お酒窯床においてある作品が灰に埋もれたとき、火が直接当たらないのに加え、空気の流れが悪くなりいぶし焼(還元焼成)になるために生じる窯変。ネズミ色・暗灰色・青色などがあります。


メラメラ松割木の灰が熱で溶けて灰釉になり、胡麻をふりかけたような状態になったもの。胡麻の作品の多くは火の近くの棚の上に置かれているため灰が多く、これが流れた状態のものを“玉だれ”といいます。


メラメラ皿、鉢などの上に小さな陶土を置いて焼き、その部分だけに火を当てず赤い焼けむらをつけたもの。


メラメラ白色あるいは薄茶色の素地に、赤い線があるもの。作品の間にワラをはさんだり、巻いたり、大きな作品はサヤの中に入れて直接火が当たらないようにして焼いたものです。


メラメラサヤなどに入れられ特定の場所で強い火によってむし焼きにし、青灰色になったもの。食塩を使った青備前は、食塩青といいます。


コーヒー作品の上に別の作品をかぶせて焼くことにより、上下が異なった色に分かれているもの。蕉徳利などに多く見られます。


 室町時代末期、さらに引き続いてやってきた桃山時代は、長く展開された戦国時代の終結と、安堵からくる見通しとゆとりを手に入れ、また地理的世界の広がりと並行して日本人の中に南蛮文化とキリスト教による物理的な新しい世界との交流の中で、また精神的世界の広がり、また新しい世界観や美意識など価値観の多様化が起こり、自己と全体と、何より人間を見つめ、既成の美意識に挑戦するという魅力的な時代の始まりでした。

 多様性と自由な世界観を背景として、文化的に最も大輪の花を咲かせた時代です。

 それはこの時代は日本の歴史の中では、不思議な雰囲気を持ち、何かの始まりを告げる新しい時代でもありました。文化的価値の見直しが行われたわけです。

 そのような時代に経済原理の法則のままに進出した備前焼は、さらにどのように変化を見せていくのでしょうか。

 千利休、古田織部などの茶人はその時、それまでまかり通ってきた美に対してのアンチテーゼと自分の美意識の理論構築の実証手段に備前焼を、粗野ではあるが不思議な力を持っているものとして取り上げたのです。それは矛盾の中から新しいものを生もうとする考えと、見通しを持てることからくる考え方の余裕と自由な感覚のさらなる拡大ではなかったでしょうか。それは完璧な中国陶磁器至上主義にとらわれていたものからの解放でもありました。

 そこから人間臭さの存在と人間の手の介在しない自然の力、神秘の力の介在、そこに宇宙を、心を、人間と自分と、ものの哀れを感じるようになったのです。下剋上の戦争に明け暮れて死んで行った人達、手足をもがれるような大怪我をした人達、諸々の姿で生死をさまよった人達はそれまでの勝ち優先の通念では全く意味のない、光の当たらなかった陰の部分の人達だったけれど、立ち止まることの中から、その者にも光を当て、意味を見つけ、並行して焼物であれば、ねじれたり、裂けたようなものにもう一度改めて光を当てる心の幅を持つようになったのです。現実には価値観のさらなる多様化が始まっていくわけです。

 利休といえども、先駆けとして村田珠光(1422~1502『秘伝書(1480)』)がいなければ、美意識の改革と体系化は不可能だったかも知れません。社会的矛盾、たぐい希な人物の登場、時代が見通せる武将、見通しに沿った時代の接近、こうした環境が利休のそばにあったと思います。

 そうした文化として固定されたものを見てみますと、心色の豊かさにあふれています。そうした中で茶の湯の隆盛も極に達しました。備前焼は物質的広がりの対極をなす精神的、心象的美を具備固定化しているものとして、またもてはやされました。

お茶また茶の湯の中で、備前が第一に取り上げられた時代でもありました。

コピーライト備前市)