メリル・ストリープが演じる、ワシントンポストの発行人、
キャサリン・グラハムが主人公。
ベトナム戦争終結から約4年前の1971年。
ニューヨークタイムズに、ベトナム戦争などに関する調査書、
「ペンダコン・ペーパーズ」の一部が持ち込まれる。
一大スクープとばかり報じられるも、政府の訴訟により、
その後、差し止めとなってしまう。
ワシントンポストにも持ち込まれた「ペンダコン・ペーパーズ」。
会社を揺るがしかねない掲載。彼女は踏み切るのか否か。
映画の中の言葉を使うなら「政府の顔色を」見ない決断。
それは旧知の友人との関係を揺るがし、
政府からも防衛機密を漏えいさせたとして、
父や夫から託された会社の存亡を危うくし、
自らにも投獄の危険があるものだった。
トム・ハンクス演じる編集主幹は掲載を強く望むが、
会社役員などは反対。古い友人の国防長官も公表を拒んでいる。
さまざまな思惑やニューヨークタイムズとのスクープ合戦の中、
彼女は最終的に「報道とは何か」、
「社会における新聞の役割」をもとに、決断を下すことになる。
記者、株主、、弁護士、写植工などさまざまな立場の人たちが、
自分の持ち場で精いっぱい働いている様子が、
描かれていたのが良かった。
仕事に使命感を持ち、
いきいきと働く人の姿は単純に見ていて美しいもので、
また、新聞が多くの人に支えられ、
作られ(書かれ、印刷され、流通して)、そして守られることに気付かされる。
見ている最中は「かなり女性に注目して描かれている」と感じた。
「ペンダコン・ペーパーズを新聞に載せるまで」という切りとり方をしていれば、
男性しか出てこない話としても成立するのではないか。
また、有色人種の俳優も意識して使われているという印象ももった。
あえて使ったというか、スポットを当てたというか。
そう感じるのは男性―白人主義的な考えに、私がどっぷりと漬かっているためで、
また、アメリカ事情に疎く、テレビ番組で誇張されたものしか知らないからだろう。
実際には有色人種も多くいたはずである。
(舞台であるワシントンD.C.は白人の比率は低いhttp://us-ranking.jpn.org/SF1P0030002PerP.html)
女性が愛すべき家族の一員としては認められ、補助的な仕事を割り当てられる一方で、
なかなかリーダー的な立場に立てない、立っても認められないということは、
能力を低く見積もられ、軽んじられ続ける主人公などで繰り返し描かれていた。
だからこそ、彼女の決断は重い。
終盤、編集長の妻の言葉が、彼女を救い、称えていた。
ニクソンはベトナム戦争を終結した大統領として記憶していたため、
悪の側面のみ描かれていたことに、意外、という印象を持った。
まぁ、今回の主題となった報道の自由、という側面から見れば悪なのだろう。
反対にマクナマラ長官が穏やかで誠実そうな人物に描かれていたのも、
自分の中で記憶とイメージの齟齬が生まれた。もっと冷酷なイメージを持っていた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
西梅田での打ち合わせ後、見た映画なのだが、
出てくる人がみんなカッコ良くって「働くってステキ~」
「私も頑張らなきゃ~」なアキサイトモードに入り、
今日はゆっくりするつもりが結局仕事をする羽目に。
それから、スタッフさんが書いたポップが熱かった!
次回、観たい映画! (あ、レッドスパローも観たい)
ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書
原題 | The Post 監督 スティーブン・スピルバーグ |
---|
出演 メリル・ストリープ、トム・ハンクス
製作年 | 2017年 |
---|