お盆 | コロスケのパグとネコと認知症 バタバタ日記

コロスケのパグとネコと認知症 バタバタ日記

老眼鏡な欠かせない40代
パグとネコに癒しを貰いながら認知症のオババ様との闘い日記

こんばんはおねがい

 

広島旅行の話はちょっとお休み

 

お盆さんですね

 

 

両家のお墓参りも済ませ

ご先祖様へのあいさつもニヤリ

 

 

大好きな義父も

今頃、老人ホームの義母に会いにいっているかな?

 

 

 

大好きな私の母は

父のいる実家に帰っているかな?

 

 

 

過去のブログを見かえしていました。

忘れていたこと

その時の気持ちがよみがえってきて

お盆だからか・・・

ちょっと泣いちゃったショボーン

 

 

 

 

私はパグを飼っています。

当時、げんちゃんを筆頭に

4匹のファミリーだった

 

げんちゃんが亡くなった時のブログを見て

号泣

 

小麦さんが亡くなった時のことを思い出し号泣

 

 

でもブログ書いててよかったと思う。

何年経っても、その頃の気持ちを思い出せるからね

 

 

 

 

 

 

 

 

その中で

私の母の闘病中

ブログで知り合った方々からの暖かい気持ちに

どれだけ救われたか・・・

 

 

 

まだ書いていなかった母の事を

ちょっと記録に残そうかなと・・・

 

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー
2014年5月に胃癌の手術を受けた母
その後、胃癌は再発する事なく一年経過した
2015年は肝硬変、腎不全で入退院を繰り返した母
 
2015年12月にはとうとう人工透析を受けるまでに悪化
 
実際、2015年9月6日からずっと入院していました。
帰りたい、帰りたいといい続けていた母
 
一度だけ、外出許可が出たので4月だったか?一時帰宅出来ました
それも5時間だけ
 
酸素ボンベ持参
介護タクシーで寝たままストレッチャーで
 
近所の母さんのお友達が遊びに来てくれたり
母さん、凄く喜んでくれた
 
看護師さんから、最後の帰宅になるかもしれないから好きな物を食べさせてあげて!
やりたい事をさせてあげて!と言われての一時帰宅
 
 
実際、母さんが食べたいとリクエストしていた料理や豪華なご馳走、ジャンクフードをテーブルに並べた
 
でも、一口二口しか食べられなかったなぁ
 
良い意味で久しぶりの自宅で、仲良しのお友達と一緒で食べずともお腹いっぱいだったみたい
大分県から久しぶりに兄も帰宅してたし
周りを見渡して最高の笑顔だった母さん
 
 
一時帰宅した後の母さんは治療にも積極的になった
 
また元気になって帰りたい!って看護師さん達に言っていたらしい
 
治療食が不味くても、文句を言わなかった
 
 
何度か肝性脳症になり、
意識無くなったりしたけどもう治療する事が無くなった
2016年7月
転院の話がでる。
 
人工透析は治療ではないのでこれ以上この病院にはいれないと
説明があった
 
話があった後にも肝性脳症になり意識無くなった
でも転院の話は進む
 
この状態で出されては死に行くようなものでは!と不安になる
 
実際、主治医に気持ちをぶつけると
『本当は最後まで僕が診たいんです!今までも転院の話は出ていたんですが、なんとか上を説得してここまで引き延ばして来たんです。でも10ケ月経過した為これ以上伸ばす事が出来ませんでした。申し訳ない。』と
 
