞も呪詛も、嘘も真実も
セカイの多くを含んでは
絶望も希望も伝達し、記録できるツール。

「ヒト」の世界で何よりも強い
そんな「コトバ」のチカラ。


だから私は今でも信じてる。
名声よりも権力よりも、金よりも
ニンゲンがニンゲンに対するチカラで一番強い武器が「コトバ」だということ。

それから、文字の世界に足を入れた。

(元々、文章を書くのはキライじゃなかった。そういう通称、レポート学科だったしね)


だけど、原稿の仕事で創作小説を書いていても「あのさあ、ラスト…暗くない?」とばかり言われた。


私には『ハッピーエンド』というものがわからなかった。


(恋愛小説で言えば)
交際したらハッピーですの?
結婚したらハッピエンド?
とか言って編集者を困らせた。


白雪姫とかも
「王子様のちゅーで目が覚めました。おわり」


ってあるけども、「鏡よ鏡」の意地悪な継母って生きてたよね?(覚えてない

じゃあ王子と結婚した(として)白雪姫は継母にさらなる嫌がらせを受けたのでは?

バッドエンドじゃん。


とか。



桃太郎。
鬼退治して宝物ごっそりいただいてきました。ハッピーエンド。


桃太郎2
宝物をいただいてきた桃太郎、その宝物を民衆に見せびらかしハーレム状態のピーチランドを作りました。桃太郎はたいへん強く、誰も逆らえません。年貢の要求もひどいです。
怒った民衆は桃太郎を退治するために立ち上がりました。


みたいな。

物語っていいとこ取りだから、私はどこで区切っていいかわからないんです。よく書いてたなあ、と思う。バッドエンドばっかりだけど。


でもね、
バッドエンドばっかりだけど、
バッドの先にハッピーがあればいいなっていう想いが常にあった。


ニンゲンなんて所詮そんなもんよ、と諦めの認識があるワタシだけども

ニンゲンっていいなあ。
ヒトとって優しいな。

って思う。

その双極。
バッドでもハッピーでもそう。
そういうのが、私の全ての書き残す文字に現れるんだなあと思う。不思議なものですよね。

バッドエンドだけども、
本当はハッピーであってほしい


っていう。
よくわからない私の「文字」。


そして今も言いたいことがわからなくなる。




昔、ある人に言われた。

「黒か白か、じゃなくていいんだよ」
「灰色になりなさい」

って。



なかなか難しいんだな。
今でもその課題は、私にとって難しい。


「どうせそうなんだろ(諦め」
と、
「それでも、こうあって欲しい(希望」

が混在する。それが同時に出てくる。
だから疲れちゃう。


ホント疲れちゃう。

だから進水式のブログ書く前にストレス発散でこんなこと思いつくままに書いて、そして読み返さずにアップする。


(アップする意味ないんだけど)


誰かに会うとね、ヘラヘラするのが「ドルト」のやつなんだよね。


誰かに何かを聞いて欲しいわけじゃないんだ。
相談とかしないし、自分の人生は自分で決める。全部さらけ出せて信じられる他人なんて、きっと自分の前には現れないんだと思う。


人間不信なんだよね。
だからもういいんだ。
信じないのは、予防策。
傷つかないための防衛線。

だから、馬を見殺しにしたこと以外、後悔なんかしてない。この先も後悔することなんかない。絶対。

失敗しても、それはバカな過去の私の選択だったんだな、って。



どんなに悲しいことでも「ドルト」は苦笑いっぽく話す。

他人事のように、第3者のようにして話すんだよね。

心配されるのもキライなんだ。


いつからそんな風になったんだか。



いろんな偶然も重なってコッチきて。
それが「運命」だなんて
思ったことなどない。

命の運、なんて最後の最期にしかわからない。

重なり続けた偶然で此処に居て、
その偶然から派生した新しい感情が
「今の私」を作っているんだとしても、

それは単なる偶然だと思いたい。


親愛なる隊長さんに「どうしてニンゲンは報われない事態に出くわしたり出来事に出会ったりするのか」と聞いた時があった。


「生きてるからこそ」

って言われた気がした。
それ以上の答えはないと思ったけども。

卑怯な答えだ!


とも思ったけど。
極論すぎ。


生きてるからこそ。
いろんなことがあるけども、


生きてこそ


って言いたかったのかな、とも思う。



親友はまだ迎えにきてくれない。
あれから10年近くが経った。


その時、私が助けることをしなかった黒馬に誓ったのは

「これ以上ない生の苦痛に耐えて」
「這いつくばって生きてみる」


ということ。
見頃した彼への、私ができる償い。
だけどもケッコーきぢーなや。

んでもまだ、甘えるのは早いんだな。

結構厳しい私の親友。
馬のだけどユータっていう。笑



事故った時に1度きり夢に出てきて終わり。落馬させやがった。


薄情なやつ。
マジで。

愛馬1号に限っては1度も夢に出てきやしない。こんちくしょうめ。


ハブの野朗も最後に言ったわ。

「人間とのぬるま湯生活もいいけど」

「俺には俺の生き方がある」

(って野生の顔してやがった)



猫にも「自分の生き方」ってやつがあると。

そう教えられた。
教えてくれるのはいつもアニマルな先生がた。


「生き方」なあ。。。
まだよくわからないけど、
もう少し穏やかに生きたかったけども。



自らが誓った罪に報って
「生」にへばりつくとするよ。


もうちょっと、がんばるかな。



まずはかえって洗濯でもするかな。




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