『でも、転院してから発作や脳症になったら戻れる様に次の病院には言っておくから!約束するよ』と言ってくれた先生
 
先生の真っ直ぐな気持ちが伝わってきてこれ以上何も言えなくなった
 
 
2016年6月28日転院
 
転院当日、何人もの看護師さん達が仕事の合間をみては母さんに会いに来てくれた
 
胃癌の手術をした本院の先生までわざわざ母さんに会いに来てくれた
 
その度泣く母さん
 
それをみてもらい泣きの私
 
 
いざ時間になり介護タクシーのお迎えが来て
病院を出る時は私の方が号泣
 
 
それを見て、仲良しの看護師さんも泣いてた
『大丈夫!コロネファミリーなら大丈夫!家族がいれば大丈夫!』と
 
 
転院して一番不安なのは母だよね
いつもと違う雰囲気で、本当に不安そうだった
 
下見はして、説明も受けていたけど
実際に入ってみないと分からない事はある
 
転院した病院は、本当に酷い病院だった
 
看護師より、介護士の方が威張り腐り
家族に対する接し方も最低
 
転院後は、会社を休み毎日朝から夕方まで母に付き添い
 
あんな病院に母さん一人置いておく事が不安で仕方がなかった
 
その日も病院に行くとあきらかに肝性脳症
 
いつから意識が無いのか聞くと昨夜8時位から【寝入りました】と回答
 
今朝は【起きません】と回答
 
この状態は肝性脳症では?と聞くと血液検査は【まだしていません】と
 
 
院長が来て【ごめんなさいね〜来て早々にこんな事になっちゃって・・・虎ノ門病院分院は一流だけどうちは足元にも及ばないチッポケな病院だからね〜ごめんなさいね〜ごめんなさいね〜】と繰り返すばかり
 
 
『前の病院に戻りますか?』と聞かれたので即答しました
 
 
で、転院して7日目に戻る事に(^-^)
 
 
脳症になり心配だけどホッとした事を覚えています。
ただ不安だったのは、肝性脳症の症状が落ち着いたら再度転院になると言われた事でした。
 
そして、今までの主治医が約束を破らず
人に頼んだりせずに自分で容態が悪化したら病院に戻す様に電話を入れていてくれた事に感謝です。
 
 
2016年7月6日虎ノ門病院分院へ戻る
 
 
 
意識が無い為個室へ
 
今までは腎臓科だったけど脳症での入院の為、肝臓科での入院
 
数日後、肝臓科の先生の計らいで
肝臓科にかかりつつ、腎臓科の病棟へ移動
 
いつもの看護師さん達から『おかえり〜(^-^)』と。
普通は《もう帰ってきちゃだめよ》って言わなきゃ行けない
立場の看護師さん達も笑顔で迎えてくれました。
 
 
ちょっと横道にそれますが、転院していた病院が
以前ニュースで報道されている
終末期医療【大口病院】と似ていた病院だったんです。
 
土日も休まず、母のお見舞い&付き添いしてましたが
ネットでも書かれていましたが同じ状況に愕然
 
・他の入院患者さんにお見舞いに
来ている人えお見た事がなかったこと><
 
・ナースステーションで看護士たちが
お菓子を食べたり食事をしていたこと
 
・点滴等の薬剤が見えるところに放置されていたこと
 
・介護士さん達が、患者さんを怒鳴りつけている所
 
たった1週間しかいない私でもわかる酷い状況
 
 
 
 
 
 
クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー
 
 
2016年8月9日 23:58
 
母永眠
 
 
 
なんでパグの日に亡くなるの?
私に強烈な印象を与えてくれた母
 
 
 
 
 
 
この日の数日前から病院に寝泊まりしていました。
 
血圧が50代迄下がり
いつ心臓が止まってもおかしくない状態
 
 
 
 
8月8日
 
個室の母の足元に簡易ベットを
設置してもらい寝ていた私
 
朝目が覚め背伸びしたとき
 
 
「おはよう~ 眠れた?体痛くない?」
 
って明るい母の声
 
「おはよう^^ うん 眠れたよ」
って返事した私。
 
 
 
 
あれ?母さん話せるの?
体調いいのかな?
 
とお母さんに顔を覗き込んだ
 
意識は無く
話すこともできない母がベットに寝ていた
 
 
 
 
 
あ~
母さん こんなになっても
私の事心配してくれているんだなって
心が熱くなった事をはっきりと覚えてる
 
母さん
意識は無いけど
近くに私がいることはわかっていたんだな
 
 
やっぱり母親っていいな